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卒業式はだれのため?コロナ前に戻る、やりすぎ練習

妹尾昌俊教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事
(写真:アフロ)

先週や今週、卒業式だった人も多いのでは?小中学校の卒業式と言えば、かつては、校長や来賓の長々とした挨拶などに嫌気がさした経験をおもちの方もいるかもしれないが、新型コロナの影響で、大幅に短縮するなど一変していた。だが、今年度はコロナが5類になったことから、また以前のような卒業式に戻っている学校も少なくないようだ。

卒業式の前の1~2週間は毎日2時間も3時間も練習に使うという小学校等もある。しっかりした式にしたい、規律を学ぶことも大事だという、先生たちの気持ちを全否定するつもりはないが、そんな時間があるなら、子どもたちが企画してレクをしたり、理科や家庭科でおもしろい実験・実習をやってみたりと、もっと楽しいことをやればよいのに、と私は思うのだが、みなさんは、どうお考えになるだろうか?

■そろえることが大事?

「なんで、そろえろ、そろえろってなるんだろう?卒業証書を受け取るときは左手からとかさ。ちょっとくらいバラバラでもいいのに。」

卒業式の練習に嫌気を起こした、うちの次男(小6)から言われたことだ(先日、いい式にはなったけれど)。自分の子どものことを一般化してはいけないが、練習や当日の長々とした挨拶には、うんざりという子も多いのではないだろうか。先生も保護者も、一度、子どもたちに聞いてみてほしい。卒業式の練習は必要だと思う?どんな式がいいと思う?

写真:アフロ

学校の先生たちに「1年間でもっとも大切な行事は何ですか?」とたずねると、卒業式と答える人は多い(修学旅行なども挙がるだろうが)。たしかに感無量で、感動の節目になるところも多いだろう。あの子がこんなにも成長して。

だが、その卒業式が、いつの間にか、大人の言いなりに子どもたちを動かすものになっていないだろうか?軍隊でもあるまいし。(ちなみに、運動会や遠足をはじめ、学校行事には、昔は軍事訓練だった頃のなごりを残しているものがかなりある。)

知人の小中学校教員によると、「我慢しなさい」「へらへらするな」など、怒号が飛び交う練習をするところもあるという(一部の学校の話だが)、それも寒い体育館で。そこまでいくと、虐待かもと思うし、6年間(中学校などは3年間)の最後に不登校を助長してなにがしたいんだ?卒業式で、子どもの権利(とりわけ、保護される権利や意見表明権)は大切にされてきただろうか。

こども家庭庁「こども基本法」パンフレットより抜粋
こども家庭庁「こども基本法」パンフレットより抜粋

■そろえることが難しくなっている

最近は、発達にさまざまな特性や障害のある子が多くなっている。静粛な雰囲気で式を行うよさはあるものの、過度にそろえることを強要したり、同調を求めたりしては、しんどい子もいる。もちろん、じっとしているのが難しい子を卒業式の場から排除するのも問題だ。静粛な雰囲気は大切にしつつも、そこのみを重視せず、個々の子どもたちが無理をし過ぎない卒業式にしていく必要があるだろう。

要するに、ちょっとくらいバラバラでもいいんじゃないか。多少ぶっつけ本番なところがあってもいいんじゃないか。実際、コロナ1年目、2020年は突然の全国一斉休校があったので、ほとんど練習できずの卒業式となった学校も多かった。それでもいい式になったのではないか?

■卒業式はなんのため?

そもそも、卒業式ってなんのために行っているのか。やらないといけないものなのだろうか。

学習指導要領を確認すると、特別活動の学校行事のなかに「儀礼的行事」という記載がある。入学式や卒業式はこれに当たるとされている。指導要領であるのは「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるようにすること。」という一言の記述だけだ。

卒業式で全員がびしっとした態度と行動でそろっていることや規律を重視する風潮は、「厳粛で」という文言が学校現場で拡大解釈、過大評価されているのかもしれない。しかし、こう何度も練習しては、当日の感動も薄れるかもしれないし、指導要領でいう「清新な気分を味わい」ということにも、「新しい生活の展開への動機付け」にもなりづらく、逆効果だと思う(「清新」とは新鮮でいきいきしていることを指すらしい)。なお、国が学習指導要領で子どもたちの気分にまで踏み込んだ記述をするのは見直したほうがよいと、私は考えている。

付言すると、学校教育法施行規則では「第五十八条 校長は、小学校の全課程を修了したと認めた者には、卒業証書を授与しなければならない」(中学校等にも準用)とあるから、素直に読めば、証書授与があればよく、必ずしも式典を行う必要はないのかもしれない。

写真:イメージマート

学習指導要領解説(文科省が作成した解説文書)にも「いたずらに形式に流れた

り,厳粛な雰囲気を損なったりすることなく,各行事のねらいを明確にし,絶えず内容に工夫を加えることが望ましい」とある。なお、卒業証書の受け取りは左手からなんて、記述はもちろんない。

■保護者や来賓のためのパフォーマンスは要らない

小学校などでは、卒業生や在校生が掛け合い、呼びかけをするところも多いだろう(別れの言葉などと呼ばれる)。在校生が「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ありがとうございました」と述べたり、卒業生が順々に「〇〇の思い出が忘れられません」「先生方に大変お世話になりました」などと呼びかける。これもコロナ禍のときはカットされたのだが、復活してきている。

問題は2つある。ひとつは、誰が原稿を書いたか。おそらく担任の先生が書いている学校はかなりあると思う。まだ卒業生らが自分たちで考えて、発表したいというなら、よいと思うが、教員が書いたとおりに読ませて、教育効果はいかほどなのか?もうひとつは、感謝は強要されるものではない、ということ。主体性も自発性もそこにはない。

こうした呼びかけもそうだが、お涙頂戴的なパフォーマンスに力を入れたり、過度に形式的なところを重んじたりするのは、保護者や来賓のウケがよいから、という学校事情もあると聞く。実際、校長や教員のなかには「子どもたちが元気よく、しっかりしていてよかった」「お別れの言葉に感動した」と褒められたり、逆にあまりそろっていないと「だらしない」「練習不足だ」と言われたりした経験がある人もいる。また、自身が受けてきた卒業式のあり方を当たり前とか伝統と感じているため、再生産しやすい。

だが、先生たちも、保護者や来賓の方たちも、もう一度よく考えてほしい。卒業式は、保護者のためでも、来賓のためでもないはずだ。もちろん、お世話になった人たちに喜んでもらえるのはよいことだが、そこは二の次、三の次であって、卒業生にとってよい節目になったかどうか、だろう。感謝の言葉は、式のあとにクラス等で伝えたい人が言えばいい。

卒業式は卒業生のためのもの、なんてこと、校長も教職員も分かりきっているはずなのに、いつの間にか、子どもそっちのけで、見栄えを重視する運用になってはいないか。そんな卒業式からは早く卒業したい。

◎参考

「卒業式の予行練習」なぜ何回もやるの?教師も「静かに!」「声を大きく」と厳しい指導はしたくない【元校長に聞いた】CHANTO WEB

卒業式の練習は“やりすぎ”だったのか、先生たちに聞いた本音 週刊女性

妹尾昌俊「運動会 コロナ前に戻るか、戻していいものか?」

◎妹尾の記事一覧

https://news.yahoo.co.jp/expert/authors/senoomasatoshi

教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事

徳島県出身。野村総合研究所を経て2016年から独立し、全国各地で学校、教育委員会向けの研修・講演、コンサルティングなどを手がけている。5人の子育て中。学校業務改善アドバイザー(文科省等より委嘱)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁の部活動ガイドライン作成検討会議委員、文科省・校務の情報化の在り方に関する専門家会議委員等を歴任。主な著書に『変わる学校、変わらない学校』、『教師崩壊』、『教師と学校の失敗学:なぜ変化に対応できないのか』、『こうすれば、学校は変わる!「忙しいのは当たり前」への挑戦』、『学校をおもしろくする思考法』等。コンタクト、お気軽にどうぞ。

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