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三浦春馬さん誕生日めぐるファンたちの行動力。死の衝撃からの回復とは…

篠田博之月刊『創』編集長
4月5日、三浦春馬さん誕生日の切り絵(海扉アラジン・作)

 4月4日に三浦春馬さんの出身地・土浦の映画館「土浦セントラルシネマズ」を訪れた。その日と翌日、同映画館は春馬さんの誕生日を祝福しようというファンたちが集結。三浦さんの出演映画「森の学校」上映後の監督らとのトークイベントで、全員でハッピバースデイの歌を唱和した。

左手に「誕生日おめでとう」と書かれた花束も(筆者撮影)
左手に「誕生日おめでとう」と書かれた花束も(筆者撮影)

 その日、私は「森の学校」の西垣義春監督と、春馬さんの俳優としての育ての親でもあるアクターズスタジオ元社長の加藤麻由美さんのインタビューのために映画館に行ったのだが、もちろんただ話を聞くだけでは映画館に申し訳ないので(インタビューに事務所もお借りしました)、しっかり「森の学校」も観ることにして、朝7時過ぎに家を出た。

 上映は11時からだが、10時20分くらいに着くとOh My GOD! 劇場前は長蛇の列。受け取った整理券が191番で、もう200人近いファンが並んでいたのだった。ただその劇場は300人近く入るとかで座席は確保できて一安心。結局、会場は大変な混雑で上映開始も延びることに。私はと言えば順番待ちの時間がかなりあったので、その間に写真を撮りまくった。

土浦セントラルシネマズ。ファンたちのメッセージを貼り付けたボード(筆者撮影)
土浦セントラルシネマズ。ファンたちのメッセージを貼り付けたボード(筆者撮影)

 噂には聞いていたが、とにかく劇場がすごい。ファンたちの花輪や花束がズラリあるうえに、訪れたファンたちがメッセージを書いて留めていくボードにはたくさんのメッセージカードが。多くの人が記念撮影をしている。

会場にはファンたちのプレゼントも陳列(筆者撮影)

 ここは約20年前、地元のスター子役・三浦春馬さんの映画「森の学校」を最初に上映したという記念すべき映画館で、その後も春馬さんを応援するためにと、「森の学校」のほかに「天外者」も上映。たくさんのファンが集まる場所になっていたのだった。上映後のトークで最初に挨拶した寺内龍地社長は、今後も三浦春馬の映画をいろいろ上映していくと語って拍手を浴びていた。

『森の学校』出演の三浦春馬さん12歳。C:森の学校製作委員会
『森の学校』出演の三浦春馬さん12歳。C:森の学校製作委員会

「森の学校」で描かれた「命」、そして「死」

 私は「森の学校」を観るのは2回目だが、初回と違う発見がいろいろあった。この映画のテーマは「命」だと前回も思ったが、2回観てその思いをさらに強くした。クライマックスは12歳の三浦春馬さん扮する主人公の少年の祖母が他界して、6人兄弟が口々に「みんないつか死ぬんや」と語り合うシーンなのだが、すごいのはその後で母親役の神崎愛さんがこう息子に言うシーン。「一生懸命生きた人が亡くなった時には『ご苦労さま』『ありがとう』と言うんや」。いや、これって昨年亡くなった三浦春馬さんへのメッセージそのものだ。

 このシーンになるとファンで埋まった会場にはすすり泣きが。みんな昨年7月18日の衝撃を抱えたまま観に来ているから、映画を観ながらどうしたって感情移入するだろう。終了時には場内が拍手に包まれた。こういう場内の空気というか、一体感が映画の良さ。パソコンでDVDを観ているのでは味わえない。

 実は監督もそれを言っていて、映画をDVDにすることは拒否しているのだという。ファンたちがDVDを観られないからと再上映の運動を起こしたのはそのためだ。それが形になって、今、この映画は、土浦セントラルだけでなく全国各地で上映が拡大している。20年前の映画がそんなふうに上映が広がるというのは、極めて異例なことだ。

「春友」さんたちのグリーフワーク

 三浦春馬さんのファンである、通称「春友」さんたちのこういう動きは「グリーフワーク」と言われるのだが、いまやSNSを通じて連携したファンたちは、ただ三浦さんを失った悲しみに浸るだけでなく、いろいろな行動を起こしつつある。「グリーフ」とは、大事な人を失って激しい喪失感に襲われることだが、それに対して起こす動きをグリーフワーク、そういう人たちの心の回復をケアすることを「グリーフケア」と言い、日本グリーフケア協会という団体も存在する。

 実は『創』がもう半年ほど、三浦春馬さんの死をめぐる特集を組み、ファンたちの哀しみの投稿を載せ続けていることも、最近よく「グリーフケアですね」と言われる。昨年7月18日の喪失感からいまだに立ち直れずに涙が止まらないという女性たちは多いのだが、『創』に載せた投稿を読んで、自分と同じ気持ちの人が全国にこんなに多くいるのだと知って元気づけられたという。投稿だけでなく、毎号載せている絵本作家・空羽(くう)ファティマさんの文章と、三浦春馬さんの切り絵を毎号表紙に載せている切り絵作家・海扉(カイト)アラジンさんの作品が、同じようにファンの哀しみを癒してくれると好評だ。

 この記事の冒頭に掲載した、三浦春馬さんへの誕生日おめでとうの切り絵も海扉アラジンさんの作品。4月7日発売の月刊『創』5月号の表紙を飾っている。

監督(左)と加藤さん(右)。上映後のトーク(筆者撮影)
監督(左)と加藤さん(右)。上映後のトーク(筆者撮影)

 さて昨日の土浦セントラルでの西垣監督と加藤さんのインタビューは6月号に掲載するが、上映後のトークに続いて監督はロビーでパンフレットを買ったファンたちにサインを書いていったのだが、これがまた長蛇の列で、200人ほどへのサインを終えるのに1時間半ほどの時間がかかった。一人一人の名前を為書きで書き込んでいったからだが、ファン一人一人に心こめた対応というのも監督のポリシーなのだろう。

映画館の一角で一人ひとりのファンにサインをする西垣監督(筆者撮影)
映画館の一角で一人ひとりのファンにサインをする西垣監督(筆者撮影)

「春友」さんたちのたくさんの投稿

 周知のように4月9日に、『創』本誌と別に別冊『三浦春馬 死を超えて生きる人』が発売になるのだが、そこにはこれまで寄せられた投稿を全て再掲載した。さらにこのヤフーニュースでも新たに寄せられた投稿を載せると呼びかけたために、この1カ月ほどさらにたくさんの投稿が届いた。その別冊にはページの都合で残念ながらその中から3通しか掲載できなかったのだが、他の投稿の多くは、『創』5月号の方に載せた。14ページもさいたが、それでもたくさんの投稿のごく一部だ。

 それらファンの涙の投稿を半年ほど毎月読んできて思うのだが、最初は衝撃に打ちのめされて自分も春馬さんのもとへ旅立とうと自殺願望を吐露する女性も多かったのだが、少しずつ多くの人がそこを乗り越えて前へ進もうとし始めたのを感じる。泣いているだけでなく、何とかしよう、三浦春馬さんの作品を残すために尽力しようと、そういう意図で始められたのが前述した過去の映画の再上映運動だった。つまり「グリーフワーク」である。

 土浦セントラルの会場で、何人ものファンから「『創』の篠田さんじゃないですか?」と声をかけられた。そもそも会場には200人以上の観客の中に男性は4~5人しかいないから、男性というだけで目立つのだが、私は撮影用のカメラを持っていたし、いろいろなところに取材に行っていることを書いているから、三浦ファンにもピンときた人がいたようだ。中には「私も投稿しています」と言う女性もいた。

 『創』5月号に続いて『三浦春馬 死を超えて生きる人』の発売と今週は忙しいのだが、ここで『創』に載せた投稿から2つを特別に紹介しよう。別冊の方には紙幅の関係で掲載できなかったものだ。

 なお9日から順次全国発売となる書籍『三浦春馬 死を超えて生きる人』(創出版)は、予約注文が殺到したため、発売前に重版を決定した。これで品切れになる心配はないのでご安心いただきたい。

 以下紹介するのは、ひとつは北海道の54歳「かんなお」さんの投稿だ。この人の投稿は何回も載せてきたが、文章がうまい。今回のは三浦春馬さんの誕生日に贈るメッセージだ。

 『創』5月号の投稿は、かんなおさんが冒頭だが、末尾の匿名女性のもなかなかいい。『創』の多くの投稿に救われたと語ると同時に、自分も前を向いて進んで行こうという決意を示したものだ。

 多くの人がいまなお哀しみに包まれているのだが、前述したように最近は、泣いてばかりでなく少しずつ前へ踏み出そうという人や、グリーフワークに当たるような行動を呼びかける人も増えてきた。

 こうした読者の半年にわたる交流を見ていて、私もいろいろなことを考えさせられた。人間の死というのは実に重たいものだ。何しろ、ひとつの人格そのものが存在しなくなってしまうもので、しかも病気と違って二度と元へ戻らない。多くの人がその冷厳な現実の前にたじろぎ、ある時は打ちのめされる。

 グリーフとは、人間はみないつかは死んで存在が消失するという、逃れられない現実がもたらす感情なのだろう。それが眼前に立ちふさがった時に、私たちはどう対応すべきなのか。『三浦春馬 死を超えて生きる人』に掲載された投稿を読んでいくと、編集者の私でさえ、目頭が熱くなる。『創』を買われた読者の中には号泣してしまう人も多いようで、編集部へ電話をかけてきて途中から泣き出す人も少なくない。

 その熱い投稿の中から、以下、『創』5月号に掲載した2人の投稿を紹介してこの記事を終えよう。

桜が満開の季節に貴方は31歳に

●自由になった今、貴方のあの美しい瞳は何を映していますか。桜が満開の季節に、貴方は31歳になりますね。

 時を経て、貴方を失った現実を他の誰かと共有出来ても、私自身が持て余している癒されることのないこの感情は私だけのものであり、もう修復される手立ては永遠に失われた。

 だから…生ある限りこの虚しさや喪失感と付き合っていく、そう決めた。枯れない涙を知った…でもその一方で、これで良いんだと思える。

 何が正解かなんて分からないけれど、自分の心の赴くまま一生をかけて愛しむ人に出逢えた私はある意味、とても満ち足りていて幸せだとさえ感じる、そんな境地に達した。私の中で、貴方はそれほどの絶対的な存在となった…

 ただ存命中に精一杯、応援出来ていたのなら、この虚しさも少しは違うものだったのかな、とも感じる。私の喪失感の最大の原因は、この素晴らしき人間「三浦春馬」に触れることなく、愚かに時を重ねて来た「後悔」に尽きるのかも知れない。

 貴方に何も出来なかったこと、何も伝えられなかったこと、そして…貴方の未来を守れずにひとりで逝かせてしまったこと…力及ばすごめんなさい。

 ねぇ、春馬…貴方のいない世界を貴方は想像した? 貴方の見たかった景色は、自身への溢れる賞賛や賛美の声ではなく「作品を通して人々の心を豊かにする」、これではなかったの? 多分それ、ここにあるよ。全てを持っていたのに…。

 たくさんの方々が貴方を心の支えとし、日々を輝かせていたんだよ。貴方の活躍を、幸せを、楽しみに生きていたんだよ。春馬じゃないと駄目なんだ! 代わりはいないんだ! 貴方こそが本物だ!と私も伝えたかった。

 だからと言って…生前からも多くのファンに支えられていたのは紛れもない事実だし、例え私なんかの思いが届いたとしても貴方の最期の選択を変えるだけの力になったとは言い難く、私の自己満足なのだろう。

 ただただ、生きていて欲しかったとの思いも、哀しみや喪失感に浸っているのもこっちの勝手で、貴方は何にも縛られる必要はない。最期の衝撃だけで、貴方の人生そのものが悲哀に満ちていたと印象付けてはならないし、貴方の人生は貴方自身のもので、生き死にも尊重されなければならない。

 結局、貴方は私の一部になったけど、私は貴方を構成する一欠片にさえもなり得なかった、それが全てなのだろうとも思う。もし貴方が今も生きていたら、私は未だに愚か者のまま、日々を送っているのだろう。

 貴方は死して、我々の生を浮き彫りにした。貴方が丁寧に紡ぎ出した30年の尊い物語は、人々に多くを投げかけた。そこから何を感じ、学び、受け取り、取捨選択し、勝手ながら引き継ぐかは、読み手次第だ。

 突然の予期せぬ旅立ちは、貴方らしからぬ凄みのある静寂さで、私にも問いかける。「君は残りの人生をどう生きて、何を遺すのか」と。

 私は何度も何度も何度も、決して厚くはないその深いバイブルを読み返すだろう。そう、それを手放さない限り、春馬は私と共に生き続けるのだ。貴方の姿、形はもう見えないけれど、魅せられた生き様が、遺した作品が、言霊が、あの笑顔が、「春馬イズム」が、今も私たちを突き動かす光となって導いてくれる。

 私が頑張らない理由は、もうどこにもない。やっぱり貴方は、今もスゴい人です。私は今、長い冬に別れを告げ、春の陽射しのような柔らかな貴方と共に、ゆっくりと歩きだそうとしている、私自身の物語を紡ぐために。

 立ちすくんでも、後退りしても、転んでも、泣き崩れて進めなくなっても、また自分のタイミングで立ち上がればいい。その先にはきっと、道しるべとなり照らし続けてくれる春馬がいるから。

 必ずまたいつか逢えるよね…そう信じて。さよならの代わりに空を見上げて、胸いっぱいに深く息を吸い、叫ぶよ。

「春馬!!!貴方は本当に、本当にっ、すごく、すっごく頑張った、良くやったよ! 誰にも真似の出来ない30年だった、立派だったよ!」

 貴方の新たなる旅路が、溢れる愛と優しさで包まれていますように。幸せでいてよね、お願いだよ、約束だよ。

 愛おしい春馬へ。

 (北海道 かんなお 54歳)

多くの投稿を読みながら少しずつ前を向こうと…

●中学生から幼稚園児まで3人の娘を育てている40代の母親です。あの日、春馬くんがもうこの世に存在しないことを知って以来、なぜか心に大きな穴が空き、ときには身動きもできないほど寂しくて悲しくて苦しくなってしまう自分に驚き、自分を扱いかねていました。

 子供たちが学校や幼稚園に出かけている間、在宅での仕事の合間に、旧来からの熱心なファンの方が更新するインスタで過去の映像を見たり、春馬くんが情熱を傾けた作品にふれ、最後には「今、生きている彼に会いたい」と涙が止まらなくなり、泣きすぎてぼんやりした頭で帰宅する子供たちを迎えるという不甲斐ない毎日でした。

 こんなことをしていて何になるんだろう。「僕のいた時間」で、春馬くんが教えてくれた「人生の大切な時間」を、無駄遣いしているだけじゃないかと自分でも思うのです。私にはどうすることもできなかったと分かっているのに、絶対に失くしてはいけない人を失くしてしまったという悔恨が心を痛めつけ、無力感にとらわれて動けなくなってしまうのです。

 あの日から、春馬くんの遺した作品を観、インスタに残した写真や動画を見、インタビューやレコーディング、PV撮影の舞台裏などの多くの動画を観、彼がインターネットや雑誌の取材に応えた膨大な記事を見て、見れば見るほどどんどん彼が好きになり、その底知れぬ魅力に取りつかれると同時に、「ああ、これだけの才能と魅力と奥ゆかしい人間性を持ち、なおかつ誰からも妬まれず、裏切られず、中傷されず、足を引っ張られずに日本の芸能界で成功し続けるなんて、どだい無理な話だ」と、諦めに似た気持ちを感じずにはいられませんでした。

 どなたかがおっしゃっていたように、今、私たちが生きている日本は、稀有な才能を持ちながらもつねに「もっと上」を目指し、人目につかないところで誰よりも努力し、それでいて謙虚で思いやり深く、有名・無名を問わず関わるすべての人を敬い、寄り添う優しさを持った彼が、そのままの姿で自然に、心穏やかに生きていける社会ではなかったということでしょう。「そんな社会の一員である自分が恥ずかしい」という投稿者の方の言葉に、激しく同感し、同じ思いのかたがいたことに、ほんの少し救われました。

 役者という「個人商店」の一種独特の孤独さも、家庭に恵まれなかった彼の孤独感を増してしまったのではないかと、私は自分の経験からも感じました。映画もドラマも舞台も楽曲作品制作も、そのときどきでチームを組んで作り上げる仕事です。その期間は朝から晩まで共演者やスタッフ陣と家族のように同じ時間を過ごし、同じ目標に向かって仕事をし、プライベートでも親密になりかけた頃に作品は完成を迎え、またちりぢりばらばらになる。

 戻るべき強固な基盤である「家庭」があり、「故郷」がある人は、その寂しさにも耐えられるのです。どんなときも受け入れ、癒してくれる場所があるから、出会いと別れの繰り返しにも慣れることができるのです。春馬くんにも、帰るべき「家」があったなら。生まれ育った家庭でも、自らつくった家庭でもいい。心と身体の疲れを癒してくれる「家」があったならと思わずにいられません。

 こんなに、悲しみに腑抜けてしまった私にも、なにかできることがあるのではないか…誰の目にも完璧でも、さらに上を目指して努力していた春馬くんを好きになり、その力を受け取ったからには、このままただぼんやり泣いていてはいけない。『創』さんの記事から、同じような女性ファンが涙をぬぐいながら少しずつ前へ進もうとしていることを知り、ほんの少しですが、私も、前を向こうと思えました。

 まずは自分の大切な子供たちを幸せにすること。そして第二の人生では、「誰かにそばにいてほしい」と寂しさを感じている子供たちの力になること。目標を持っていれば、ときどき泣くことがあってもいいですよね。

 春馬くんを愛する人たちがみんな、前を向いて歩けますように。(匿名)

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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