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樹木希林さんのこんなすごい広告を作れるのは佐々木宏さんならではだ

篠田博之月刊『創』編集長
宝島社企業広告「サヨナラ、地球さん。」

 3月7日発売の月刊『創』4月号は広告特集で、表紙は宝島社の広告「サヨナラ、地球さん。」だ。樹木希林さんの本がこのところ相次いで刊行されているが、どれもベストセラーで、いまさらながらこの人のすごさを思い知らされる。そして、その希林さんをこんなふうに広告に使ったクリエイティブディレクターの佐々木宏さんもすごいと思わざるをえない。

 だってこの広告の舌を出している希林さんの写真は合成だ。希林さんほどの人をこんなふうに使うというのは、普通の人には怖れ多くてできないだろう。

 ちなみにこの写真は、ハースト婦人画報社『25ans』2018年11月号に掲載され、樹木希林さんの葬儀の遺影として使われた写真を一部加工して使用したものだ。広告のコピーライターはADKの三井明子さんが務めている。

 『創』4月号では、最前線で活躍しているクリエイターのこの1年の仕事をカラーグラビアで紹介しているのだが、そこで佐々木さんは、希林さんのこの写真をどうやって作ったかをこう語っている。

《写真自体は葬儀の時のすごく素敵な遺影なんです。舌はお嬢さんの也哉子さんに、実はアインシュタインみたいにやりたいので舌がほしいんだけど、その辺の人の舌を付けるのはやっぱり嫌なのでできれば也哉子さんのってことで、也哉子さんがその場で本木さんのアイフォンに向かって舌をえーってやって、それを合成しました。一家みんな洒落が効く人たちだったので希林さんなら許してくれるだろうなと思ったんです。むしろ真面目な気取った写真なんかはつまらないわよーって言われそうだったので。》

 

 遺影にも使った写真にあっかんべーさせる、舌は娘さんのものを、しかも希林さんの葬儀の時に申し出て撮影したというのだ。いやあ、すごい話だ。

 もちろんそんなことが許されるのは、佐々木さんの樹木希林さんへの思いがあるからだ。佐々木さんは希林さんの死に「相当ショックを受けました」と、こう語っている。

《一番愛してやまなかった樹木希林さんが突然亡くなられてしまった。富士フイルムやトヨタ自動車など大変お世話になりました。相当ショックを受けましたが、ふと、宝島社の広告を希林さんで作るのもありなんじゃないかと思って、考えたアイデアを希林さんの葬儀の日に本木雅弘さんに「こんな場で申し訳ないんですが」って提案したんですね。

 希林さんがあっかんべーしている写真と、内田裕也さん一家が全部写っている2つでした。希林さんは後世、映画女優として有名でしたが、僕にとっては「時間ですよ」とかのテレビの役と、あとやっぱりCMじゃないかと思っているんです。だからCMで意地を見せようと思って、富士フイルム最後のお仕事で年末に総集編を作らせていただきました。自分としてはCMでお世話になったので、恩返しと言うほどのかっこ良いものではなく、希林さんはCMの人でもあったというのを、自分なりに見せたいなと思ってやりました。》

宝島社企業広告「あとは、じぶんで考えてよ。」
宝島社企業広告「あとは、じぶんで考えてよ。」

 内田裕也さん一家が全員写っている写真というのも、内田さん自身が亡くなってしまった今となっては、何とも貴重と言うしかない。

 第一線のクリエイターが1年の仕事について語るという『創』4月号のこの企画は、毎年の広告特集でもう相当続いている。サントリーBOSSの福里真一さんやソフトバンク「白戸家」の澤本嘉光さん、au「三太郎」の篠原誠さん、ファミマ広告の権八成裕さんなどが、それぞれ大変興味深い話を聞かせてくれる。権八さんのファミマ広告については、下記で取り上げた。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190316-00118139/

 このところ、毎年、佐々木宏さんには、その『創』広告特集の冒頭に登場いただいている。それは佐々木さんのこの10年ほどの仕事が、現代社会における広告とは何かという問題を象徴的に提示しているからだ。

 例えば2011年の東日本大震災の後、ひとつの歌をメドレーにして、たくさんの音楽家や歌手が歌い継ぐという「歌のリレー」というCMを制作して話題になった。復興支援については、福島の「未来学園」という学校づくりにも一躍買っている。それについてはこう語っている。

《3・11以後関わるようになった福島の未来学園とはもう4年目になるんですが、最初の入学生が去年の4月に卒業したのを、3年間の写真を撮っていたんですね。ADの浜辺明弘君が情熱傾けてくれて。たまたま、よく行く小料理屋のご主人が福島の郡山出身で、僕らがこの学校の発起人 小泉進次郎さんと酒飲みながら未来学園の話をよくしていたら、ご主人大森博さんが僕も福島でということになった。

 その方は実は山岳家でもあって、カメラマンでもあるんですよ。それで、良かったら福島へ時々行って写真撮ってくださいとお願いした。入学式だとか運動会、学園祭、何かきっかけがあるたびに毎回行って写真を撮ったんですよ。それがものすごい数になったので、去年、神田の、学校跡のギャラリーで、卒業生の皆さんや、校長先生以下先生たちも来ていただいて1週間くらい展示会をやりました。》

 そして佐々木さんがこの間、関わっているといえば、オリンピック・パラリンピックの開会式と閉会式の企画・演出だ。これについても本人の言葉を少し長めだが紹介しよう。

《このところ大きく関わっているのはオリンピック・パラリンピックの開会式と閉会式の企画・演出です。野村萬斎さんはじめ音楽家の椎名林檎さんや振付演出のMIKIKOさん、電通の菅野薫さん、栗栖良衣さん、映画界から山崎貴さんと、川村元気さん、など8人を中心でやっています。私はオリパラ全体の打ち合わせと、パラリンピックについての責任者的なこともやらせていただいています。

 私は2016年のリオのオリパラの閉会式のハンド・オーバーという、東京をプレゼンするコーナーをプランニングさせていただいたのですが、あれは楽しかった。今度のはスケールが違うし、やっぱり東京大会ですから、東京と日本をどう伝えるか相当、ま、大変、いろいろ考えないといけない。》

《オリンピックって、いまや、北京やソチ、ロンドンのように超豪華に式典をやるというムードではなくなっています。あと、国別に宗教の違いとか、政治状況の違いとかあるわけです。戦争をやめて平和でいきましょうとか言っても、実際には戦っている国もあるし、日本のことを語るにしても、他の国から見ると別の見方が出てくるとか、とても難しいことがわかりました。

 パラリンピックの方は、世の中の健常者の人たちの気持ちが変わるとか、少数派と呼ばれる人への眼差しが変わる意識改革が行われると良いなと思っています。従来、パラリンピックというと、辛い人たちが出てきてスポーツでがんばって涙を誘うみたいなのが一つのパターンだったかもしれませんが、もうそういう時代ではない。かっこ良くて、面白くて、素敵だねと、そういう風に感じてもらえる大会になれば良いなと思うし、今はそういう時代かなと思います。

 最近義足が進化して、世界の大会でも、パラリンピアンがオリンピアンを抜いたり、普通に走って、義足の方が4位に入るとかそういうことがあるんですね。今まで体が弱い人のスポーツというイメージから、障害はあるけれども美しい、魅力的なパラリンピアンが増えているという、これは世界的な傾向です。そういうことを少しでも日本ないし世界の人に感じてもらえたらよいと思います。》

 それに続けてこう語る。

《そのほか、僕が去年すごく感じたのは色々な縁というのですかね。一つは東映の岡田会長とのご縁ができまして、北海道150周年のイベントでキタデミー賞というのをやりました。アカデミー賞風授賞式にして、吉永小百合さんに来ていただいたり、樹木希林さんにも来ていただいたりかなり話題にしていただきました。

 一方で、2人のすごく大事な方を失いました。一人は津川雅彦さんです。お会いしたのは一昨年なんですが、ある講演会で第1部が私、第2部が津川さんだったんですね。私の話は、リオの話で、伝統芸能とかそういうことではなくて、今の東京を見せるべきだというようなことを話したんです。》

 亡くなった2人の大事な方とは、津川さんと、そしてもう一人が樹木希林さんだった。

 3・11や五輪など、佐々木さんの仕事は、従来の広告の概念をはるかに飛び越えているのだが、それはとりもなおさず広告という概念そのものが、この時代において変わりつつあることの反映かもしれない。

 そもそも広告という仕事そのものが、超高齢化社会や環境問題といった社会的問題と密接に結びつくようになりつつある。佐々木さんの活動は、その象徴と言える。それにしても樹木希林さんの舌を出した広告写真のインパクトはすごい。昨年の広告特集の表紙の「LINEモバイル」CMの、のんさんの凛としたたたずまいもすごかったが、今年の『創』広告特集の表紙にこの写真を使うことができたのは、本当にありがたいことだと思う。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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