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新たにデビューした女性騎手を見守る父と祖父の共通する想いとは……

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
大江原勝調教助手(右)と比呂騎手の父子

体操に興じた幼少時

 「三重県に帰省していた妻から『今から始まります』と、連絡が入ったのは、僕が午後作業に行く前の時間帯でした」
 2004年8月17日の出来事を、そう振り返ったのは大江原勝(まさる)。蛯名正義厩舎の調教助手だ。
 そんな連絡があってからしばらく後の午後2時18分。2732グラムの女の子が生を受けた。勝にとっての第2子。“比呂”と名付けた。勝は言う。
 「上は男の子だったので、バランスよく生まれてくれたな、と思いました。『ヒーローになれるように!』という思いで比呂と名付けたのですが、妻に『女の子だからヒロインよ』と言われました」

大江原比呂騎手
大江原比呂騎手


 比呂は、幼稚園に入る頃から体操を始めた。勝が述懐する。
 「冷蔵庫に飲み物を取りに行くまでの間も側転をしながら行くような子で、平均台を作ってあげると、その上でバク転をやっていました」
 体操は小学4年まで続け、全国大会に出場するまでの腕前になったというから、運動神経の良い子だったのだろう。それを裏付ける思い出話が、勝の口から続いた。
 「小学校の運動会で、一緒に二人三脚や借り物競走をした時は一等賞を取りました」

幼少時の大江原比呂少女(右)と遊ぶ勝調教助手(大江原勝調教助手提供写真)
幼少時の大江原比呂少女(右)と遊ぶ勝調教助手(大江原勝調教助手提供写真)


 「活発な子でしたね」
 そう振り返るのは、勝の父で、比呂にとっては祖父にあたる大江原哲氏(71歳)。ご存じ、元騎手で元調教師だ。彼は続ける。
 「小さい頃から塩辛を食べる等、好き嫌いのない子で、おじいちゃん(哲氏自身)、おばあちゃんの事も嫌う事なく、なついてくれました。自分からすれば孫ですからね。ただただ可愛いです」

幼少時の大江原比呂少女(左)と祖父の哲元調教師(哲元調教師提供写真)
幼少時の大江原比呂少女(左)と祖父の哲元調教師(哲元調教師提供写真)

皆が驚いた事後報告

 体操に興じていた比呂が、馬に接し出したのは小学5年生になってからだった。再び勝の弁。
 「自分の意思で乗馬を始めました」
 続いて哲氏も当時を述懐する。
 「彼女の妹が生まれる際、お母さんが入院するため、うちで預かったのですが、その時は母親から離れるのを嫌がって珍しく泣いていました。でも、基本的には芯が強くて我慢強い、負けず嫌いの子でした。乗馬も自分の意思で始めたようで、その際『おじいちゃんは馬に乗れるの?』なんて聞かれました」

 比呂が14歳の時、勝は彼女を中山競馬場へ連れて行った。当時、勝が所属していた藤沢和雄厩舎のダービー馬レイデオロが挑んだ18年の有馬記念(GⅠ)だった。
 「ブラストワンピースの2着に負けてしまいました。この時点での比呂はそこまで競馬に固執していなかったのですが、それでも悔しがっていたようでした」

18年有馬記念出走時のレイデオロ。左端が当時藤沢厩舎所属だった大江原勝
18年有馬記念出走時のレイデオロ。左端が当時藤沢厩舎所属だった大江原勝


 すると、それから少しして報告を受けた。
 「本人からジュニアチームに申し込んだと事後報告がありました」
 ジュニアチームとは美浦トレセンの乗馬苑で、騎手になるためのスペシャルコースを受講するチームだった。勝は言う。
 「藤田菜七子騎手の活躍にも影響を受けたようでした。騎手を目指すとは思っていなかったので驚きました」
 哲氏は次のように語る。
 「厩舎へは何度か連れて行った事があったけど、小さい頃は内村航平選手に憧れるほど体操が好きだったので、競馬の世界に入ってくるとは思いませんでした」

中学3年の時の比呂少女。跨っているのは元藤沢和雄厩舎のジャングルクルーズ(大江原勝調教助手提供写真)
中学3年の時の比呂少女。跨っているのは元藤沢和雄厩舎のジャングルクルーズ(大江原勝調教助手提供写真)

デビューを見守った父と祖父の想い

 中学卒業時には無事、競馬学校に入学。1年留年したものの、24年、無事に卒業すると、3月、騎手デビューを果たした。
 「留年したけど、心は折れていなかったようなので、人より多く研修出来たと考えて、今後に活かしてほしいです」
 勝がそう言えば、哲氏は次のように言う。
 「まずは無事にデビューまで辿り着けて良かったです。何をしてもギブアップしない性格が良いように出る事を祈っています」

大江原哲氏(右)と勝親子
大江原哲氏(右)と勝親子


 3月2日の中山競馬場。大江原哲氏と勝親子の姿がそこにあった。
 勝は朝の調教を終えた後は自由の身になるよう、厩舎の長である蛯名に半休の許可をもらっていた。そして、愛娘の応援に駆けつけたのだ。
 また、定年により23年に調教師を引退した哲氏は、次のように語った。
 「引退後はゴルフくらいしかやる事がなかったけど、また競馬の楽しみが出来ました。比呂がやり辛くなると良くないから、毎週来るわけにはいかないけど、そうは言っても毎週応援に来ちゃうかもしれませんね」
 デビュー週の結果は9レースに騎乗し、2着が1回。全レースを現場で見守った勝は言う。
 「道中、武豊さんと並んで走るレースもあり『豊さんの邪魔にならないようにしてよ……』等と思いながら見ていました。いきなり勝つ事は出来なかったけど、まずは皆に迷惑をかけずに終えられたので、ホッとしました」

デビュー日の大江原比呂(右)と勝
デビュー日の大江原比呂(右)と勝

 「素直にこのまま人の言う事に耳を傾けて上手くなってほしい」と願う哲氏と「師匠の武市(康男)調教師始め沢山の人に応援してもらっているので、何でも吸収して、少しでも恩返しが出来るようになってほしい」と祈る勝。最後にそんな2人の、最大にして、共通する想いを父の勝が述べてくれた。
 「とにかく怪我のないように。それだけです」
 父と祖父の愛に包まれて騎乗する比呂の、今後の活躍に注目したい。

父と祖父に見守られ、今後の活躍が注目される大江原比呂
父と祖父に見守られ、今後の活躍が注目される大江原比呂

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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