刑が執行された松本智津夫元死刑囚の遺骨をめぐる異様な騒動の裏側

(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

 異様な騒動が続いている。執行された松本智津夫元死刑囚の遺体ないし遺骨引き取りをめぐって連日報道がなされている。その件について、松本家の三女が見解を表明した。

いま家族としてお願いしたいこと-死刑執行後の一連の動きと報道をめぐって

http://blog.asahara-kousoshin.info/?eid=248

 この記事を見ると、拘置所側は家族と遺体の対面は認めたらしい。しかし、遺体は拘置所内で火葬し、遺骨の引き渡しについても慎重な姿勢を取っているようだ。

 この間、気になるのは、松本元死刑囚が、生前、遺骨引き取りに四女を指名していたという報道が一斉になされたことだ。なかには、最初四女と言ったので刑務官が名前を挙げて確認したら、松本死刑囚がそうだ、と答えたといった具体的な報道もあった。

 でも正直言ってこの報道には疑問が尽きない。松本死刑囚が四女を指名するというのが不自然だし、公安ないし国家の側の思惑をあまりにも反映した内容だからだ。話ができすぎている感が否めないのだ。

松本家の家族が提出した「要求書」の中身

 松本家の家族それぞれの、父親あるいはアレフとの関係は、図式化すると、母親の知子さん、二女と三女、そして四女と多く3つに分かれる。7月7日付の法務大臣と拘置所長あての「要求書」には、5人の家族の署名と押印がなされている。知子さん、二女、三女、ふたりの男の子だ。要求書は妻の知子さんに遺体引き渡しを求めたものだ。

 二女と三女は同居もしており、仲良しなのだが、執行直後に出されたこの要求書で知子さんと彼女たちが名前を連ねたのにはちょっと驚いた。父親の死という局面で、家族が団結しようという思いが働いた結果だろう。

 要求書の署名には長女と四女が抜けているが、長女はかつての旭村事件で失踪したままだし、四女も家出をして以来、家族とは断絶している。だから敢えて父親が四女を指名するというのはどう考えても不自然なのだ。要求書ではこう書かれていた。

 「四女についても、話しをすれば、当然に、理解して、賛同してくれるものと考えています」

 

 ただ現実にはそうはいかず、四女は滝本太郎弁護士と拘置所を訪れて協議し、独自の意思を示しているようだ。四女とて、父親の遺体や遺骨を引き取るという話には戸惑ったに違いない。むしろ彼女は犯罪を犯した父親を断罪し、父娘の関係を絶とうとしていたからだ。

 しかも、遺骨など引き取ろうものなら、それに対して他の家族がどういう目を向けるか、あるいは彼女を敵視しているアレフがどういう行動をとるかわからない。遺骨を引き取るメリットは全く見当たらないのだ。だから四女が拒否するのを見越して当局がそういう筋書きを作り上げたのでは、という見方さえ語られている。つまり結果的に、家族誰にも遺骨は渡さないという筋書きだ。

 ちなみに要求書では、そのあたりの国家の側の懸念をあらかじめ考慮してか、こう書かれている。

 「松本智津夫の遺体を引き取って、極秘の安置所に安置し、葬儀等の一切の儀式をすることなく、如何なる第三者も立会させることなく、家族だけで遺体と対面し、指定された通り荼毘にして、松本智津夫を弔いたいと考えています。また遺骨は、当面、○○金庫に厳重に保管管理することにしています」

 いわば国家の側が怖れるような政治的利用はさせないようにすると言明したわけだが、当局は恐らく、それでも懸念し、四女に渡すのがよいと考えたのだろう。

 

 でも、この間報道されている、松本元死刑囚が四女への遺骨引き渡しを指示していたというのは、どう考えても信憑性に疑問を感じざるを得ない。当局の思惑が入りすぎているのだ。この間、一斉に当局の意にそった情報をそのまま報道しているマスコミは、もう少し慎重に考えてほしい。

今回の遺骨をめぐる騒動は異様だ

 死刑囚の遺骨をめぐるこの騒動は、極めて異例だ。松本元死刑囚の遺骨が政治的意味を持ってしまう可能性があることを抜きには理解できない。

 通常は、死刑囚の遺体や遺骨は、引き取り手がいないことのほうが多く、死刑執行する拘置所にはその場合の対応システムができあがっている。火葬し、葬る墓地や遺骨の安置先も決まっているのだ。

 前回の記事で、宮崎勤元死刑囚の母親が遺体を引き取らず「お任せしました」と私に語ったという話を書いた。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20180707-00088546/

 誤解されないように敢えて書いておくが、息子の遺体を母親が引き取らなかったからといって、私はそれを非難めいた文脈で言っているのでは全くない。事件のあと、宮崎元死刑囚の父親が自殺したのはよく知られているが、30年前の事件当時は、あれだけ大きな事件を起こせば、家族はもう暮らしていけない状況だった。

 母親だって恐らく自殺してしまいたい心境だったに違いない。しかし、自分が自殺したら息子に差し入れをする者がいなくなるし、妹たちの置かれた辛い状況を考えれば、自殺したいと思ってもできないというのが実情だったと思う。

 今回の松本元死刑囚の執行に際しても、三女のツイッターに「死刑になって良かったね」とか、とんでもない非道の書き込みがなされたが、日本社会はまだそれが現実なのだ。だから宮崎元死刑囚の母親にとっては、娘たちを守るためにも、死刑囚の家族だと知られないことが生きて行くための絶対条件だった。遺体を引き取るという選択肢はなかったのだと思う。

 

 私は死刑囚とのつきあいは多い方だと思うが、例えば奈良女児殺害事件の小林薫元死刑囚など、実の兄弟を探しあてて話を聞こうと思ったら、「もう家族とは思っていないから」という返事だった。こういう例の方が圧倒的に多いのが現実だ。

残忍な宅間守元死刑囚が執行前に臨んだことは…

 それにつけても思い出すのは、付属池田小事件の宅間守元死刑囚のケースだ。社会を怨み、エリートの子どもたちが通うと言われた付属小学校に押し入って、小学生を無差別殺傷するという非道な犯罪に、日本中が震撼した。しかも、死刑を宣告されてからも、一片の反省も謝罪もなく、ガソリンを使えばもっと殺せたなどと被害者をさらに苦しめる暴言を繰り返した。人間がこれだけ非道になれるものかと慄然とした事件だった。

 その宅間元死刑囚が、キリスト教的博愛精神から獄中結婚した妻に向かって最後に託したのが、「遺骨でなく遺体のまま外に出してほしい」という希望だった。つまり人間として死んでいきたいという願望だった。被害者遺族にしてみれば、それ自体許されない発言だろう。しかし私は、宅間元死刑囚のような非道な人間も、最期は人間として死にたいという気持ちがあったことを知って、妙な感慨に捉われたものだ(この宅間元死刑囚の最期がどうだったかについては、拙著『ドキュメント死刑囚』をご覧いただきたい)。

 松本元死刑囚が、最期を迎えるにあたって、自分の死についていったいどんな思いが胸を去来したのか、知る由もない。前に書いた記事で私は、四女が父親の死に対してコメントした文言を引用したが、感慨深かったのはこの一節だ。

「松本死刑囚は一度の死刑では足りないほどの罪を重ねましたが、彼を知る人間の一人として今はその死を悼みたいと思います」

父親を糾弾し、その娘である呪縛から解放されるために何度も自殺を試みた四女だったが、「彼を知る人間の一人として今はその死を悼みたいと思います」というのは実に重たい言葉だ。

 父親に対する思いの違いから三女と四女が対立した話は前回書いたが、私がいまだに忘れられないのは、三女がまだ13歳の時に初めてインタビューした際のこんなやりとりだった。

 まだ判決が確定する前だったので、私が「両親の無実を信じていますか?」と訊くと、三女はこう答えた。

 「信じています。親を信じない娘はいないと思います」

 その答えに、重ねて私はこう尋ねた。

 「裁判でお父さんたちが事件を起こしたということになっても、親に対する思いは変わらないと思いますか?」

 三女の答えはこうだった。

 「変わらないと思います」

 もしかすると三女自身は、20年以上前のそのやりとりを覚えていないかもしれない。しかし、私にとっては強く印象に残った。そして三女はその頃と基本的に変わっていない印象を受ける。

 四女のように、オウム事件の凄惨な現実を見聞きしてその親の子であることに耐えられず自殺しようと考えた者でさえ、親の死に直面して「その死を悼みたいと思います」という言葉を投げた。

 それは当然の情だと思う。だから、松本智津夫という父親の呪縛が解かれた今、三女と四女には、これまでのような対立を解消できないかと思う。今はメールしても返信のない四女が、もしかしたら読んでくれる可能性があるかもしれないという思いをこめて書いた。彼女たちと20年以上、つきあってきた私のささやかな提案だ。

 [追補]そういえば前に書いた記事で、私は三女に初めてインタビューしたのを97年と書いたが、96年の誤りだった。月刊『創』97年2月号にそのインタビューが掲載されたので勘違いしたのだが、インタビューを行ったのは96年12月だった。私は、彼女が当時住んでいた福島県の住居を二度にわたって訪ね、長時間のインタビューを行ったのだった。13歳の女の子が、毎日公安に後をつけられるという状況下にあることに驚いたのを覚えている。