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相模原事件・植松聖被告が期日前投票! 選挙と民主主義について思うこと

篠田博之月刊『創』編集長
10月12日の各紙の選挙予測報道

 このところ相模原障害者殺傷事件の植松聖被告に接見を重ねているが、10月19日に接見した時、ちょっと驚いたのは、彼が総選挙の期日前投票をやっていたことだ。彼は事件を起こした相模原市に住民票があるのだが、今の拘置所まで投票用紙が届いたというのだ。相模原市の尽力によるものか、あるいは拘置所のはからいによるものか、仕組みはよくわからない。どこに投票したかも聞いたが、その答えは伏せておこう(ま、予想通りだけど)。

 私が感心したのは、日本の民主主義がそれなりに強固なシステムになっているんだなということだ。昨年、19人の障害者殺害という衝撃的な事件を起こした当事者にもきちんと市民的権利が行使できるよう手続きがなされている。戦後の民主主義が、それなりの機能を保ってきたことの一例だろう。考えてみれば日本で刑務所や拘置所にいる獄中者はそれなりの数だから、きちんと投票用紙を送る対象になっているということだろう。

 さて植松被告の現況については別の機会に書くとして、ここで取り上げたいのは10月12日の新聞各紙で一斉になされた「与党300議席に迫る勢い」「自民、単独過半数の勢い」といった選挙見通しの報道だ。この間、「安倍一強」に国民の多くがNOの声を上げ、支持率に反映されていたのだが、それを知っている人の多くが、この報道を見て「脱力」したに違いない。民意がこれほど反映されていない民主主義っていったい何なのだ、と。

 小選挙区制というシステムの問題が大きいのだが、支持率が4割でも議席の大半を占有できるというこの状況は、国民の民主主義に対する信頼を喪失させる。どうせ選挙に行っても現状は変わらないという、あきらめの気持ちを強いることになる。

そもそも安倍政権は、選挙のたびに経済の再生を強調して、選挙に大勝したとたんに秘密保護法や安保法制を強行採決するという、国民を愚弄するようなやりかたを続けてきた。今年になってからの支持率低下は、それに対する国民の怒りがもたらしたものだ。それにも関わらずまたもや選挙で大勝というのでは、もう多くの国民は政治に愛想をつかすほかない。

 幸い、12日のマスコミの報道の一方で、いまだに安倍一強に対する国民の反発は強いという調査結果も報じられている。多くの国民は、安倍一強には反発しながら、でもそれに変わる政権の選択肢がないために結果的に先のような調査結果が出ているわけだ。

 台風も来ているし、今回の総選挙は極端に投票率が下がらなければよいがと心配だが、それにしても民意と永田町の勢力に大きなずれがあるこの状態は、何とかならないものか。このままでは本当に、「どうせ現状は変わらない」「誰がやっても同じ」という諦めムードがますます高まっていくだろう。選挙結果に関わらず、この問題、もっと議論されてよいような気がする。

 ただ、一方でこの間、安倍政権の強権政治ゆえか、市民運動の根強い広がりには注目すべきものがある。野党は劣勢をしいられているのだが、民主主義の象徴というべき市民運動の方は、共謀罪法が施行されて以降も9月15日には日比谷野音を満席にするような反対集会が実現されているし、改憲反対、反原発、共謀罪廃止などそれぞれの運動が次第に統合する流れもできつつある。

9月15日、共謀罪廃止を求める日比谷野音集会
9月15日、共謀罪廃止を求める日比谷野音集会

 安保法制の時の学生たちのSEALDsは解散してしまったが、2017年には「未来のための公共」(以下「未来公共」)という、若者中心の別の集団が生まれた。まだそんなに大きな勢力になっていないので、知らない人も多いが、既存の運動とかなり様相を異にしているなど新しい装いを持っている点はSEALDsと同じだ。

『創』11月号でそのメンバー馬場ゆきのさんにインタビューしたが、本格的に抗議デモなどに参加するようになったのは今年からだという。ちょっとしたきっかけで、それまでデモの経験などなかった人が変わっていくというのは近年の市民運動の特徴だろう。

安倍一強に対する抗議の支持率低下に示されるように、日本の民主主義はまだ死滅していない。永田町の勢力図だけ見ると絶望的になるが、それを超える可能性を秘めているのが民主主義だ。

 今回の選挙は、民進党の解体や立憲民主党の誕生など、いろいろな新たな問題を提起しているのだが、単に永田町だけに矮小化してみると本質が見えなくなると思う。

 そうしたことを考えるうえでの参考のために、馬場さんのインタビューの一部を紹介しよう。

==20歳を迎えての決意と「未来のための公共」のこと==   馬場ゆきの

馬場 私は2月15日が誕生日で20歳になったんです。選挙に多少関わったこともあって、20歳になったことでもうちょっと考えなくちゃいけないと思ったんです。

 自衛隊の派遣は、命の危険にさらされるだけじゃなくて隊員の心の問題もあるじゃないですか。だから撤退させなきゃという思いにかられたんです。

 そういう思いは安保法制の時もずっとあったんですけど、でもやっぱり友達からどう思われるんだろうみたいなことを気にして、行動出来なかったんですね。デモに出るというのが、何か抵抗がありました。ただ20歳を前にした時に「こんなんで大人になっていいのかな」って。自分の意思や考えを言えずに大人になるのってすごい恥ずかしいし、こんなに周りの目ばかりを気にして生きていくのってちょっと辛いよなというのがあって、「じゃあ思い切って行こう!」と、行ってみたんです。

 国会前でしたが、誰かがコールしてそれに返す、レスポンスだけして、本当に参加者のひとりとして行動しました。2月と3月の初めぐらいは金曜の夜に、行ける時は行っていましたね。

――大学でそういう運動をやっている人はいないんですか?

馬場 いないですね、少なくとも友達には。私が知らないだけかもしれないですが。安保法制の時も、大学では抗議の運動とか全く見られなかったですね。実は教員の側には「学者の会」が私の大学でも立ち上がっていたことを、最近というか、「未来公共」の運動をして初めて知りました。自分の大学に安保法制に反対の運動があったということを。

――あなたは大学の友達を抗議行動に誘ったりしているんですか?

馬場 誘ったりはないです。最初は自分がこういう運動をやってること自体、話せなかったんです。でもテレビのニュース番組に私が抗議行動をしているところが映ったらしくて、「あ、映ってる」みたいな感じでツイッターにあがった。それでいろいろな人にバレて、そこから「ま、バレてもいいか」と、吹っ切れました。「これは自分の意思でやってることだから」と。

――大学の友達には、あなたが「未来公共」の活動をしていることは、あまり知られていなかったわけですね?

馬場 何か「忙しそうだなー」って感じで思われてるだけでした。

 本当は大学の友人も誘って一緒に抗議行動に参加できれば、そうするのが一番いいなと思うし、やろうとは思うんですけど、やっぱり「デモに来て」とはなかなか言えない。共謀罪についてとか全然話は出来るし、今の政治について話すことは出来るけど、やっぱり直接「デモに来て」とかは言えない。自分もデモに行くのに時間がかかったし、友人を誘うのは難しいと思います。

――世論調査などで20代は保守的と言われるんですが、たとえば自分の大学を見ていてどう思いますか? 無関心な人が多数派?

馬場 そうですね。無関心が多数だし、何となく感じ取れるのは、まあ今ほど悪くならなきゃいいっていうか、現状維持みたいのをすごい重視してる人がいて、「別に今のままでいいから安倍政権でいいや」みたいな人が多い気がします。今の状況にすごく満足しているかっていうとそうでもないけど、いろいろ変わって悪くなるんだったら今の方がマシだみたいな、多分そういうのが多い。切実に「変わってほしい」みたいな気持ちがないからこそ、投票にも行かないんでしょうね。

インタビューの全文は下記のヤフーニュース雑誌にあげたので興味ある人は見てほしい。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171020-00010000-tsukuru-soci

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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