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百田尚樹、香山リカと相次ぐ講演会中止は、言論をめぐる危ない状況を示している

篠田博之月刊『創』編集長
『週刊新潮』百田尚樹さん手記と香山リカさん講演会中止を伝える毎日新聞

6月10日に予定されていた一橋大での百田尚樹さんの講演会が中止になった騒動については、私が一橋大の卒業生だということもあって関心を持って調べており、21日に行われた同大の学内集会にも参加した。そしてその帰路、27日に予定されていた香山リカさんの講演会が中止になったとのニュースに接した。

ふたつの中止事件が関連していることは明らかだ。しかも、これを放置しておくと深刻な事態に陥りかねないことを予感させる。ここできちんと社会的議論を起こさないと言論をめぐる危ない状況が一気に広がる恐れがあると思う。

私が編集している月刊『創』は、差別表現やコミック規制問題など「言論と規制」をめぐる事件をたびたび取り上げてきただけでなく、例えば映画『靖国』『ザ・コーヴ』などの上映中止事件をめぐって公開討論や自主上映を行うなど、積極的にコミットもしてきた。

その中で感じるのは、この10年ほど、講演会や集会に会場を提供している自治体や大学が、めんどうになることを恐れて少し脅迫を受けただけで集会を中止してしまうという萎縮状況がどんどん拡大していることだ。

一橋大学兼松講堂
一橋大学兼松講堂

6月21日、一橋大のキャンパスに入って目についたのは「一橋大学教職員・学生にたいするウェブ/SNS上のヘイト発言に抗議する」という同大の教職員組合のタテ看だった。百田尚樹さんの講演会中止が6月2日に発表され、東京新聞、産経新聞、毎日新聞などが報じて大きな社会問題となり、さらに百田さん自身が産経デジタルや『週刊新潮』で中止に抗議する手記を発表。騒動は大きく拡大した。

それを経て、今何が起きているかというと、百田さんが「実行委メンバーをノイローゼに追い込んだ『言論弾圧団体』」(週刊新潮6月22日号)と名指しした人権団体メンバーなどへの激しい攻撃が続いているのだ。

騒動の詳しい経緯については『創』次号8月号に書く予定だが、問題なのは、その百田さんの手記にいろいろな誤解や事実誤認があり、それを受けた人たちが、名指しされた団体「反レイシズム情報センター」(ARIC)の代表である同大大学院生などを一斉に攻撃していることだ。どうして誤解が生じたかというと、講演会の主催者だったKODAIRA祭実行員会と百田さんのやりとりには間にイベント会社が入っており、講演中止に至った説明の細部が必ずしも正確に伝えられていないようなのだ。

例えば、講演会に反対していたのは一橋大の学生、院生、教員など様々なメンバーで、幾つかのグループがあった。そして、そのなかで明確に講演会中止を要求に掲げていたのは、ARICとは別のグループだった。百田さんの手記を読むとARICだけが標的にされているのだが、なぜそうなったかというと、同団体が反レイシズムを掲げ、代表が、ネトウヨの標的である「在日」の人だったからだろう。つまり敵として「わかりやすかった」のだ。

講演会に反対する一橋大学生・院生などと実行委員会が一堂に会して話し合いを行ったのは5月12日だが、百田さんが手記の中で実行委員会に「脅し」がかけられたと書いているのもこの時の話だろう。ARICが「われわれと別の団体の男が講演会で暴れるかもしれないと言っている。負傷者が出たらどうするんだ?」とヤクザまがいの恫喝をかけたとされているのだが、それに続けて百田さんはこう書いている。

《これは直接的ではないにしろ、ほとんど恐喝です。やくざ映画などで親分が「わしは何もしないけど、うちの若い者の中には血の気の多い奴もいるのでな」というセリフに似ています。》

百田さんは、ARICメンバーが、身内の関係者が暴れたらどうするんだ、と語ったといって紹介しているのだが、実際には話し合いの中で「暴れるかもしれない」男として想定されていたのは、百田さんのシンパとして講演会に来るかもしれないネトウヨの人たちのことだったらしい。つまり一橋大関係者にとっては、講演会にネトウヨがやってきて、それに反対する人たちとの間で負傷者が出るような混乱になることを恐れていたというのが実情のようだ。そのために警備態勢をどうするかが大きな問題になったことが、中止の大きな理由だった。百田さんの説明では、実行員会に外部から「サヨク」や「在日」が脅しをかけて講演会を中止させたという構図になっているのだが、それもそう単純な話ではない。

細かい経緯の説明を省いて単純化して言うと、私はこの一橋大騒動でKODAIRA祭実行員会は「二度にわたって虎の尾を踏んでしまった」と思っている。最初は、百田さんを招いて大学公認の講演会を同大学の象徴である兼松行動で行うという企画を立ちあげてしまったこと。どう考えても反発の声が学内から起こるのは必至なのに、それを明らかに過小評価していた。例えば昨年、早稲田大学のサークル「人物研究会」が早稲田祭に在特会の元会長・桜井誠さんを招いてシンポジウムを企画し、結局猛反発にあって登壇中止になった事件があった(都知事選についてのシンポジウムで、櫻井さんは当日になって登壇を断られたが、他の元候補によってイベント自体は実施)。そうしたこれまでのいろいろな経緯を十分に知っていれば、今回も起こるであろう反発を過小評価せずにすんだのではないかと思う。

講演会に対する予想を超える反発に驚いて困惑し、もう一度虎の尾を踏んだというのは、彼らが悩んだ末に講演会中止という決定を行ったことだ。そのことによって起こる逆のリアクションも、過去のいろいろな経緯を知っているなら十分予測しえたと思う。

百田さんが書いているように、実行委員会メンバーに「ノイローゼ状態になった者や、泣き出す女子学生までいたようです」というのは事実らしい。もともと実行委員会は大学1~2年生で構成されており、今までそんな状況に至った経験はなかったのだろう。

例えば差別表現をめぐる過去の「糾弾」の事例や、言論表現の自由とそれに対する抗議との社会的折り合いをどうつけるかというのは、前述したように、もう何十年も前から議論されてきた深刻で大きなテーマだ。そういう経緯を踏まえて言えば、講演会そのものを中止するというのは、できるだけ避けるべき選択だったと思う。ただ実行委員会の学生たちが追いつめられたこともわかるし、ヘイトスピーチについては言論表現の自由とは切り離して考えるべきだという社会的ルールが日本で成立したという事情もあって、今回の騒動をどう見るかというのは、簡単ではない。

さらにその後の展開はいささか深刻だ。香山リカさんの講演会に対して抗議や脅迫が始まったのは桜井誠さんの6月15日のツイートがきっかけと言われるが、そこにはこう書かれていた。

「パヨク側はこちら側の講演会をレイシスト講演会だと叫び叩き潰しています。だったら同じことをされても文句はないですよね?」。

これを受けて香山さんの講演を行う予定だった江東区社会福祉協議会にメールや「電凸」が一斉になされたという。そして講演会中止が発表された21日、再び桜井さんはこうツイートした。

《香山リカが予定していた豊洲での講演会が中止になったそうです。講演会が開催されることが判明してから各所からの猛抗議が寄せられていたようです。これまで桜井誠の早稲田大学講演会、百田尚樹氏の一橋大学講演会などを全く同じ手法で潰してきたパヨク側は当然批判は出来ませんよね?因果は巡る…》

何やら報復の連鎖といった嫌な予感がする。前述した映画『ザ・コーヴ』上映中止騒動では、当初、抗議する側がネットなどを使って行動を起こした途端にめんどうなことを恐れて映画館や大学が次々と上映中止に踏み切ったため、それに味をしめて攻撃が明らかにエスカレートしていったことだ。戦果があると思えれば攻撃する側は勢いづくのだ。

気になるのは、報道を見る限り、今回の講演会を中止した社会福祉協議会があまりにも簡単に中止を決めてしまった印象が否めないことだ。もちろん担当者に心労があったのは確かだろうが、これまでの講演会中止や上映中止事件の経緯を知っていれば、ここで踏ん張らなければいけないという気持ちももう少し持てたような気がする。

ちなみに2010年6月9日、映画館が次々と『ザ・コーヴ』の上映中止に踏み切ったために、結果的に『創』が全国初の上映会を行うことになってしまった時には、会場となったなかのゼロホール周辺には、多数のパトカーや警察が警戒にあたるという騒然とした状況だった。上映中止問題を議論する上映会とシンポジウムが中止というのでは全くシャレにならないので、どんな事態になっても中止はしないと決めていた。会場に在特会メンバーなどが入ってくることは予想できたので、武器になりそうな自動販売機の缶やペットボトルは全部事前に撤去した。

そういう騒動については『創』などでさんざん書いてきたから、ここで繰り返すつもりはない。ただ触れておきたいのは、その緊迫した上映会にサプライズゲストとして登壇してもらった映画『ザ・コーヴ』の主人公が会場で発言した内容だ。警備態勢をとりながら司会も務めていたせいで、私も事前打ち合わせなどできなかったのだが、彼が手書きのパネルを持っていたのは舞台裏で目にしていた。そして彼は壇上に立ってそれを会場に掲げたのだが、何と日本国憲法21条の条文が書かれていたのだ。映画『ザ・コーヴ』の内容についての評価はいろいろあるし、私も賛同してはいないのだが、上映自体が封殺されるという事態に、彼は、日本国憲法の言論表現の自由の条文を掲げてみせたのだった。

私は隣で司会していて、恥ずかしいという気持ちにとらわれた。憲法はまさに「不断の努力」によって実現せねばならないものだが、その憲法の説明を外国人にされるという事態は日本人として本当に恥ずかしいと思った。

この一文を終えるにあたって、百田さんのこの間の抗議内容についてもうひとつ言及しておきたい。百田さんが手記でこう書いているのを見た時には、思わずのけぞった。

《恐ろしいのは、ARICは自分たちが「差別主義者」と認定した人物は、発言を封じて構わないと考えていることです。そこにはヴォルテールの有名な言葉、「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という精神はどこにもありません。》

このヴォルテールの言葉をまさか百田さんから聞かされるとは思わなかった。というのも、百田さんはこれまで、朝日新聞バッシング事件の時や、2015年の「沖縄の2紙は潰さなあかん」発言に見られるように、対立する言論を「潰せ」と言ってきた人だ。後になっていやあれは冗談だよと言ったりもするのだが、気に入らない言論に抗議ないし批判するということと、それを潰せということの違いは、この問題の重要なポイントだ。批判するのは自由だが、潰せと言ってはいけない。それを言ったのが先のヴォルテールの言葉だ。でも百田さんは残念ながら、いろいろな局面で、批判するだけでなく潰せと言っているとしか思えないような発言を、これまでしてきている(それと再度言うが、ヘイトスピーチについては犯罪だとして、上記の言論のルールは適用されないことになっている)。

抗議することと講演会を潰せということの違いをきちんと認識しないと、講演会の中止や自粛は今後どんどん拡大する恐れがある。安倍政権のもとで「忖度」が日本を支配し、権力ある者に逆らっていると見られないようにしようとの心理が社会を覆っている。そんな状況があるからこそ、今回のふたつの講演会中止事件には、深刻な思いを感じざるをえないのだ。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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