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三浦春馬さんの死に衝撃を受けた女性たちの行動はいまや社会的意味を持ちつつある

篠田博之月刊『創』編集長
『三浦春馬 死を超えて生きる人』の表紙を飾った切り絵(海扉アラジン・作)

 三浦春馬さんが所属していた「アミューズ」が4月27日、「三浦春馬に関するお知らせ」という文書を発表した。事実に基づかない怪情報を拡散するサイトや書籍などに抗議したものだ。いまでも怪情報が乱れ飛んでおり、事務所がナーバスになるのは当然だろう。

 月刊『創』(つくる)も半年にわたって三浦春馬さんの情報を追ってきたが、『創』はきちんと裏の取れた情報のみを掲載しているので読者の方々は安心してほしい。さらに言えば、半年間取材してきて、いろいろなことがわかってきている。例えば春馬さんのサーフィンの師匠・卯都木睦さんや俳優・春馬さんの育ての親のつくばアクターズスタジオ・加藤元代表の話など、これまで週刊誌などで断片的に報じられてきたが、まとまってインタビューしてみるといろいろなことがわかった。

 例えば『三浦春馬 死を超えて生きる人』に掲載したインタビューで卯都木さんが話している春馬さんと母親の関係ーー母親から何度も電話がかかってきたが、本人が話したくないというので取り次いでいないといった経緯など、母子の関係を考えるうえで貴重な証言だ。

三浦春馬ファンの取り組みとグリーフワーク 

 さて4月12日に全国発売された『三浦春馬 死を超えて生きる人』は大きな反響を得て、続けざまに重版がかかり、いま第3刷が発売中だ。この本が出たのを機に、例えば紀伊國屋書店梅田店では三浦春馬さんの大きなブックフェアを展開してくれた。こういう書店店頭での三浦春馬コーナーが拡大することを望むファンの声も高まっている。またファンの一部は、既に絶版になった過去の春馬さんの著書の復刊を出版社に働きかけるといった行動も行っている。

紀伊國屋書店梅田店の三浦春馬フェアの取り組み(同店のツイッターから)
紀伊國屋書店梅田店の三浦春馬フェアの取り組み(同店のツイッターから)

 一方で、三浦ファンたちの行動によって、20年近く前に公開された映画『森の学校』が全国各地で上映されている(現在は緊急事態宣言で上映停止の映画館も多いが)。20年も前の映画がこんなふうに映画館で上映されるというのは極めて異例なことだ。

 これは「ぜひ再上映を」というファンたちがドリパスという仕組みを使って投票行動をしている成果なのだが、他の三浦さん出演の映画も再上映が広がっていきそうな気配だ。春馬さんの舞台『キンキーブーツ』については、本家本元のブロードウェイミュージカルを映画化したものが各地で上映され出している。

『森の学校』公開中の土浦セントラルシネマズに飾られたファンたちの贈り物(筆者撮影)
『森の学校』公開中の土浦セントラルシネマズに飾られたファンたちの贈り物(筆者撮影)

 こうした「春友」さんたちの動きは「グリーフワーク」として注目されている。「グリーフ」とは、大事な人を失って激しい喪失感に襲われることだが、そこからの回復をめざして起こす動きを「グリーフワーク」、そういう人たちの心の回復をケアすることを「グリーフケア」と言い、日本グリーフケア協会という団体も存在する。

 ファンたちは、いまやSNSを通じて連携し、三浦さんを失った悲しみに浸るだけでなく、いろいろな行動を起こしつつある。月刊『創』がもう半年間続けている、ファンの投稿を掲載する試みも「グリーフケア」のひとつと言われている。多くの投稿を読んで、同じ気持ちの人が大勢いることを知り、自分は孤立していないことを知って気持ちが楽になった、という人が多い。なかには『創』がなかったら自分は今頃どうなっていたかわからないと言う人もいる。

 その一方で、警察庁の統計によると、この3月も女性の自殺が増加した。女性の自殺が昨年来のコロナ禍の中で増えており、政府も対策に乗り出しつつある。三浦春馬さんの死に衝撃を受け、自分も後を追いたいという女性が多いことも、それと通底しているのは明らかだ。

 そうした女性たちは50~60代が中心で、子育ても終え、自分の人生をこれからどうするか見つめなおす時期に、三浦春馬さんの「死」をきっかけに人生の根源的な問題に直面したと思われる。

 自分と同じ思いを多くの人が感じていることを知り、SNSでつながった同じ思いの人たちと行動を起こしていくという、「死」への怖れからの回復を求めるグリーフワークは次第に大きな社会的動きになりつつあるように見える。

三浦春馬さんの死は「残念だ」と『森の学校』監督の感想

 ここで5月7日発売の月刊『創』6月号に掲載した「春友」さんの投稿のうち幾つかを転載したいと思うが、その前に4月4日の土浦セントラスシネマズで私がインタビューした『森の学校』の西垣吉春監督と、つくばアクターズスタジオの加藤麻由美元代表の話の一部を紹介しよう。

『森の学校』出演の三浦春馬少年
『森の学校』出演の三浦春馬少年

 まずは西垣監督へのインタビューの一部を紹介する。

――監督は『森の学校』を撮るにあたって、春馬君に会った時からこの子で行こうと決めたと言われていますね。

西垣 恋愛と一緒で最初の出会いというのは大事ですからね。もちろん神崎愛と篠田三郎がいて映画は成立しているわけで、春馬君は主演とは言えないわけです。でもそれに匹敵するくらいの大役だったと言ってよいでしょうね。彼の俳優としての才能は天性のものだったのではないでしょうか。

 主役の設定は小学5年生だったから、最初に会った時の春馬君はもっと小さかったのですが、制作準備に何年かかかって、撮影に入る時には、ちょうど5年生になっていました。

――上映後のトークで、約20年前の作品がこんなふうに復活するのは異例なことだとおっしゃっていました。

西垣 約20年前の作品が上映されるだけでも異例なうえに、1月からずっと上映が続いていますからね。とても信じられないことです。これもファンの方たちのおかげです。上映についての問い合わせはまだ増えています。

――三浦春馬さんが昨年亡くなったことについてはどう思われていますか。

西垣 残念としか言いようがないですね。日本の映画界・演劇界を背負っていく一人だったことは間違いないですから、惜しい、残念だとしか言いようがありません。

『森の学校』上映後の西垣監督と加藤さんのトーク(筆者撮影)
『森の学校』上映後の西垣監督と加藤さんのトーク(筆者撮影)

「僕は芝居がやりたいんだ」と加藤さんに言ってきた

 次につくばアクターズスタジオの加藤さんのインタビューの一部だ。

《春馬がお母さんに連れられてつくばアクターズスタジオを訪れたのは5歳になる頃だったと思います。笑顔が可愛くて、ちょっとおませでやんちゃな男の子でした。

 お母さんの話では、息子を芸能界に入れたいというよりも、彼は一人っ子で、一人で留守番をすることが多かったので(お母さんはお仕事をしていましたから)友達ができればいいなあ、ということで連れてこられたようでした。

 まだ小さいので、本人も最初は、スタジオを走り回って遊んでいただけでした(笑)。お兄ちゃんたちがいるので楽しくて…という感じでした。放課後、学校が終わるとやってきて、歌ったり踊ったり、そこにいるのが楽しかったようです。うちに帰っても一人だったようで、スタジオに結構長くいましたね。

 一時期サッカーに熱中した時期があって、その頃は週1回くらいでしたが、それ以外は学校が終わるとほぼ毎日、アクターズスタジオに来ていました。

 私は彼を見て最初から、この子はできると思いました。私自身が連れて歩いていろいろなところにご挨拶させて、割と早い時期からお仕事が入ったと思います。演技といったことの前にモデルの仕事もできますからね。最初はちょっとした役でしたが、子役として東映やNHKの番組にも出させていただきました。》

《歌や踊りのレッスンもやっていましたが、あの子の場合は、そういうものよりも芝居をやりたいという気持ちが強かったですね。

 そういう年齢の子は、歌ったり踊ったりという活動を好むことが多いのですが、春馬にも一時期、3人のグループを作ってやらせていました。でも、ある時私に「僕は芝居がやりたいんだ」と言ってきたのです。私はその時、「やりたいことをやればいい。でも歌や踊りも俳優をやるためにも役に立つんだよ」と言ったのを覚えています。

 それを理解してくれたのかどうか、結果的には、歌って踊れる俳優に、いつのまにかなっていましたね。》

 加藤さんは『森の学校』やNHK大河ドラマなど、春馬さんがどういう活動をしていったかを話した後、昨年7月の遺体との対面の話もしている。他界した春馬さんの顔に彼女が何を見たのかというのも考えさせられる内容なのだが、これについては他人の私がいらぬ解説をするよりも、直接『創』6月号を読んでいただきたい。

 さて、そうしたインタビューと同じ『創』6月号に掲載した「春友」さんたちの投稿の一部を、以下紹介しよう。

「生きていてよいのか?」という悩みも芽生えた

●『創』5月号、『三浦春馬 死を超えて生きる人』の2冊を一気に拝読しました。

 7月のあの日から8カ月以上経った今、もうそろそろ春馬さんの名前を口に出す事すら周りに出来なくなっている私は、何十回頷いたか分からない位、納得出来る内容で感謝するばかりです。

 空羽ファティマさんのおっしゃるアフター春馬の私は、まさに自分の孤独の玉が目を覚ましたのでしょう、魔法にかかったように春馬さんを追い続ける日々となりました。

 そして、多くの女性が陥ったように「春馬さんと比べたら社会的貢献度が無に近い私が生きていて良いのか?」の悩みが芽生えました。さらにテレビで凶悪で残忍な犯罪のニュースを見ると「何故あのような犯人が生きているのに…」と、全く見当違いの怒りが湧いて来て、それを感じる自分が嫌になるという悪循環に陥りました。

 愛情深い母なら、頭ごなしに否定はしないであろうと思い、春馬さんの画像や動画をスマホに送って悲しさの一部を受け取ってもらっていたら、ある日80歳を超えた父から「春馬教の信者、大丈夫か?」という、まるで宗教団体から洗脳された家族を連れ戻さなくてはと諭すような厳しい電話が来ました。当時の父に想いの全てを理解してもらうことは不可能なので、冷静に自分は至って健康で、むしろ生きることに前向きに過ごしていると返答しました。

 その後、歴史好きの父は自分の意思で「天外者」を観に行き、五代さんそのものと感じられる春馬さんの熱量、演技力に感動し、また本編後に流れたメイキングに映る素に近い春馬さんの人柄の良さに何らかの気付きがあった様子で、すぐに私にその時点での春馬さん現象の詳細を問い合わせてきたので、私なりの見解を伝えました。きっと父もその言葉が適正ではないのかもしれませんが、充分春馬教の信者の入り口にあったのでしょう。

 このように今まで春馬さんの作品にあまり触れずに過ごしていた人々、さらにリアルタイムで見ることが出来ないこれからの人々にも、表現者三浦春馬の魅力はきっと響き、春馬さんが目指した平和な世の中、明るい未来を目指す力は広がって行くことと思います。

 そう、彼は何十年経っても語り継がれる「死を超えて生きる人」なんだから…

 もちろん今でも「悲しい、悔しい、勿体ない、申し訳ない」の感情はとてつもなく大きいけれど、それを「大好き、人として尊敬する」という包括的な気持ちで包み込んで生きて行きたいと感じるようになりました。

 こんなに生きるということに真摯に取り組む機会をくれた春馬さんに感謝しつつ、春馬さんを想うことで人間としての透明度が上がったような気持ちでいられること、そしてそのようなパワーや気付きを大勢に与える三浦春馬という人に惹きつけられた自分は、なかなか大した者なのではないかという気分にさえなっています。数カ月前の自分を卑下する気持ちはかなり薄くなりました。

 そして今、新たな目標は世界での活躍を目指していた春馬さんの作品が海外で上映、放映されることです。そして表現者Haruma Miuraとして、正しく賞賛を浴びることを見届けたいのです。 (埼玉県 匿名)

まるで我が子を亡くしたかのような喪失感

●彼が逝って8カ月が過ぎた。人生でこれほど涙を流したことも、これほど一人の人を想ったこともなかった。名前しか知らない彼だったのに、まるで我が子を亡くしたような喪失感で、未だに深い悲しみの中にいる。彼に恋慕? そんな単純なものではない。確かにこの世にこれほど身も心も美し過ぎて生き様も見事な人が存在してたなんて。驚きでしかない。言葉ではないし分析もできないし理屈ではない。私は私たちは、心の深い部分で魂レベルで彼に惹かれたのだ。

 初めて魂が震えた。彼の歌う白い恋人達、アベマリア、恐れないで。「僕のいた時間」、「わたしを離さないで」のDVDを観た時は号泣してしまった。「14才の母」での彼はつぶらな美しい瞳で繊細なキリちゃんそのものだった。演じた作品に、歌に、言葉に、彼の清く貴い魂が確実に遺されている。

 彼を知れば知るほどに彼のとてつもない魅力に囚われる。彼の死をきっかけにすぐ私は自分の感情のフタがあいた、と感じた。長い年月泣くことにフタをしてきた。それが外れたのだ。悲しいニュースを見たり、美しい曲を聞いたり、なんてことのない映画でも、涙がこぼれるように。多分私だけではないはず。

 彼の死は、と言うより彼を想うだけで痛くて苦しい。この時代に生を受けてたくさんの人に夢を与え我が身を削りながら走り去った彼の人生は何だったんだろうか? 何か私たちには計り知れない、大いなるものの意思が働いたのだろうか? 神々しいまでのまるで歩く芸術のような彼を知ってしまうと、どんなに願っても還って来ない事実を認めると。私たちに残された道はただただ祈ることなのだろうか。(匿名)

自分の命をあげたい、とあの日叫んだ

●8回目の月命日の日、3回目の「森の学校」を観た。上映後の拍手のあと、「今日は春馬君の月命日なので、皆さんで黙祷しませんか!」と勇気ある呼びかけがあった。満席に近い全員の1分間の黙祷に心が震えて、その場にいることに、ただただ感謝した。あなたは「天外者」で、本当にすごい人だ。

 春馬君のおかげで、私は初めての体験をし続け、この年で世界を広げている。

 同じ作品を11回も観て、そのパンフレットやノベライズ本を買って読んで知る作品の深さ。はるか若い頃に挫折した「罪と罰」を読み終え、あなたのストレートプレイを映像で観た喜びと感動。「キンキーブーツ」の映画とシネマ上映のそのミュージカルに取り憑かれたエンタメの魅力。「日本製」にある熊本「天明堂」さんの酒かすてらを送料関係なしに買い、美味しさを堪能。インスタやツイッターを始めて、繋がった人達との出会い。数えたら、切りがない。

 でも、私の世界なんて、広がらなくていい。あなたが当たり前にいる日常が続いた方が絶対、絶対いい。「三浦春馬、独立して海外に進出!」という近い将来あるはずだった芸能ニュースに、そっけなく関心がなく、素晴らしい生き方と人柄を知らない、あなたに恋をしない私でいい。

 あの日、自分の命をあなたにあげたいと叫んだのは、私だけではないはずだ。

 あれから、テレビもドラマも観ない私に、心優しいあなたは何と言うだろう。

 メディアの沈黙にあなたは何を思うだろう。

 五代友厚のように、すべてを呑み込んだあなたの真意は何だろう。あなたしか分からない真実にも想いを馳せながら、表現者「三浦春馬」の教えてくれたものを、生きた証を私は「一所懸命」にまっすぐに繋いでいく。

 (横浜市 ラスティ 61歳)

どれだけ月日が流れても悔しいままです

●7月18日以来、のどに何かつかえたままスッキリしない日々を過ごしています。家族との時間や仕事、日々の生活をあたりまえに過ごしながらも、必ず動画や画像を見る習慣から抜けられません。見ると嬉しい、ただそれだけですが、やめられないのです。

 やめる必要もないのですが、春馬君が亡くなるまではしていなかった習慣です。結局、私は生きている限りこの習慣から抜けられず元の生活リズムには戻れないのだと思います。

 戻って欲しいと思っている夫の思いに、応えることが出来ないと思っています。

 家族や、生きている自分の残りの人生が大切なことは分かります。なのに「春馬君、生きたかったんだろうに」と言う思いがいつも心にあるのです。

「春馬君が決めた最期だから」と思い、納得しようとしてきました。ですが「自殺をする人は冷静に判断して死を選んでいない。他に方法があることさえ考えられず、つい死の方向に向かってしまったと言える。よく考えた末の結果ではない。考える力を失っている精神状態だったんだ」という記事を読み、納得出来なくなったのです。「自分で決心した人生の閉じ方ではない。考えられていないんだ」と思うと無念というか。

 もしも過去に戻れて今が2020年7月17日だったら、私は何が出来るのかと考えてしまいます。マンションの前で待ち伏せして春馬君に思いとどまるように伝えられるのか?「結局、過去に戻ることができても死なせないことができない」と思うと結果は同じだったのかと無力を感じるのです。

 きっと後追い自殺をした人もいるでしょう。私は出来ませんでした。しようとも思いませんでした。でも「死んでも怖くないな。だって春馬君も経験したことだから」と思いました。自殺はできないけれど、死に近づくのはいいなと思ったのです。単純ですが、それには大量飲酒とたばこが早いと思い実行しました。日本酒、ワイン、焼酎など度数が高いものを昼間から大量に呑み、たばこを始めました。4カ月くらいで体調が悪くなり病院に検査に行きました。何とその時私は「何ともありませんように」と心の中で祈ってしまったのです。

 仕事も続けて、子供の成長も見たいと思ってしまったのです。春馬君に近づきたかったくせに、生きたいと思う自分に複雑な感情を抱きました。好きなのに、なぜ行ってやれないのか?「ごめんね、ごめんね春馬君」と思うのです。

 考え方をどう変えたら、これまで通りの生活が送れるのか分かりません。生きている彼に会いたいと思っても無理なんです。だったらこの思いをどうやって消化したら良いのでしょうか?

 思い続けることが本当に供養になるのでしょうか? 春馬君に伝わらないのに意味があるのでしょうか? 精神状態が良い時と悪い時があり、思いが堂々巡りです。春馬記事掲載の『創』は全て購入しました。トップ記事のように扱われることが嬉しい。いつまで掲載してくれますか? ずっとずっと何十年もしてくれますか? 新しい記事が読めることが嬉しい。春馬君の記事に会えるのは『創』だけになってしまいました。

 (40代 ふみこ)

泣きながら読ませていただきました

●『創』さんの「春馬さん死の波紋」を泣きながら読ませて頂きました。書かれている内容に、私もそうだよ。私も同じ様に酷かったです。私の命あげる。春馬さん帰って来て。と、何度思ったかわかりません。何も食べられなくなり、5キロ以上痩せ、足がフラフラになりました。死ぬ勇気がないから生きているが、頭からずーっと離れません。申し訳ありません。

 私は春馬さんが亡くなられてからファンになりました。それまでは俳優さんだったことも知りませんでした。テレビから春馬さんの親切で優しいエピソードが発信され、途切れることはありませんでした。これ程の方がどうして? 知らないうちに春馬さんに夢中になっていました。美しい春馬さんに見惚れ、演技の素晴らしさに衝撃を受けました。人を引き付けて離さない魅力の持ち主でした。

 もっと早く知り、応援をしたかったです。追っ掛けもしたかった。ずーっと空を見上げ春馬さんの幸せを祈っています。このような機会を与えて下さり感謝します。大好きな春馬さんの分も生き抜きます。 (愛知県 72歳)

 以上、『創』6月号に掲載した投稿のごく一部だ。今後もこうした投稿をたくさん掲載していきたいと思っているので、編集部宛にメールを送ってほしい。

 mail@tsukuru.co.jp

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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