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スマイルジャパンのキャプテン・大澤ちほ、引退の理由とこれからの夢

沢田聡子ライター
(写真:エンリコ/アフロスポーツ)

「25年間の競技生活は、すごくずっと楽しかったです」

2014年ソチ・2018年平昌・2022年北京と、三大会続けてアイスホッケー女子日本代表(愛称・スマイルジャパン)のキャプテンとして五輪を戦った大澤ちほは、引退会見で選手生活を振り返ってそう語った。

8月1日に現役引退を表明していた大澤は、8月10日に札幌市内で引退会見を開いた(筆者はZoom配信で参加)。会見の初め、大澤は自らの言葉で引退する理由を述べている。

「引退の理由は、北京オリンピックを通して自分自身に選手としての今後の可能性を感じることができなかったということ、そして、数年前からアイスホッケーの普及という新たなステップに挑戦してみたいという思いを持っていたことから、この二つのタイミングが重なったので、今回引退という決断をしました」

大澤が心の中で引退を決めたのは、今年2月の北京五輪で予選4試合を戦った直後だという。日本代表として初めて決勝トーナメント進出を決めた予選だったが、一人の選手としての大澤にとっては、自分の限界を思い知らされる4試合でもあったようだ。会見では「予選の4試合を戦って、もうその時点で『きっと今できるこのパフォーマンスが限界だな』というのをすごく感じて」と吐露している。

「『もうこれ以上、できることがないな』と。『これから落ちていくしかないのかな、もしくは頑張っても現状維持かな』というところを、すごく予選の4試合で感じました。なので、最後の5試合目は『もうこれがきっと人生最後の試合だ』と思って、臨んでいました。そこの4試合で感じたところが、自分の中ではすごく大きくて。今まで、そういったことを感じたことがなかったので。

平昌オリンピックの時も悔しい思いをしましたけど、『きっともっと上手くなれば、もっと強くなれる』と思った。その『もっと上手くなりたい、もっと強くなれる』という感覚が(北京五輪では)自分の中で湧いてこなくて。それはその瞬間だったからなのかな、とも思ったんですけど、北京オリンピックが終わってから約半年経って、それでも今やっぱり『あれが多分限界だった』と思う自分がいるので、そこが一番大きいですね」

大澤にとって現役最後となる北京五輪での5試合目は、決勝トーナメント準々決勝となる2月12日の対フィンランド戦だった。大澤が限界を感じたという予選だが、チームとしてのスマイルジャパンの戦いぶりは「さすが三大会連続出場したチーム」と感じさせる頼もしいものだったように思う。しかしこの対フィンランド戦は、日本1―フィンランド7という結果以上に、両国の間にある分厚い壁を感じさせる試合だった。一つひとつのプレー、例えばパックをとるためにスティックを出す仕草といった些細な部分に、悲しくなるほどはっきりとした差があった。

北京五輪での最後の試合であり、自身で予感した通り現役最後の試合となった対フィンランド戦後、ミックスゾーンに姿を現した大澤は、現役続行について問われている。

「この4年間やってきた以上の努力ができるって思ったら、続けたいと思いますし…自分自身に可能性を感じるんだったら、また4年後目指したいなと思いますけど、一回ちょっと考えたいな、休みたいなって思います」

「終わってみての涙は、どんな感情なんでしょうか」と尋ねられた大澤は、「どんな感情なんですかね…」と少し考えている。

「『もっと試合がしたかった』というのは、やっぱりありますね。メダル目指してやってきたので」

「このメンバーでもう一回やりたかったっていうのは、すごくあります」

それから約半年後となるこの引退会見で、冒頭のコメントに続けて「ずっと幸せで本当に恵まれた」と言いかけた大澤は、こみ上げてくるものをこらえている。涙声で「恵まれた環境でずっとプレーができたと思っています」とやっと絞り出した大澤に、「今涙をこらえられていますけれども、どんな思いからこの涙になっていますか」という問いかけがあった。

「なんの涙なんですかね…ちょっと分かってないですけど、うーん、本当に多分幸せだった分、離れるのがちょっと寂しい気持ちもあったりとか、多分しているんだと思います。なんの涙かはちょっと分からないですけど、こみ上げてくるものが勝手にありました」

大澤は引退を表明するSNSの文中で「全てを犠牲にできるほど夢中になれたこと」と綴っている。北京のミックスゾーンでの涙も、この引退会見での涙も、大澤がアイスホッケーに捧げてきた尊い努力の結晶のように思える。

北京で大澤が感じたという限界は、五輪という大舞台に立ったからこそ感じられたものでもあるだろう。最強の先輩達と臨んだバンクーバー五輪予選で敗れ、「オリンピックってこんなに遠いんだな、というのをすごく痛感させられた」と語る大澤は、その後三大会の予選でスマイルジャパンを牽引し、五輪本大会への出場を決める原動力となった。

「スキル的なところで、ホッケーIQというものが、やっぱり自分は低いのかなというのはすごく感じています」と冷徹に自らを見据えた大澤は、次世代のスマイルジャパンに期待を寄せる。

「オリンピックに常に出られるチームであってほしいですし、そこでメダルをとっていくチームであってほしいな、というのはすごく思っています。私達の時代では成し遂げられなかったことなのですが、今の若い子達はスキルも高いですし、ホッケーIQもすごく高いので、そういったところをどんどん生かして、強くなっていってほしいなと思います」

2030年の冬季五輪招致を目指す札幌を拠点にアイスホッケーの普及活動をしていくという大澤は、エフエム北海道にパーソナリティとして出演するなど、既に発信を始めている。「選手として結果を残してきた以上に大きな結果を残せるように、アイスホッケー界に貢献できるように頑張っていきたい」と語る大澤は、「アイスホッケーとは」という問いに対して次のように答えている。

「自分を成長させてくれたもので、今後も多分変わらずに、アイスホッケーと寄り添っていくと思うので。共に成長していくもの、なのかなとは思っています」

小さな体を張ってスマイルジャパンを牽引した大澤キャプテンは、これからもアイスホッケーと共に歩み続ける。

ライター

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(フィギュアスケート、アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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