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岡留安則『噂の真相』元編集長の訃報に雑誌ジャーナリズムの現状を思う

篠田博之月刊『創』編集長
『噂の真相』編集長時代の岡留安則さん(筆者撮影)

 本日2月2日午後、岡留安則『噂の真相』元編集長の訃報に接した。ネットのニュースで知ってすぐに川端幹人元副編集長の携帯に電話した。岡留さんは沖縄で暮らしていたが、川端さんも沖縄に滞在し、岡留さんの葬儀などを手伝っていたらしい。亡くなったのは1月31日、親族の希望で葬儀が終るまで伏せてほしいとのことだったので、知人などに連絡するのがきょうになってしまったとのことだった。

 2016年に脳梗塞を患っていたが、それは元気にリハビリに励んでいたという。ところが昨年末、肺がんが見つかった。しかも末期がんだったという。年が明けても元気だったのだが、容態が急変し、帰らぬ人となってしまったという。実家の鹿児島から親族が駆け付け、岡留さんが暮らしていた沖縄で葬儀をあげたという。川端さんの話だと、友人・知人とのお別れの会は東京で行う予定だという。

 川端さんらは『噂の真相』元スタッフとしてコメントを発表、「リテラ」のサイトに全文が掲載されている。

https://lite-ra.com/2019/02/post-4524.html

 私も岡留さんとは長いつきあいだったのでショックを受けた。雑誌編集者としては天才的な人だった。1970年代後半から80年代にかけて、日本では大手出版社発行でないインディペンデント系の雑誌が次々と創刊されるのだが、『噂の真相』はその先頭を走っていた雑誌だった。その後、『週刊金曜日』などが創刊されはするが、80年代初めにひとつのジャンルを形成していたそうした雑誌群の中で、残っているのは私が編集している月刊『創』(つくる)など、ごくわずかになってしまった。

 それどころか、雑誌ジャーナリズムの主流を担ってきた総合週刊誌が部数減に悩まされ、コストのかかる事件ものなどを、『週刊文春』など一部を除いて扱わなくなってしまったため、雑誌ジャーナリズム全体が相当低迷しているのが現状だ。そんな中での岡留さんの死は象徴的に思えた。

 

 さっき岡留さんの死を知らせるために『話の特集』の元編集長・矢崎泰久さんに電話した。

『話の特集』は1960年代創刊で、インディペンデント系の雑誌の草分けだった。『噂の真相』創刊の時も、岡留さんは『話の特集』を参考にしたとよく言っていた。

 矢崎さんに電話したのは、『創』の次号(といっても3月7日発売号と1カ月先だが)で、岡留さんを追悼し、雑誌ジャーナリズムについて考える特集を組もうと考えたからだ。『噂の真相』については、2004年に休刊してからもう15年もたっており、既に伝説の雑誌になってしまっている。これを機会にもう一度この雑誌についても論じてみたいと思う。

 それにしても筑紫哲也さん、井上ひさしさん、永六輔さん等々と、尊敬しておつきあいしてきた言論人が、この10年ほどで次々と他界している。戦争反対とか反権力とか、戦後の言論界で活躍してきた人たちの世代的共通性は、その人たちが亡くなるのとともに風化しつつある。筑紫さんや永さんが亡くなった時も『創』では追悼特集を組んだ。次号も岡留さんを追悼しつつジャーナリズムの現状について考えてみたい。

 さきほど『創』のバックナンバーを見ていたら、岡留さんが2012年12月号で、若松孝二監督の追悼特集に寄せてくれた記事が目に入った。見出しは「飲み仲間の個性派たちが次々と鬼籍に入る」。

 岡留さん自身がそうなってしまったのだが、一部を引用しておこう。

《人の死は誰しも避けられない宿命である以上、与えられた寿命の中で、いかに悔いのない人生を送るかどうかに尽きる。人は死んであの世に行くわけではない。生まれ変わるわけでもない。天国も地獄も人間の様々な強欲などを戒めて、生きるべき道を宗教観に基づいて示唆した想像図にすぎない。人生の終結後、肉体は灰になり、大地や海などの自然に戻るだけである。人間は母体の中で無の状態から生まれ、死んで無に帰る存在だ。人類の歴史はそうやって営々と繰り返されてきた。しかし、先に死んだ人たちの生き様だけは残された人々の脳裏に焼き付き、思い出や記憶として永遠に残る。》

《筆者が04年8月、56歳で『噂の真相』を休刊して、沖縄に拠点を移した時も、〈オカドメは沖縄に逃げた〉という感想を若松監督が酒場で漏らしていたという話も聞いた。直接言われたことはないので、酒場談義の枠内の話だろうと思う。

 むろん、逃げたわけではない。しばらく、人生の休養をとるつもりで、東京と沖縄を往復していたが、日本の矛盾を一手に抱える沖縄にいると、日本の政治がよく見えることに体感的に気が付いた。》《日米安保や日米地位協定の矛盾と差別は沖縄に集約されており、「旧植民地」なのだ。》

《佐藤慶、原田芳雄、内藤陳、東郷健、筑紫哲也さんなど、新宿の酒場街を拠点にして知り合った個性派たちが次々と鬼籍に入った。筆者も、日本の辺境の地・沖縄からの権力批判を悔いなきまでやり続けようと、あらためて自己確認している。合掌!》

 岡留さん自身も個性派として鬼籍に入ってしまったわけだ。享年71。筑紫さんや井上さんが亡くなった時にも強くそう思ったが、日本の言論界のために、まだまだ活躍してほしかった。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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