はじめに

中日新聞・東京新聞に掲載された上野千鶴子氏のインタビュー「平等に貧しくなろう」が物議を醸しています(いました?)。

この国のかたち 3人の論者に聞く(2017年2月11日 中日新聞・東京新聞)

すでに様々な論者が様々な観点から様々に論じられていますので、私が何か付け加えられるような余地もない気もするのですが、私からは世代間格差の観点から少し論じてみたいと思います。

団塊の世代とは

団塊の世代とは、第2次世界大戦直後の1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)間に生まれた世代を指すとされています。世界的には、もちろん、日本でも、第一次ベビーブーム世代とも呼ばれています。上野千鶴子氏はプロフィールによりますと1948年生まれですから、まさに団塊の世代ということになります。

この世代は、終戦後に生まれ、小学生の時に高度成長が開始、団塊世代のうち左翼的な思想の持ち主は、学生運動に身を投じた後、一般企業にも就職、終身雇用・年功序列にほぼ守られた世代で、働き盛りの頃にはバブル景気を経験しています。多くはバブル開始前には結婚していたので、地価が高騰する前にマイホームを取得していた方々も多いはずです。しかし、経済や社会でそれなりの役割を期待されだして以降は、失われた10年・20年の中で迷走を続けた世代でもあります。そして退職後は、人によっては学生運動の思い出がよみがえるのか、反原発、反安保法の運動に参加したりもしています。

つまり、団塊の世代とは、戦前・戦中世代の作ったレールに乗っただけのキャッチアップ世代であり、そのレールに軌道修正が必要になったにもかかわらず、抜本的な手当てを一切行わず、挙句の果てには世界でも深刻な世代間格差を生みだした元凶(そしてその自覚すら持ってない)というのが私の個人的な理解です(総体としてみて結果的にという意味です。個々人では尊敬に値する立派な方々を多数存じ上げてはいます)。

さらに、経済成長の恩恵に浴した一番の世代であるにもかかわらず、事あるごとに、反成長的な態度を取るのも(私には)理解できない特質であると言えます。

滅びの美学

上野氏は、上のインタビューで

日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。平和に衰退していく社会のモデルになればいい。

と述べておられます。まさに滅びの美学ですね。そして、どうすればすんなり美しく滅んでいけるかというと、上野氏によれば、国民負担率を増やせばいい!とのことです。国民負担率は税負担と社会保険料負担とからなりますが、基本的にはいま働いている世代が中心に担うものです。ご自分は引退されているので、当然現在の勤労世代に比べて重い負担を課される心配がないことを熟知されているのでしょう。上野氏が指摘されるように、日本に本当の社会民主政党があるのかないのか私には分かりませんが、そんなものの有無にかかわらず、誰から取り上げて誰に与えるかを貧しくなっていく国で政治的に決めようと思えば、大きな摩擦は避けられないと考えるのが自然なんだと思うのですが、こうしたご発言を聞くと、そういう政治的軋轢について思いが及ばないのか意図的に無視しているのか、その真意を測りかねます。

それとも、政府が一言命じれば、世代間連帯の美名のもと、肥えた高齢世代を痩せた若年世代が支えるため、若い世代は唯々諾々としてその命令に従わねばならない奴隷なのでしょうか。そもそも、世代間連帯とは本来上の世代を下の世代が支えるだけではなく、余裕のある世代もしくは人間が余裕のない世代・人間を支える、世代を超えた連帯でこそあるべきなのは論を待ちません。

無責任体質

さらに、インタビュー記事では、日本の将来人口について、社会学的にはあらゆるエビデンスから判断して、自然増も無理だし移民も無理だと断じています。移民との共生が無理なのかは、移民(外国人)との共生に努力している地域が日本各地にすでに存在していることを勘案すると、単なる認識不足ではないかと思ったりもしますが、それはさておき、現状を延長すれば自然増は無理でしょう。

ですから、様々な施策を講じ社会を変えていくことで現状を変え、少しでもより良い形で後に続く世代に日本を受け渡したいと、政策当局者も経営者も学者も悪戦苦闘しているのだと思っています。どうやら、上野千鶴子氏(社会学者全般?)は事情が異なるようですね。日本を変えようという意思、責任感はゼロで、そもそも当事者意識も持ち合わせていません。

そもそも、戦争を経験し、貧しい高齢者を支えるために導入された社会保障制度を、改革することもなく、そのまま豊かになった自分たちにも適用してしまった結果が、現在の日本の世代間格差の現状なわけですが、そのことをどうお考えかお伺いしてみたいものです(絶望の国にあっても若者は幸福だから無問題というお立場なのでしょうか?あるいは若者は今以上に豊かになれない現実を悟ってろと?)。

逃げ切れるという自信

上野氏のインタビュー内容に端的に表れていますように、団塊左翼の方々は、自分たちは上の世代から豊かになった日本を受け継いでいながら、後の世代には貧しい日本を引き渡そうという意見に賛成のご様子のようですから、将来世代への責任を果たすつもりが全くないと言わざるを得ません。自分たちだけいい思いをしてそれを後の世代にはまったく渡さない。自己中心的と言わずしてなんと呼べばいいのでしょう。自分の生活が一番!

しかし、こうした発言の裏には、実は、絶対に自分たち(の世代)は貧しくならないという確信、逃げ切れるんだという安心感があるように思えてなりません。つまり、実際、本当に貧しくなって困るのは、所得の稼得能力が衰えてきている高齢世代でしょう。だけれども、日本が滅びつつある過程で、所得再分配機能を強化するということですから、万一持論の通り、日本国民全体が貧しくなったとしても、高齢世代には優先的に資源が配分される、自分たちは守られるものと考えているからだろうと思います。それは世代間連帯でも何でもなく単に高齢世代のエゴでしかありません。

おわりに

日本の現状を変える努力を放棄し、将来世代に破綻同然の日本を引き継いでも心が全く痛まない人々には、何を申し上げても無駄かもしれませんが、貧しくなる覚悟を他の世代に説くのであれば、先ず隗より始めよ、ご自分たちがまず全資産を将来世代のために拠出して、貧しくなることを実践されてはいかがでしょうか。

平等に貧しくなろうという提案に続くのは、もしかすると、経済的には貧しくなっても精神まで貧しくなってはいけない。逆に、精神さえ豊かなら経済的に貧しくなっても豊かに生きていけるという戦時中の軍国主義日本と本質的に同じ根性論かもしれません。

蛇足ながら、上野千鶴子氏のインタビュー記事を読んで思い出したのがこのやり取りです。

フレーゲル:自分は死など恐れない。最後の一兵まで戦い、歴史の栄光にみちた帝国貴族の滅びの美学を完成させるのみだ・・・。

シューマッハ:滅びの美学ですと?

シューマッハ:そういう寝言を言うようだから、戦いに負けるのです。要するに、自分の無能を美化して、自己陶酔にひたっているだけではありませんか。

シューマッハ:滅びの美学とやらがお望みなら、あなたひとりで、それを貫徹なさればいい。我々があなたの自己陶酔につきあってむざむざ死なねばならぬ理由はない。(出典『銀河英雄伝説』)