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何のための部活動なのか?(学校教育で部活動をおこなう意味はどこに)

妹尾昌俊教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事
(写真:アフロ)

 「部活って、なんのためやっているんでしたっけ?」

 教職員向けの講演・研修で、ぼくがよく問いかけていることだ。

 この質問に答えるのは、簡単なようで、けっこう難しい。日本の中学校や高校では、部活動は「あって当たり前」、「やっていて当たり前」だからだ(小学校にも合唱や吹奏楽、陸上などがある場合もある)。教員としても、生徒も、保護者も。「なんのため?」なんて問われたことがない、という関係者も少なくない。

 「やっていて当たり前」なことは、ともすれば、そもそもの目的や目標が、いつの間にか忘れられていたり、トーンダウンしていたりする。麹町中学校の工藤校長の学校運営が大注目を浴びているが、工藤さんが強調していることも、このことに近いと思う。宿題を出すことで満足するといったように、最重要目標を意識せずに、手段の目的化が起きているという指摘だ。

 さて、冒頭の部活動についてだが、読者のみなさんの答えは、どうだろうか?もちろん、さまざまな意見、考えがあってよいのだが、いくつか共通理解しておきたいこともある。

 実際、ぼくが校長等向けに研修をすると、こんな答えが返ってくる。

●部活を通じて、生徒は成長できる。

●競技等にもよるが、たとえば、チームワークや礼儀を学ぶ機会になる。

●困難なことにもチャレンジして、やればできるという感覚や自己肯定感を高めることができる。

 などなど。ぼくはこう切り返す。

 「さすが、みなさん、教育者ですね。だれも、『試合に勝つこと』とは言わないんですね。」

7時間半の練習を、少ないほうと言ってみせる感覚

 つい先日もこんな記事を目にした。ある高校の吹奏楽部、全日本高等学校選抜吹奏楽大会7連覇の強豪校が、平日は3時間、休日は7時間半(1日あたり)と猛練習しているのだが、「県内の強豪校と比較すると活動時間は多くないという。少ない練習で力をつける秘訣は時間配分にあった」などと手放しで賞賛している記事だ(千葉日報2019年9月4日)。

 ぼくは、この吹奏楽部の関係者を攻撃、非難したいわけではないし、頑張りを否定するつもりはない(そんな資格は自分にはないし)。だが、本当にこういう部活動運営でいいのかは考えたい、ということは申し上げたい。この記事では、一言も言及がないのだが、この練習量では、文化庁が作成した文化部活動のガイドライン違反である。

 この記事のタイトルは、皮肉にも「金賞より『最高』」。実際、結果だけ追うのではなく、演奏の質を高めることなどを重視した指導はされていると推測するが、記事を読むかぎりでは、やはり入賞も強く意識していると感じる。そうでないと、休日を7時間半もつぶすだろうか?

 この部にかぎった話ではない。高校野球の熱狂を見てもそうだし、多くの部活動(運動部も文化部も)でもそうなのだが、なんのために部活をやっているのか、大会等で勝ちたいためなのか、と聞きたくなる運営をしているところは多い。

競技の論理と教育の論理

 スポーツ庁の運動部活動のガイドラインをつくる座長もなさった、友添秀則先生は、『運動部活動の理論と実践』という著書のなかで、運動部の過熱化に関連して、こう述べている。

(引用者注:戦後に対外大会の厳格な規制がとられたが、前回の東京五輪前後に規制が緩められてきた過程は)

「競技」と「教育」という対立する論理の葛藤の歴史でもある。そして、競技の論理が教育の論理を押し切ってきた過程でもある。

 「競技の論理」と「教育の論理」というレンズに通して、部活動の姿を見ると、理解しやすい。

写真素材:photoAC
写真素材:photoAC

 「なんのための部活か」と問われて、「生徒の成長のため」という考え方は、「教育の論理」だ。だが、これがいつの間にか、競技の論理のほうにすり替わっていないだろうか、あるいは「競技の論理」のほうに押されてはいないだろうか

 高校野球で投手の投球数を制限しては、「勝てる試合が勝てなくなるではないか」という理屈は「競技の論理」だ。

 中学や高校の部活動の試合で、顧問の教員が相手方チームにヤジを飛ばしたり、チームの生徒を怒鳴りつけたりするシーンはよくあることのようだが、これも「教育の論理」がどこかに行ってしまっている。もちろん、スポーツ等でついついアツくなるのは誰もがあることとはいえ、同じことを教室でやったら、人権侵害や不適切指導とされかねないのに、部活の試合では横行するというのはフシギな話だ。

 部活動中の体罰がいまもって多いままなのも、「競技の論理」が強くなりすぎているから、と理解することもできる。内田良先生が「闇部活」の実態をレポートしているが、これも試合等に勝つためにはということを優先させているからだろう。

 「競技の論理」と「教育の論理」は、どちらかだけという、ゼロか百かという話ではない。実際は、混ざっているし、いつも両立しないというわけではない。だが、分かりやすいように区別して考えると、次の図のように整理できる。※友添先生がこう整理しているのではなく、妹尾の見解。

(筆者作成)
(筆者作成)

 どちらの論理を重視するかで、部活動の目的、目標、活動時間、生徒の自主性、顧問の役割などの考え方と部活動運営は、かなり変わってくる。部活動の顧問、指導者等の関係者は、ぜひ一度、自分の部活動がどちら寄りだったのか、振り返ってみてほしい

部活動の顧問、指導者は、一度、学習指導要領を読め!

 学習指導要領を金科玉条にせよ、とは思わないが、学校教育の一環として部活動をやっている以上、依拠していかなくてはならない。部活動は、中学校、高校の指導要領には、実は1カ所しか出てこない。

 「生徒の自主的,自発的な参加により行われる部活動については,スポーツや文化,科学等に親しませ,学習意欲の向上や責任感,連帯感の涵養等,学校教育が目指す資質・能力の育成に資するもの」

 こう書いている。つまり、学習指導要領では、生徒の自主性を尊重すること、スポーツ・文化等に親しませることなどを重視した記述である。当たり前だが、「教育の論理」に立っているので、「大会等で顕著な成績をおさめることを目指す」などとは書いていない

 

 部活動の歴史を紐解くと、全国大会がなかった時期もあった。大会やコンクールがあるので、競技の論理のほうが強くなりやすいという背景もある。また、高校や大学の推薦などで部活動の成績が評価されることも影響している。これらについても、これまでの「当たり前」でよしとせず、見直していくことが必要だと思う。実際、文科省も、一部の競技団体も、猛暑の夏の大会は見直す動きが一部にあるが、夏にかぎらず、大会等を縮小する検討をお願いしたい。

 とはいえ、中学校や高校等の校長や顧問等は、「大会や入試が変わらないと、部活動は変えられない」などと言っている場合ではない。「競技の論理」のほうが強くなりすぎていなかったか、反省し、ガイドラインなども参照しながら、部活動の運営を見直していくことは、学校裁量のなかでやっていけることだ。待っていては、今の生徒は卒業してしまう。

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教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事

徳島県出身。野村総合研究所を経て2016年から独立し、全国各地で学校、教育委員会向けの研修・講演、コンサルティングなどを手がけている。5人の子育て中。学校業務改善アドバイザー(文科省等より委嘱)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁の部活動ガイドライン作成検討会議委員、文科省・校務の情報化の在り方に関する専門家会議委員等を歴任。主な著書に『変わる学校、変わらない学校』、『教師崩壊』、『教師と学校の失敗学:なぜ変化に対応できないのか』、『こうすれば、学校は変わる!「忙しいのは当たり前」への挑戦』、『学校をおもしろくする思考法』等。コンタクト、お気軽にどうぞ。

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