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「表現の不自由展・その後」中止めぐる「週刊新潮」「産経」の報道と緊急局面

篠田博之月刊『創』編集長
「平和の少女像」(綿井健陽さん撮影)

 『週刊新潮』8月15・22日号が「公金10億円が費やされた『表現の不自由展』にあの黒幕」という記事を掲載した。「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」が中止になった問題を取り上げたものだ。

 グラビアには「あいちトリエンナーレ大炎上!幻となった『作品』たち」と題して、出品されていた作品や会場を写した写真も掲載されている。8月3日夕方に中止が発表されて同誌発売が8日だから、短期間での取材といういつもながらの機動力には感心する。

 でも「『表現の不自由展』にあの黒幕」という見出しに「黒幕」とはいったい誰なのかと思って読んでみたら、永田浩三さんのことだったので、驚いた。

 

『週刊新潮』8月15・22日号(筆者撮影)
『週刊新潮』8月15・22日号(筆者撮影)

 「表現の不自由展・その後」の出品作品の決定は5人の実行委員会が行った。津田さんが会田誠さんの「檄」を含めてはどうかと提案したが断られた。ーー津田さんへの取材をもとにそういう話が書かれた後に、実行委員の一人である永田さんが、かつてNHK改変事件の時のプロデューサーであり、慰安婦問題には以前から関わってきたことが明かされる。それも匿名の事情通が「実は…」と切り出す形で永田さんの経歴が語られる。記事はそういう内容だ。

 でも、永田さんがそういう経歴であることは、半ば周知のことで、ちょっと調べればわかることだ。本人自身がいろいろな集会で発言するつど、そんなふうに自己紹介している。別に隠された事実ではないのだ。それを敢えて「黒幕」と呼んで仰々しく見出しにまで掲げるのはどういうことかと首を傾げるが、ヒントになりそうなのは記事中に書かれた、永田さんが同誌の取材を断ったという話だ。それも永田さんが「どうせ面白おかしく書くんでしょう。取材はお断りです」と言って断ったという。恐らくこれに同誌記者がカチンときて、意趣返しの感情がこもったのではないだろうか。

関連の動きで気になることが…

 そういう話を私は8月11日付の東京新聞のコラム「週刊誌を読む」にも書いたのだが、ただその後になって、この「黒幕」という言い方が妙に気になった。幾つか関連して気になる動きが出始めていたからだ。ひとつは9日に愛知県が、「あいちトリエンナーレ2019」についての検証委員会を立ち上げたと発表したことだ。報道によると「中止した企画展『表現の不自由展・その後』について、企画段階から中止に至った一連の経過を整理して公表するほか、公金を使った芸術作品の展示や支援、危機管理体制についても検討する」という。

 委員には美術の専門家や憲法学者も入るというから、第三者による検証を行うこと自体は悪いことではない。でも、気になるというのは例えば「公金を使った芸術作品の展示や支援、危機管理体制についても検討する」といった表現だ。『週刊新潮』の「黒幕は誰か」ではないが、今回の一連の事態について責任の追及を行うといったニュアンスが漂っているのだ。

 しかも、検証委員会の調査の結果について「11月末までに報告をまとめる」と言っているのも気になるところだ。8月3日に中止が発表された直後に実行委員会も会見を行い、中止に抗議し、展示の再開を求めた。その交渉はいまだに行われており、実行委員会としては場合によっては法的措置をとることも抗議文に明記していた。展示再開を求めて裁判所に仮処分申請を起こすことも検討されていたはずだ。

 その話し合いが続いている時に、検証委員会が立ち上がり、11月末までに調査報告をというのでは、もう「あいちトリエンナーレ2019」開催中に「表現の不自由展・その後」を再開するという選択肢を放棄してしまったかのような印象は拭えない。しかも検証委員会が調査を始めるとなると、津田さんも実行委員会もその調査対象となるはずだ。

産経新聞が大きく報道

 さらに気になったのは、8月11日付産経新聞が「不自由展 作品に『不快』批判」という大きな記事を掲載したことだ。産経新聞がどちらかというと、「表現の不自由展・その後」の少女像や天皇に関連した作品展示に批判的な論陣を張ってきたことは以前も指摘したが、その全面1ページ近くを使った大きな記事は、明確な「表現の不自由展・その後」への批判だった。

 

産経新聞8月11日付筆者撮影
産経新聞8月11日付筆者撮影

 それまで日本ペンクラブを始め様々な表現団体が、中止を引き起こした脅迫に対して批判していたのだが、その記事はそれと全く反対の主張だった。記事中に「視点」と題して社会部川瀬弘至編集委員の見解が書かれているのだが、見出しは「表現の自由 侵した主催者」だ。

 そこでは主催者は2つの過ちを犯したと書かれ、その1つは展示内容だというのだが、もう1つは何とこう書いているのだ。「もうひとつの過ちは、中止の理由を不適切な展示内容とするのではなく、『テロや脅迫ともとれる抗議があった』と発表した点だ」。今回の問題の基本は表現に対して暴力が行使されたことだというのが、これまでのいろいろな声明の共通認識なのだが、この記事はその認識を批判しているのだ。

 そして「表現の自由 侵した主催者」という見出しにあるように、展示に至る経緯に問題があるという主張を行っているのだ。記事では展示物について、「表現」ではなく「ヘイト」だという認識も示している。つまり少女像や天皇をめぐる出品者らの表現は「日本のヘイト」だという見方で、それによって中止を余儀なくされた。こうしてしまうとそれに対する暴力的排斥も肯定されてしまう。

 

 おやおやと思った。似たような状況といえば2014年の朝日新聞バッシングと植村隆さんへの攻撃で、週刊誌では「売国奴」「国賊」などという見出しが躍った。産経新聞は朝日叩きの急先鋒だった。ただ植村さんへの脅迫や家族まで実名をさらされるという状況に至った時、さすがにこれは行き過ぎだと思ったのだろう。確か産経新聞も、植村さんには批判的だが、彼に対する暴力にも反対だという社説を掲げた。

 私はそれを読んでホッとした記憶がある。イデオロギーや左右の思想で対立はあったとしても、言論や表現に暴力がふるわれることには反対する。それが言論報道機関の最後の拠り所だと思われたし、産経はそこで踏みとどまってくれたと思ったからだ。

 私も産経の知り合いは結構いるし、全社員が前のめりの反共路線で一本化しているわけでもない。そもそも私自身、産経デジタルにコーナーを持っていたこともあった(最近はほとんど投稿しなくなってしまったが)。経営も厳しい中でぜひ頑張ってほしいと思うのだが、その頑張るべき方向がちょっと違っているような気がしてならない。右であれ左であれ表現に対して暴力で押しつぶそうという動きに対しては反対するというのは、最後の一線ではないだろうか。何とか考えてほしいと思う。

いろいろな市民グループも抗議行動を展開 

 8月3日に「表現の不自由展・その後」の中止が決まった直後から、表現を暴力で潰すことに対して大きな抗議の動きが広がり、このまま拡大していけば展示再開も不可能ではないのではと思った。「『表現の不自由展・その後』の再開を求める愛知県民の会」など市民グループは今も毎日、会場前でスタンディングデモを続けているというし、再開を求める幾つかの署名も既に何万筆も集まっているらしい。

 ただ、一方で逆流も起きつつある。ちょうど今はその両方が対峙している大事な局面だ。

 

中止の告知がなされた会場(綿井健陽さん撮影)
中止の告知がなされた会場(綿井健陽さん撮影)

 奇しくも間もなく8月15日が訪れる。近年はテレビもほとんどセレモニー的に終戦特集を放送するので何だかなあと思うことが多いのだが、8月12日のNHKスペシャル「かくて“自由”は死せり ~ある新聞と戦争への道~ 」とか10日放送のNHK「#あちこちのすずさん ~教えてください あなたの戦争~」など本当によくできた番組だった。最近、安倍政権寄りと批判されているNHKだが、現場の力はまだまだ捨てたものではない。 

 「かくて“自由”は死せり ~ある新聞と戦争への道~ 」などを見ると、戦争に突入していく時と今の日本の空気があまりにそっくりで慄然とせざるをえない。当時もやはり日本全体がナショナリズムに覆われ、それに逆らう声は圧殺されていった。今、日本と韓国双方が政権によるナショナリズムに覆われ、日韓のスポーツ交流や子どもたちの交流までもが中止になっている。こういう状況下で大事なのは、マスメディアがこれをどう報道するかだ。

 韓国に吹き荒れる日本製品不買運動などというニュースも、それをどう報道するのか、日本人のナショナリズムを煽ることにならないかなど、報じる側はよく考えてほしい。自覚のないまま自分たちがナショナリズムに巻き込まれていないか考えてほしい。

  その意味では、ソウル市が街に反日の旗を掲げようとしたことに市民が反対してやめさせたというニュースなど、その市民たちに拍手を送りたいと思う。政権同士が政治的思惑のもとにナショナリズムを鼓吹しようとしている時に、メディアがそれをどう報じるかは極めて大事なことだ。

 だから、今回の「表現の不自由展・その後」中止事件については、言論表現に関わる人たちは決して他人ごとと思わず考えてほしい。今起きている状況をいったいどう報道すべきか、真剣に考えてほしい。

 美術展に「少女像」を置くことについて、政治と芸術の関係をどう考えているのか、という議論があってもいい。実際、私もこの間、出品者自身に「表現の不自由展・その後」についてもいろいろな意見を聞いた。

  もともとこの展示は、そういう議論を提起するために開こうと企画されたものだ。あの展示内容や方針についてだって個々の美術家自身、いろいろな感想を持ったと思う。例えば津田さんが提案して却下されたという会田誠さんの作品「檄」も、恐らくその前の「森美術館」の展示で別の作品が女性差別だというフェミニズムの抗議を受けたことがあって、今回の実行委員会は却下したのだろうが、会田さんの一連の作品についてもこれを機会に議論されても良いのではないかと思う。

  大浦信行さんの「遠近を抱えてpart2」も、「平和の少女像」も、見たうえできちんと議論するべきものだ。それを暴力的に潰してしまうこと、その結果として作品を見ることもなく伝聞のイメージだけで、あるいは作品のごく一部だけを取り出して感情的な議論がなされているという現状は、決して良いことではない。何よりも、今回の中止事件が前例となって、議論する前に暴力によって潰してしまえという風潮が今後繰り返される恐れがあることは、何とかしないといけないと思う。

  名古屋現地でも次々と集会が開かれているし、東京でも8月17日に集会がある。そして私たちも8月22日にこの問題について、今回の当事者たちや言論表現に関わる人たちが一堂に会して議論する場を設けた。24日には愛知県民会議も名古屋で大きな集会を開くという。それぞれ、ぜひ多くの人に参加してほしいと思う。

'''緊急シンポ!「表現の不自由展・その後」中止事件を考える''

8月22日(木)18時15分開場 18時30分開会(予定) 21時終了

定員:470名  参加費:1000円

会場:文京区民センター3階A会議室 

https://www.mapion.co.jp/m2/35.70881792,139.75417146,16/poi=0000Z318_001pa

第1部:出品していた美術家などが語る「何が展示され何が起きたのか」

第2部:「中止事件をどう考えるのか」 金平茂紀(TVジャーナリスト)/香山リカ(精神科医)/滝田誠一郎(日本ペンクラブ)/他

進行:篠田博之(『創』編集長)/綿井健陽(映像ジャーナリスト)

主催:8・22実行委員会〔『創』編集部/日本ビジュアル・ジャーナリスト協会/OurPlanet-TV/アジアプレス・インターナショナル/メディアフォーラム/表現の自由を市民の手に全国ネットワーク/アジア記者クラブ/他〕

座席を確保したい人は下記より予約をしていただきたい。

https://tinyurl.com/y3rzm8et

 なお前述した8月17日の集会とは、22日の集会にも参加する表現の自由を市民の手に全国ネットワーク主催のもので、会場は同じく文京区民センターの2階。13時半から映画上映、16時から「表現の不自由展・その後」中止事件についての議論だ。その日は日本ジャーナリスト会議の恒例の集会もあるので、私は両方をはしごする予定だ。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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