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20年たっても心の傷が癒えていない性犯罪被害者がつづった闘病日記

篠田博之月刊『創』編集長
A子さんがつづった闘病日記

 2~3日前にアップした「懲役13年の性犯罪者が体験を語った刑務所の治療プログラム」という記事に予想を超えるアクセスがあった。性犯罪を犯した側のこういう実態はこれまでほとんど知られていない。ぜひ読んでいただきたいと思う。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20180428-00084596/

 さて、そのうえで今回、性犯罪被害者の話を取り上げよう。被害者側の深刻な実態もあわせて考えなければならないと思うからだ。

 さきほどその被害女性と電話で話したが、集団レイプ事件にあって、もう20年以上経つのだが、いまだに精神的な後遺症から立ち直れないでいる。最近もTOKIOメンバーの強制わいせつ事件を報じるテレビのニュースを見て、体調が悪化したという。

 性犯罪は「被害者の魂も犯す」と言われるが、まさにその実例だ。彼女の闘病日記は詳細でとてもここに全文掲載できないので、下記のヤフーニュース雑誌に公開した。20年前の事件関係者を問い詰めるのが目的ではないので、固有名詞は全て伏せて匿名にした。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180430-00010000-tsukuru-soci

 当時大騒動となった集団レイプ事件被害女性の闘病日記

12年ぶりに再会した被害女性の手首には

 A子さんが『創』編集部を訪ねてきたのは2011年9月初めだった。本人から電話があり、会いたいということだった。12年ぶりの再会だった。

 編集部を訪れた彼女は、声もか細く、今にも倒れそうな弱々しい印象だった。手首に包帯を巻いているのは、明らかにリストカットの跡であった。

 彼女は1998年に大々的に報道された某大学集団レイプ事件の被害女性である。当時はまだ19歳。この秋に33歳になった。事件当時、この被害女性に直接会って話を聞いたのは『創』だけだった。

 事件は97年11月13日未明に起きた。彼女が警察に被害届を出して捜査が動き出し、学生らが次々と逮捕されたのは98年1月20日だった。計8人の学生はいずれも実名・顔写真入りで、「レイプ犯」「鬼畜」などとセンセーショナルに報じられた。20日に逮捕されたのは5人、その後24日に他大学の学生も含め3人が逮捕された。

 当時『創』がこの事件に取り組んだのは、逮捕された学生のうち2年生だった2人の親たちが、あまりにセンセーショナルな報道に反発し、BPO(放送倫理・番組向上機構)に申し立てたり、週刊誌を提訴したのがきっかけだった。当時の報道が事実と違う内容も多く、あまりにひどいというのだった。

 報道内容を検証するために、事件に関わった学生たちに個別にあたり、逮捕された学生のうち4人に話を聞けた。そして被害女性にも接触した。1カ月近く続いた騒動だったが、当事者に直接取材した週刊誌やワイドショーはほとんどなかった。

 そもそも被害女性の母親も取材は受けたことがないと言うのだが、幾つかの週刊誌には堂々とコメントが掲載されていた。恐らく警察から情報を得たのだろうが、伝聞情報を「告白」と銘打って載せたものだったため、細かい事実関係は間違いだらけだった。

 まだ騒動の渦中だったため、本誌の取材に応じてくれた人たちも冷静というわけにはいかなかった。特に被害女性のA子さんには母親と一緒に話を聞いたのだが、事件について話しながら涙を流し、取材の途中で呼吸困難に陥った。

 そして、その彼女が事件から12年を経て、編集部を訪ねてきたのだった。

 

 実は彼女は、事件によるPTSDから抜け出せず、心に深い傷を負ったままなのだった。この間も、リストカットや自傷行為を繰り返し、突発性難聴や原因不明の高熱も続いているという。そして彼女は、何とかそこから抜け出すために、敢えて事件と向き合うことを決め、編集部を訪ねてきたという。両親は、彼女がこれ以上傷つかないようにと事件についての報道は極力見せないようにしていたため、彼女は自分の証言の載った雑誌をまだ読んでいなかったのだという。

 事件と向き合うことで、自分のトラウマを克服しようというのは、投薬治療では限界があると判断した精神科医の勧めでもあり、母親もそう思ったのだという。同時にA子さんは、その年の東日本大震災で辛い体験をし、PTSDになっている人もいるに違いないと考え、自分の経験を通してPTSDについて多くの人に知ってほしいと考えたという。

 その後、私は本人から何度か話を聞き、12年ぶりに彼女の実家も訪ねて母親にも話を聞いた。A子さんは、治療のために専門医にも足を運んでいた。そして、そうしたプロセスを日記に記し、自分自身を見つめようとし始めたのだった。

 

示談を経て不起訴に終ったレイプ事件

 集団暴行事件が発生したのは1997年11月13日未明のことだった。前夜の午後11時頃、某大学運動部約10人が、八丁堀のカラオケボックスに集合した。そこはメンバーの一人がアルバイトをしており、12時を過ぎると社員は帰宅してバイトだけになるので、ほぼ貸し切りで飲み会ができると判断したのだった。

 部員たちは1階で待ち合わせた後、3階のパーティールームに移動し、飲み会を始めた。当時、赤坂の居酒屋でバイトをしていたBは12時過ぎに東京駅で、事前に連絡していた女性2人と落ち合い、カラオケボックスに合流する。実は被害女性A子さんは彼の元交際相手で、友人の女性を連れて飲み会に来てくれないかと誘っていたのだった。A子さんはそれに応じたものだが、ただ部員らが10人もそこに待っていることは現場に行くまで知らなかったという。

 Bと付き合うようになったのは、A子さんが高校生の時、友人を介して知り合ったのがきっかけだった。何度かデートを重ねたのだが、そのうちに「お気に入りの子が他にできたらしい」と友人に聞かされ、彼女は自分から電話で別れを告げた。しかし、Bに好意を抱いていたようで、後に社会人になってから再び連絡を受けて再会し、交際が復活した。深い関係になったのはその時だった。そしてその再会から何カ月か後に事件にあったのだった。果たしてBが了解のうえでその事件が起きたのか、あるいは偶発的にそうなったのか。A子さん自身、いまだに真相はわからない。

 カラオケボックスに合流した後、アルコールが飲めないA子さんは、彼女に目をつけた他の部員に半ば強引に酒を飲まされ、酔ってしまう。他の連中がパーティールーム16号室で騒いでいる間に、同じフロアにある小さな別室13号室に誘われたA子さんは、そこでBと合意のうえ性行為を行った。

  ところが彼は気分が悪くなって、トイレへ行くと言って出て行ったまま帰ってこない。彼女が衣服を着たところへ、その前から彼女にちょっかいを出していたCが入ってきた。そして彼が性行為を強要したという。他の男たちもやってきたので、彼女は、「Bはどこ? Bを呼んで」と助けを求めるが、応答はなかった。Bはその部屋の前の女子トイレで酔いつぶれて寝込んでしまったのだという。

 A子さんは男たちに囲まれ、威嚇された。殺されるのではないかという恐怖に襲われ、抵抗するすべもなかった。ただ、このあたりについては、当事者たちの話も食い違いを見せる。そもそもその部屋はうす暗かったし、途中から呼ばれてやってきた者のなかには状況を理解できない者もいたらしい。後に取材に対して「嫌がる女性を無理やり強姦するほど俺達だってバカじゃないですよ」と容疑を否定する者もいた。

 A子さんは翌朝解放されるのだが、彼女は、Bもグルだったのではないかと疑った。警察もそう考えたようで、レイプ現場にいなかったにもかかわらずBも逮捕された。ただ、警察が疑った事前共謀はどうやら立証は難しいと判断されたようだ。Bは、私の取材にも応じて、寝入っていた間、何が起きていたのか知らないと答えた。

 よくわからないのは、事件のあった13日の午後に、Bが何も知らない様子でA子さんに電話をかけてきたことだ。Bは、呼びだしたのに酔いつぶれてしまったことを謝ろうと電話したのだという。ただ、事件で憔悴していたA子さんからすれば、その電話で彼が笑っていたのが信じられなかった、という。

 彼女はその後、警察に届けた方がよいとアドバイスされ、悩んだ末に母親に事情を打ち明け、警察に被害届を出した(正式に受理されたのは11月20日付)。警察で何度か事情を聞かれ、告訴したのは12月24日だった。

 年明けの1月19日、大学生5人が警察に呼ばれ、20日未明に逮捕状が執行された。前夜からマスコミの取材報道が始まり、逮捕後の朝のワイドショーはこの事件の報道一色になった。

 

事件は当事者たちに何を残したのか

 こう書いてくると、事件の経過は明白に見えるが、実はそう簡単ではない。逮捕された学生たちは警察の取り調べに対して外形的事実は認めたが、レイプと呼ぶようなことはしていないという主張だった。密室での行為だっただけに、裁判での立証は簡単ではないと思われた。

 最初に逮捕された5人が勾留満期になる2月9日、学生7人と被害者との間で示談が成立した。その間、逮捕された学生の親のなかには、いきなりA子さんの自宅を訪れて土下座した人もいたという。示談成立にあたっては、逮捕学生の親たちや弁護士の強い働きかけがあったようだ。裁判になったら被害者側も再び辛い目にあう。そういう説得を受けて、A子さん側も折れることになったらしい。

 結局、逮捕された学生8人が処分保留のまま釈放、後に不起訴となった。学生たちが釈放された夜、大学は記者会見を行い、14日に学生たちの処分を発表。事実認定は難しいとして、迷惑をかけたことが処分の理由だった。

 集団レイプ事件の真相はどうだったのか。不起訴となったことで、細かい事実の確定は結局行われないままとなった。ただ、被害者であるA子さんが、深い心の傷を負ったのは確かだった。特に信頼していた交際相手の男性に騙されたのではないかという疑念は、彼女を苦しめたようで、A子さんはBに本心を聞きたいというのだった。

 A子さんは事件について語るたびにボロボロと涙を流した。トラウマを乗り越えようとする彼女を応援したいという思いから、『創』は彼女の日記を公開することにした。日記は2011年12月と翌年1月号に掲載された。ここではその主な部分のみ紹介しよう。

●9月×日

 今日、篠田さんに会いに行った。

 あの時以来、私の中で止まったままの思いが逆転。篠田さんからBの話が出たときは少し混乱した。 彼等のことを聞くつもりは一切なかったので、ずっと震えが止まらず、何をどう話したかさえ忘れかけているけれど、今まで私が、この先~したかった、~したいという想いは伝えられたのかと......。

 当時の雑誌はもうないらしく、私と母へとコピーをくれた。その時はまだ見られなく目を背けるので一杯だった......。

 そして今、初めて開いた。誰かの拘留中日記なんか関係ない。読む気にもならない。

 そして最初は(もうK以外の名前を覚えていない)その中の誰かの証言。頭の中の崩れたパズルが蘇ってくる。嘘!嘘!嘘!!!「真実」と言いながら何故嘘をつく!?

 勿論、合っている部分もあるが、私をそんな風にとらえていたの? それとも自分を守るため?? 物凄く情けなくなった......。 次々に色んな事が書かれてあり、蘇った記憶との相違点が次々と浮上。

 私、大勢だなんて一言も聞かされてなかった。BとのSEXの後、すぐ服を着て、Bが戻ってくるの待ってた。でも笑いながら嫌だった人が入ってきた。抵抗して泣き叫んだ。Bの名前を大声で何度も叫んだ。大声で叫べば誰かが気付いてくれると思った。「Bは来ねーよ」その言葉......聞こえてきた。そこからは思い出せない......。

 気づいた時には大きくて怖い人がいた。泣いたのか抵抗したのか、私が声を上げると「うるせー女だ」「なぐるぞ」「下の毛燃やすぞ」とライターの火を目の前に......そこはハッキリ覚えてる。毎日見る悪夢。誰が誰かわからない。沢山された。抵抗したって無駄だとあきらめた。こんな身体の人たちに抵抗したって無駄。殺されると。

 水が欲しい、と言ったら水を顔にかけられた。......もう覚えていない......。

 服を着て?エレベーターに乗ってYちゃんと、もう一人の男の人と駅で少し話して帰った。

 バイバイした後、電車に飛びこもうとした。何故生きて家に戻ったんだろう?

 思い返す度、記事を見る度に「違う!」「違う!」と心が叫ぶ。

 当時の私、きっと混乱でいっぱいだったのだろう。なぜあんな目にあってもBの事を気にしていたのか......。確かにBの事、本当に好きだった。

「真実」を知って欲しい。 今更だけど、訂正したい。 そして記憶から消えて欲しい。

 それは無理だけど......せめて「真実」をどうか......。

●9月×日

 昨日は一睡もできず。何度も眠剤、安定剤を追加したが全く効かず......。まあ慣れているけど......。 昨夜、母と少し話をした。今後の事、病院の事等......その中でずーっと精神科やカウンセラーを拒否(拒絶)している理由もわかった気がする。

 確かに沢山学んで、臨床を重ねられている方もおり、全員を否定という訳ではないが、皆実際に同じ事を体験してきたのだろうか?たとえ体験したり沢山の患者さんを診てきたとしても、表面でしかくくれないのではないか?と。実際自分自身も色んな病院、カウンセリング等で治療を試みたが、いつも引っ掛かっていた。要は「不信」なのであろう。

 同じ病名でも指紋のように一人一人違う。そこまで見るのは限界があるから? 心から信頼できる医師、カウンセラーに会ってみたい。

●9月×日

 一昨日も昨日も、ただただ寝込むだけ。薬とリスカで現実逃避。入院中から始めようと購入した写経セットを始めてみたが、手が震え、集中力ももたず、結局3分の1がやっと。でも気持ちは込めた。

 昨日はBの事が頭にずっと浮かんだ。色んな事を思い出した。高校の時の付き合っていた時、練習後に急いで近所まで来てくれ、公園で誕生日プレゼントにもらった香水。Xmasには3組でPArtyをし、コンビニに行った時恥ずかしそうに差し出した小箱、指輪だった。涙が出まくるほど嬉しかったのを想い出す。こんな思い出あったんだね。

 あの頃の彼が、私が止まったままなのかも。彼がずっとつけてた香水、今でも持ってる。 嗅ぐと眠くなる......。

 別れた日もハッキリ記憶している。 彼に他に好きな人が出来、一緒にボーリングに行ったと彼の友人から聞き、その晩、親友の家に泊まって、そこから電話をし、別れを告げた。数秒の沈黙があったが、「いいよ......わかった......」と。

 そして翌朝阪神大震災があった。

 事件の時の事もどんどん思い出していく。部屋に初めて入った時、おどろいた。何らかの怖さもあった。だって、「先輩と飲むから女の子1~2人連れてきて」って言われたから、コンパみたく、男の人も2~3人だと思ってた。けど、Bがいるし、周りも彼女みたく思ってくれているんだろうなと思って......。ばかだ。すぐにでも帰れば良かった。電車なくても歩いてでも。

 そういえば、何でBは離れた席にいたの? 私が一番嫌だった人に口移しで梅酒を飲まされた時も、すみれSeptemberが流れてた。あの曲きくたび今でも気が狂う。

 皆、若気の至りで済ませてるの? あの時の気持ち教えてよ......。巡る記憶が破壊していく......。こわれてく。

●9月×日

 今日も朝から頭痛、吐き気、胃の痛み、耳鳴り......諸々と体調が×。でも動かなければ体力も脳も低下する。少し頑張って銀行へ。たった300メートルくらいなのにまたダウン。情けない。横になっている間に篠田さんへ記事を読んだ感想等をメールしてみた。

 もう思い出すのは無理だろうと思っていた事、どんどん蘇ってくる。また黒い影が追ってくる。突然あらわれる黒い影。やっとわかった。あの日Bが出ていってから入ってきたあの一番嫌な人だ。もう名前も顔もわからない。でも、Bの同級生で、私に口移しでお酒を飲ませた人。近付いてくる......逃げなきゃ......来ないで......。たすけて......。

●9月×日

 今日は家族の誕生日。頑張って起きて最高の誕生日に!!と思っていたもののダメ......。イライラ、フラフラ、暴言、自傷(トイレにこもって壁(石)に左肘を何十回以上も打ちつける)。おもいっきり打っても痛くない。痛くないと意味がない。ヒビが入るんじゃないかって位、強打した時、痛いハズなのに何故か嬉しかった。皆に当たったバチだ。罰だ。そうしなきゃ気が済まない。人の心を傷付けたんだから当たり前。

●9月×日

 私は最悪。最低。苦しいからと......。「自分が苦しいから」と皆に負担を掛けている。少しでも光を見つけると、そこを頼りに図々しく甘えまくってしまう。この依存治さなきゃな。自制がきくようになりたい。今日も篠田さんが忙しいのわかってた上で自分の事ばかりでメールしてしまった......。焦らず......と思っていても止められない。頭の中に「生か死か」の2択ばかりになってしまう......。

 薬、飲んでも飲んでも眠れない。暗闇が怖い。人の気配が怖い。薬ほんのり効いてる、けど眠れない。

●9月×日

 母親らしい事、何も出来ておらず......。下の子が金魚を見て、すっごく喜んだ時、「いつか早く水族館に」って母に介助してもらいながら水族館へ。子供は大喜び。良かった。水族館自体、私とーっても大好きだったはずなのに、何の気持ち、嬉しさ、楽しさが......何の感覚もない。

 ただどこかの空間、人の中にポツンと......。大好きな場所さえ興味なくなっちゃったの......? 魚達を見てるの好きなのに。何で? 何の感覚も出ないって......。でも、そんな自分にはこうやって書いてみて、はじめて気付く。これは心の整理ノートになるのかな? なるといいな。このノートがいっぱいになった時、初めて最初から見てみよう。今は怖くて開けないから。どんな事書いてあるのだろう......。

 朝から食後の胃痛が激痛になった。ぶどう一粒でも痛い。食べてない間でも痛い、また胃カメラかな......。 そろそろ杖も用意しないと。お天気の日に傘持ってたら変だもんね。いつまでも傘を杖代わりはムリかな。

 携帯や知人伝いに「EMDR」という治療法を見た。85%の治癒率......やってみたい。

当時逮捕された男性に接触を試みた

 以下長くなるので日記の紹介は割愛する。全文読んでみたい人は、前述したヤフー雑誌の記事をご覧いただきたい。この時期、A子さんは医者の治療を受けながら、毎日、日記を書いてある程度たまるごとに私に送ってきた。彼女が久々に事件のことを思い出し、事件と向き合うというプロセスだった。上記に引用した部分からでもわかるように、彼女はBに好意を寄せていた。そして事件によって突然関係を断たれ、その後、一度も会っていない。彼女の中で、12年たってもBの存在が微妙な影を落としているのは、日記からも読み取れた。

 この事件をもとに書かれた吉田修一さんの小説『さよなら渓谷』では、レイプ事件の加害者と被害者が、その後再会し、同居を始める。もちろんそれはフィクションなのだが、吉田さんはもしかすると、当事者らの関係や証言を詳しく掲載した『創』を参考資料として読んだのかもしれない。加害者と被害者の交錯する思いが小説のモチーフになっていて、それを原作にした映画を映画館で観た時、私はフィクションなのにリアリティに満ちたその内容に驚いた。

 さて、A子さんが12年ぶりに私を訪ねてきた理由を、最初は、事件当時の『創』誌面を見たいと語っていたのだが、彼女と接触するうちに、それだけではないことがわかってきた。吉田さんの小説ではないが、彼女は12年ぶりにBに接触を試みようとしていたのだった。

 以前交際していたから、彼女は彼の自宅を覚えており、まず手紙を書いてみようと考えた。しかし、彼女からその相談を受けていた私としては、相手が「何をいまさら」と反発するのが予想できた。

 12年ぶりに昔好きだったBに会うという彼女の思いは、もしかすると彼女の精神的病を一気に治すことにつながるかもしれない。だから私は、無謀とも思えたその提案を手助けすることにした。ただ一方で、問題がこじれると、A子さんをさらに精神的に追い詰めることになることも予想できた。どうすべきか悩んだ末に、私は彼女の提案に賭けてみることにした。

 A子さんが直接Bを訪ねるというのはありえないことだったので、まず私が代理として接触することにした。事件当時、取材で私はA子さんにもBにも会って話を聞いており、面識があったからだ。しかもBの印象は悪くない、まさに好青年というものだった。そこでまず、Bに「会いたい」という手紙を書いたのだった。

 通常ならレイプ事件の被害者と加害者が再会するなどありえないことだ。でも日記を読めばわかるように、彼女のKへの思いはなかなか複雑だ。Bへの不信の念と、それでも信じたいという思いとが、交錯しているのだ。

 集団レイプの現場にいなかったにもかかわらず逮捕されたことでわかるように、この事件へのBの関わりはなかなか微妙だ。本人は、酔いつぶれて寝入ってしまい、集団レイプがあったことは全く知らなかった、後で友人から聞いてびっくりしたと供述した。つまり逮捕自体が誤認だったという主張だ。それが本当ならBは冤罪の被害者ということになる。 

 しかし、なぜ彼が逮捕されたかというと、A子さんが、実はBもグルだったのではないかと疑ったからだ。警察も当初、事前共謀という線で捜査を進めていたという。ただ結局、立件は難しいということになった。恐らくA子さんの内面にそのことはひっかかっていて、真相を直接Bに質したいと考えたのだろう。

 B宛てに書いた手紙を出して数日後、彼の父親から私に電話があった。予想通り、今さら事件を蒸し返して何になるのかという反発の返事だった。印象に残ったのは「息子も大学を退学となり、十字架を背負って生きているのだ」という言葉だった。

 あれだけの事件になったのだから、加害者とされた側も十字架を背負わされたのは確かだろう。事件は不起訴となったが、実名・顔写真入りの大報道は、裁判所がくだすべき以上の大きな処罰を当事者たちに与えたに違いない。

 それから何日かして、Bと父親からの手紙が届いた。内容は厳しいものだが、そんなふうに返事を送ってきたこと自体、Bのせいいっぱいの誠意のあらわれであるように思えた。

《この度、お手紙を頂きまして、大変迷惑をしているのが本心です。あれから13年経過して、自分も、事件の事を背負って、苦しみ、悩み、又、忘れようとして頑張ってやってきましたが、ここに来て、なんで今更というのが本心です。事件の首謀者にまつりあげられ、まったく身に覚えがない事まで言われ苦悩したが、彼女を呼んだ事の事実は消しようもない、その責任は充分感じていますし、自分は男だからどんな事でも耐えて生きて行くつもりです。》

 手紙はこの後、示談が成立したのにどうして、という疑問が表明され、次のように書かれていた。示談は成立したものの、彼女に直接詫びるという行為がなされていないではないか、と私が書いたことへの反論だった。

《私が釈放された際、私と両親ですぐその足で、ご自宅に赴き謝罪するつもりでお電話をさしあげたところ、お母さんから、もう一切関わりたくないので来ないよう強く言われましたので、謝罪にお伺いできませんでした。だから、一切謝罪がないという彼女の見解は間違っております。》

 恐らくA子さんとしては、自分のPTSD状態から脱却するために、Bに再び会って事件と向き合いたいと考えたのだろうが、この手紙でそれは一頓挫を余儀なくされた。

「深い地底にハシゴが降りた」

 Bと父親からのメッセージはもちろんA子さんに伝えた。その結果を彼女がどう受け止めたのか、日記をもう少し引用しよう。

●10月×日 夜

 見つけた。まだあった......Bの実家。

 やっと手掛かりが!と思うと同時に震えが止まらない。わかんないけど涙が止まらない。

 手紙を出すのは簡単だ。でも、多分私はBを恨む気持ちまでまだ到達していない。あの日から時が止まってしまったから。そして何よりBのご両親が心配。ご両親は何も悪くない。忘れたい事だろう......そんな時に私から連絡が来たら......。

 本当は本人と直接連絡をとりたい。彼から繋がるフラッシュバックはきっとある。けど、彼自身、彼だけは合意の上。その点について直接的な怖さはない。それに何より自分のこの目で、耳で、口で確認したい。でも、それはまた遠回りになってしまうので、ご両親には申し訳ないが手紙を送ろう。書けるかな......何て書いたらいいんだろう。

●10月×日

 まだ足が痛い。でも自業自得だ。自分でもイカれてるのはわかる。

 今日、篠田さんから原稿が届く。まさかこんなに早く動いてもらえると思ってなかったので驚き。何よりもPTSDを一早く世に伝えたかった私の希望が叶った。どれだけの人の目に触れるのだろう? 原稿と共に私が書いていたものを初めて読み返す。同じことを書いている日もあるし、メモ書きのようなものだからバラバラ。自傷行為・弱音・こうして改めて見ると恥ずかしい。情けない。でも、こうやって改めて客観的に見る事は治療に繋がるかもと感じた。文章にする事は良いんだな。Kとの事も時が止まったままだけど、改めて気付く。そこから進まねば。但し、ゆっくりと。

 原稿を開いた時「誰かの目に触れる」という事で一瞬書き続ける自信をなくした。「同情をもらうために過剰に書いてしまうのではないか? その場合、あるがままの現状、過去の真実を書けるのか?」と悩んだ。でも、このノートを開くと自然と言葉が走る。真実でなければ意味がない。良かった。

●10月×日

 昨夜、日記を読み返すと共にネットで事件の事が何かないかと調べた。不起訴になった今、もう殆ど情報はなかった。中には「不起訴になったのは女にも非があるからだ......(以下言葉がひどすぎて書けない)」という言葉も。最初に帰らなかった私がバカだったのか......?

 そんな中でも思いやりの言葉を書いてくれている人が沢山いた。苦しかったが周囲の反応、特にネット上という顔の見えないところでの様々な受け方を見たという事は更に今後の認識度を高めたいという気持ちに繋がった。書いて思い出す今も震えは止まらない。なんだか涙が溢れてきた。何に対する涙かは不明。ペンを握る力もなくなってきた......

●11月×日

 先日篠田さんがBに手紙を書いてくださると言った。どうなったのかな......届いたのだろうか。届いたとしても返事なんてないんだろうな。でも私もきちんと文が書ける時に早急に書きたい。

 苦しい。呼吸が止まりそう......。

●11月×日

 僅かな眠りの中、いつもの悪夢と少し違う夢を見た。交際当時のBと私。以前書いた公園にいる。その後、突然暗闇・崖の上。恐怖心と共に取り残された自分だけのまま目が覚める。夢の中の彼は無表情。いや表情すらわからなかったかも。

 夕方篠田さんから連絡があり、Bからレスポンスがあったと。内容はまだわからない。少し嫌な予感。

 今日も些細な事で激しく落ち込む事があった。何も出来ない私が悪い。トイレに閉じこもり、うずくまり頭を抱えながら泣き唸り、自傷行為に走り......そうになったが、また今日も何度かの葛藤の末防げた。

 正直消えたい。何の役にも立たない。

●11月×日

 何も出来なかった。ひたすら落ち込んでしまった。色々と考えメモを残そうとしてもペンすら握れず。 正直、遺書は用意し始めている。そう、生きる気力がなくなり、私が前を向こうとすればする程、周囲を巻き込み、相当な迷惑をかけているんだな......と。

 線路の上を歩いている時にカンカンと警報音が鳴り始め、急げない私はそのまま立ち止まる事を考え止まった。このまま死んじゃえばいいのに。でも周囲が気付き、それこそ更にまた迷惑な話。どうしたら良いのだろう? 存在している意味がわからない。

 悲しい。悲しいよ。沢山泣いた。一日中泣いていた。今も止まらない。涙は悲しみを流し、気持ちを切り替えてくれると言うけれど、一向に流れていかない。胸が痛い。

●11月×日

 ふと......真っ暗闇の深い地底にハシゴが降りた。登れる力がない。しかし力をつければ登れる。

 『創』でA子さんの闘病日記を公開して以降、多くの人から連絡をもらった。ほとんどが自分も同じ目にあったという女性だった。なかにはA子さんと同じような精神状態に自分も陥っているとして、治療法について詳しく尋ねてきた女性もいた。

 A子さんとはその後も時々メールをやりとりしてきた。そしてさっき電話をして、久しぶりに話をした。冒頭に書いたように、精神的傷はまだ癒えておらず、まだ治療を続けている状態だ。

 事件からもう20年を超えている。

 性犯罪は魂をも犯す、と言われるが、現実は深刻だ。

 

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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