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NHLを目指す平野裕志朗「日本アイスホッケー界を盛り上げていきましょう」

沢田聡子ライター
(写真:アフロスポーツ)

■海外での挑戦にはレジリエンスが必要

ダイドードリンコアイスアリーナ(西東京市)のスクリーンに映し出された平野裕志朗が口にする熱い思いは、冷え込んだアリーナ内の空気を温めていくようなエネルギーに満ちていた。

1月14・15日、ダイドードリンコアイスアリーナで行われた『アイスホッケーヒーローズ2』は、2019年以来4年ぶりとなるアジアリーグのオールスターゲームを中心としたイベントである。2日目、メインイベントであるオールスターゲームの前に、日本アイスホッケー連盟創立50周年記念行事として氷上での特別座談会が行われた。

1972年札幌・1976年インスブルック・1980年レークプラシッド五輪代表の星野好男氏、1998年長野五輪代表の三浦孝之氏、日本人唯一のNHLプレーヤーであり日本アイスホッケー選手会長も務めるGK福藤豊、2014年ソチ・2018年平昌・2022年北京五輪に女子代表主将として出場した大澤ちほ氏という豪華な顔ぶれが登壇した。加えて、1998年長野五輪代表であり2018年平昌五輪では女子代表監督を務めた山中武司氏、NHL(世界最高峰の北米アイスホッケーリーグ)を目指して現在はカナダのAHL(NHL2部に相当するリーグ)のチーム、アボッツフォード・カナックスでプレーしているFW平野裕志朗がビデオ出演した。

三浦孝之氏は、アメリカで選手生活を送る優希の父でもある。優希はNCAAディビジョン1のレイクスーペリア州立大学を経て、現在はECHL(NHL3部に相当するリーグ)のチーム、アイオワ・ハートランダーズに所属している。

司会者に優希についての話題をふられた孝之氏は、「優希というよりは、海外にチャレンジしている選手向けのお話になるのですけれども」と前置きした上で、10年前に優希が挑戦を決めた際には存在しなかったNHLに至るプロセスを、平野、寺尾勇利(アメリカのジュニアリーグUSHLやECHLでプレー、現在はH.C.栃木日光アイスバックス所属)、優希、佐藤航平(NCAAディビジョン1を経て、現在フィンランドでプレー)といった選手達が作ってきたと述べている。

「今までのゴール設定からプロセス、手法が出来たと思いますので、是非海外に向けて準備してもらいたいと思います」

そう口にした孝之氏は、「ただ、一つアドバイスすると」と言葉を継いだ。

「北米での競争には非常に厳しいものがありまして、心を削られ、疲弊してしまうことが多い。レジリエンスという言葉がありますけれども、しなやかに復活する気持ち・力を日本で先に準備し、心のトレーニングをしっかりして、海外にチャレンジしていってもらいたいと思います」

■信念を貫いたパイオニア、福藤豊

また、NHLで4試合プレーした経験を持つパイオニア・福藤の発言も、海外で戦うことの厳しさを感じさせた。

「僕はNHLのチームからドラフトされてアメリカに行ったので、行くことに関してはそんなに苦労はしなかったんです。でもアメリカに行ってから7年、オランダ・デンマークという三か国でプレーしましたが、なかなかなじめない時期もありました。自分の強い信念を持って、貫いて、戦っていた感じです」

19歳で初めて渡米しマイナーリーグに所属していた際、東洋人であるゆえに防具が隠されたり水浸しにされたりという嫌がらせを受けたエピソードに司会者がふれると「なかなか今振り返っても厳しい一年だったなと思います」と福藤は吐露している。

「ただあの一年が僕自身を強くしてくれたのは間違いないですし、今でこそ『いい経験だった』ととらえられるのですが…でも、経験できてよかったなと思います」

「最近では他の競技と一緒で、海外にプレーの場を求めて出ていく選手もすごく増えていると思います。ゴールキーパーも含めて、今後そういった活動が大きくなって、それを日本がサポートできる形を作っていくのが理想なのかなと」

「海外のチームで成功したとは思っていない」という福藤は、後輩への期待を語った。

「今後優希も含め、平野選手などが北米やヨーロッパで活躍してほしいなと思います。彼らが作った道はこれからもずっと続いていくと思うので、そういった選手が増えてくれることを願っています」

■「NHLの舞台に立つことができれば、日本のアイスホッケー界は変わる」

そしてVTRで登場した平野は、海外で挑戦し続けている理由について語っている。

「理由は、二つあります。一つは、やはり自分の夢でもあるNHLという世界最高峰の舞台に出場すること。私がNHLの舞台に立つことができれば、日本のアイスホッケー界は大きく変わると確信しています。もう一つは日本にない部分、情報や組織の仕組みなど、技術、日本のアイスホッケーに活用できるものを持ち帰りたい。それがもう一つの理由です」

「最後に、私の思いを皆さんにお伝えできたらいいなと思います。先日、サッカーのワールドカップで日本代表が戦っていた時、日本国民がどれだけ盛り上がっていたのかと考えると『なぜ日本アイスホッケーにできないのか』、そういった思いで毎日を過ごしています。『自分もあれだけたくさんの人に熱いものを届けたい、必ず日本のアイスホッケーにもできる』と、そう信じて今も戦っています。

しかし、まだまだ足りない。そういった現状が今の日本アイスホッケー界に立ちはだかっているのは、事実です。今この会場にいる一人ひとりが日本のアイスホッケー界を変えるために、自分に何ができるのか、それを考え行動していく。連盟の方だけではなく、選手、そしてファンの方々がいい意味でいろいろな人達を巻き込み、何か行動していく。それが一人でも多く出来た時に、日本のアイスホッケー界は変わっていくのだと私は思っています。

今、私は17試合連続試合に出場することができていません。心が折れそうになるほど苦しい状況で毎日を過ごし、それでも自分の夢、そして日本のアイスホッケー界を変えるために『負けていられない、戦い続けなくてはいけない』とそんな使命を勝手に背負い、僕は戦い続けています。どんなに辛くても、苦しくても、負けそうになっても、明るい未来を信じ、前に進み続けることが、今の僕達に必要なことだと、私は思います。

だから、皆さんも一緒に戦ってください。日本アイスホッケー界を、みんなで盛り上げていきましょう」

上の世代の選手、また親として三浦優希の挑戦を見守る孝之氏、厳しい現実に立ち向かい道を切り開いた福藤の言葉の後に続いた平野のメッセージは、だからこそより一層重く響いた。

自ら使命を背負い、異国で挑み続ける若い選手達の苦闘に報いるために何ができるのか。日本のアイスホッケーにかかわるすべての人々に向けられた問いかけを、私自身も受け止め、考えていきたい。

ライター

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(フィギュアスケート、アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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