大野拓朗、突然の渡米にロックダウンされたNY生活…日本復帰での手応えは!?

アメリカでの生活、帰国後の変化を語ってくれた大野さん(撮影:島田薫)

 ミュージカルや舞台はもちろん、朝ドラや大河ドラマに出演するなど俳優生活は順風満帆だった大野拓朗さんが突然渡米したのは昨年のことでした。朝ドラでは大阪の漫才師を演じるにあたり、大阪に住民票まで移してしまう思い切った行動をする人ではあったが、なぜその時期に…?アメリカで何をしてきたのか?帰国後の生活は?聞きたかったことをすべて聞きました。

おかえりなさい!渡米したのは昨年12月。仕事でノリにノっていた時期だと思いますが、なぜあの時期だったんですか?

 ありがとうございます。いろいろ要素はあるんですけど…まず売れることにあまり執着がなかった。もちろん人気が出て、より多くの人に見てもらえるようになるのはいいことだし、エンタメは売れている人が正義、売れていればカッコいいと思われるし、皆から好きになってもらえる。売れているかどうかで人に与えられる元気の量や影響力は全く違ってくるけど、自分の人生を捨ててまで売れる必要はない、という感覚でした。

 ここ数年、親しい人が若くして続けて亡くなったんです。「ET-KING」の2人のことですが…。2人とは特に仲が良くて、その頃、死を間近に感じる機会が多くあって、自分の人生はこれでいいんだろうか。多忙にかまけて、自分がやりたかったことも全然できていない、自分を高める作業ができていない。人生は1度きりだ、1度きり、というのが死に直面してまざまざと感じられて。自分を大切にしたい、これからの人生は自分が思うように生きていきたい。そう思ったのが一番の理由です。

 留学先はロンドン、ニューヨーク、ロサンゼルスで迷ったんですけど、役者を続けるならハリウッドに行きたい、ミュージカルならニューヨーク…と思うと、アメリカ英語がいいかなと。で、せっかく行くならブロードウェイが見たいということで、ニューヨークに決めたんです。行くと決めたのは、これは初めて言いますけど、日本での仕事を辞める1年前、2018年の7月頃でした。

事務所まで辞めたのはなぜ?

 帰国して俳優を続けるかどうか、その時は分からなかった。本気で英語を勉強しようと思っていたから、勉強してつらかった時に「しゃべれなくてもまた日本で生きていける」という逃げ道、帰る場所を作りたくなかったんです。小さい頃から「世界を飛び回りたい」「世界中の恵まれない動物たちを救いたい」という夢があったし、ニューヨークに行って俳優以外のことをしたいと思ったらそれでいいと思っていました。

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結局、どれくらい行っていたんですか?

 2019年12月頭から2020年7月半ばまでです。本当は9月までの予定だったんですけど、コロナでどこにも出られなくなってしまったので、期間を短縮しました。アメリカに到着後すぐ、午前は学校、午後も1on1(1対1)の英会話の学校に通って、家に帰ってからもひたすら勉強していました。学校は3月半ばから行けなくなり、帰国までずっとZoomで授業でした。

 Zoomで授業を受けている時には「なんでここにいなきゃいけないんだろう」っていうのはちょっと思いました(笑)。僕はブルックリンに住んでマンハッタンの学校に通っていたので、歩きも含めて40~50分かけて通学していたんです。それがなくなったから、毎朝8時半に起きて9時からの授業を受けていました。内容が変わったわけではなかったけど、放課後の友達との時間だったり、バーに行ってしゃべる機会がなくなったのが残念で。そこは悔しさが残ってます。

独特の留学になりましたね。

 本当ですよ!部屋はアメリカ人で40代のスキンヘッドのおじさんとルームシェアしてました。間取りは2DKでしたが、ずっと自分の部屋だけにいました。優しかったけどあまり気が合わなくて(苦笑)。友達は結構できましたよ。

 ブロードウェイも行ったんですけど、2本だけ観ました。7ヵ月いて、「ハリー・ポッター」と「フローズン(アナと雪の女王)」だけ。僕の最初の計画としては、「3ヵ月間、死ぬ気で勉強して、3ヵ月で絶対しゃべれるようになってやる!聞き取りもできるようになってやる!!」って頑張ってたんです。実際、最初の3ヵ月は1日14時間勉強してました。残りの半年でブロードウェイにたくさん舞台を観に行って、友達といっぱい遊びに行って、バーで常連さんと友達になって、英語力をもっとガツンと伸ばして、エンタメの勉強もしていこうと思ったんですけど、「よし、英語そろそろいけるぞ!」と思って、出ようとした矢先に“ステイホーム”が来ちゃったんです。

渡米前の英語力は?

 英会話はゼロです、本当にひどかったです。「いらない」っていうのも、なんて言えばいいか分からないレベルでした。授業のレベルは一般で4クラスあって、1番下のクラスから始めました。最終的に1番上のクラスまで上がっていいと言われたけど、2番目のクラスの先生がとてもよかったから、授業は簡単に思えたけど最後までそこにいました。

 自分でもすごく伸びたと思います。でも、死ぬほど勉強しましたから。今は生活するには全く問題ないです。専門的な話でも、俳優の話であれば、いくらでもできます。ただ、実際に俳優の仕事となると、発音は半年ちょっとじゃ無理なので、発音の勉強は続けています。

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ニューヨークで日本の芸能人と会ったりしましたか?

 「ピース」の綾部祐二さんとは共通の知り合いがいて、コロナになってなければ焼肉に行く話になってました。渡辺直美さんは番組が一緒で仲が良かったので、何回もお食事をご一緒しました。

現在、帰国後初の舞台「プロデューサーズ」に出演中ですが、オファーが来た時の心境は?

 めちゃくちゃうれしかったです!ニューヨークにいる時に、プロデューサーから「いつ帰ってくるの?」って電話がかかってきたんです。帰国予定を伝えると、「じゃあ大丈夫だね。『プロデューサーズ』やるんだけど」と言われて。芝居から離れる時間があって、やっぱり芝居をしたいという思いが早い段階からありましたから。でも、帰国しても全てが未定だったので、こんなに大きな素晴らしい作品で日本復帰第一弾を踏ませていただけるのは本当にうれしかったです。

ブロードウェイが舞台の「プロデューサーズ」には、大野さんがニューヨークで体験した世界が広がっていますよね。

 舞台セットに“チーズケーキ”と書いてあると、「これは“アントニオ”のね」とか、店や場所、街並みが具現化して見えるんです。

 あと、英語ができないことがコンプレックスで自分に自信が持てなかったんですけど、1つ殻を破れた気がします。自分に少し自信を持てるようになったし、1つ1つの仕事に、より感謝の気持ちが生まれました。

共演の井上芳雄さんとは舞台上でずっと一緒ですね。

 素敵な人です。優しいし、プリンスだし、歌はうまいし、芝居もうまいし、踊れるし、超人だと思います。特に何か言うわけではないけど、すごくニュートラルに現場にいて、でも、(演出家の)福田雄一さんがボケると、芳雄さんが率先してツッコんで。空気を作るのがうまいなと。さすが歴戦の強者というか、20年近く主役をやり続けている人だから勉強になります。

吉沢亮さんとはWキャストになりますね。同じ役を2人でやるのはどうなんでしょう。

 2人だと、もらうところがいっぱいある。僕はWキャストの方が1つの役を深く掘り下げられると思います。稽古は一緒なので、順番にやったり、「ここは亮ね」「ここは大野ね」とシーンを分けてやったりしてました。

帰国して第1弾の舞台、幕が開いてどんな気持ちでしたか?

 アメリカから帰国して一発目の舞台で、1年半ぶりで、いいところを見せなきゃというプレッシャーが大きかったんですけど、それが報われている感じがすごくうれしいです。それに、舞台上で芝居しているのがとにかく幸せで楽しい!芝居の中での喜びはもちろんあるんですけど、それ以上に僕自身の喜びが出ている気がするから、いい相乗効果になっているんじゃないかなと思ってます。

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評判や手応えはどうですか?

 僕の出演ミュージカルは、ほぼ、小池修一郎さん(宝塚歌劇団や東宝ミュージカルを数多く演出)が演出してくださっているんですが、今回の作品について「いたく感動した。あまりにも素晴らしかった」と言われたんです。“あまりにも”…こんなふうに言ってくださるのは珍しいです!他でも褒められることがすごく多くて、自分が成長できているんだと感じられて本当にうれしいです。

今後はどうしていきたいですか?

 より自分を高めて、より多くの人たちに笑顔と元気を与えられる俳優になりたいです。これからもアメリカにバカみたいに挑戦し続けて、そのバカみたいに挑戦し続けている姿で、人を勇気づけられたらいいなと思います。

アメリカに挑戦とは?

 具体的にはハリウッドです。映画とドラマで、向こうでも生計を立てられる俳優になりたいです。厳しいのは分かっていますし、自分の将来は先行き不透明です(笑)。

 僕が日本を離れた時の目標が、寝る前に「今日もいい一日だった」と思える毎日にしたいということです。そう余生を送れたらいいなと思ってます。いつ死ぬか分からないので…と言いながら、あと60年くらいあるかもしれないけど。その60年間を毎日幸せだと思って生きていけたら最高に幸せじゃないですか。そんな人生を歩むべく頑張ります。今、とても幸せです。

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■『プロデューサーズ』

トニー賞12部門、史上最多受賞した大ヒットミュージカルコメディー。ブロードウェイミュージカルを題材としたブロードウェイミュージカル。“史上最低のミュージカル”を製作し、大儲けする詐欺を思いついた落ち目のプロデューサー・マックスと、マックスに巻き込まれていくプロデューサーになるのが夢だった、気の弱い会計士・レオの2人の顛末(てんまつ)を描く。

【インタビュー後記】

頭がいい人だなと思いました。こちらが聞きたいことを瞬時に理解し、順序立てて話してくれます。以前の大野さんの取材メモを見ると、「きょうも大野さんは気遣いの人。コメントも私たちが使いやすいように考えてくれている」とありました。実は今回お話を聞いた場所も、大野さん自ら用意してくれています。これだけ周囲を気遣ってくれると、自分のことは後回しになりがちですが、大野さんは両方できる稀有(けう)な存在で、しっかり自分の人生も大切にできる人なのです。これもニューヨーク留学の成果かもしれませんね。まだまだ聞きたいことがあるので、これからも少しずつ取材を重ねていきたいと思います。

■大野拓朗(おおの・たくろう)

1988年11月14日生まれ。東京都出身。2009年、ミスター立教に選出される。2010年に映画『インシテミル~7日間のデス・ゲーム~』で俳優デビュー。2012年に『エリザベート』でミュージカル初舞台を踏み、2017年に『ロミオ&ジュリエット』でミュージカル初主演。NHK連続テレビ小説『わろてんか』、大河ドラマ『西郷どん』などに出演。現在、『プロデューサーズ』(東京・渋谷区の東急シアターオーブ、12月6日まで)にレオ役で出演中。