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大事故から約2年、ついに復帰を諦め、引退を決断した藤井勘一郎騎手の現在と今後

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
23年、車椅子ながらも1人で訪れた韓国での藤井勘一郎騎手(当時)

脊髄損傷

 藤井勘一郎の騎手引退が発表された。事前に聞いてはいたものの、実際に発表されると、やはり寂しい気持ちになる。
 1983年12月31日生まれだから、昨年末、不惑の年になったばかり。そんな彼の運命が大きく変わったのが22年の4月。レース中、落馬した馬を避けようとして自らも落馬。気付いた時には医務室にいた。足に触れられても何も感じない。それどころか胸から下の感触がまるでなかった。脊髄を損傷していた。
 JRAの騎手に憧れ、海外や地方競馬で経験を重ねた。20年かけてやっと開かれたJRAの門戸は、大きなアクシデントで閉じられた。事故から約2年が過ぎようとしていたが、どんなリハビリの効果もなく、以前のようにジョッキーとして馬に乗る道は断たれたのだ。

大怪我により車椅子生活を余儀なくされた藤井勘一郎騎手
大怪我により車椅子生活を余儀なくされた藤井勘一郎騎手

悔いなき引退

 大怪我をした後、私は病院へお見舞いに行ったのを始め、何回か彼に会っている。そのうちの1回は韓国のソウル競馬場。車椅子に乗る藤井は言った。
 「今回は1人で日本から来てみました」
 次に会ったのは香港だった。香港島側から大陸側へ船に乗って渡ろうとした私が、フェリー乗り場へ向かっていると、到着したばかりの船から降りてきたのが藤井だった。思わぬところでの偶然の再会。「これから香港の競馬関係者と一杯やるので一緒にどう?」と誘うと、藤井は目を輝かせた。そして、降りたばかりのフェリーに乗り、再び大陸側へ渡ると、100万ドルの夜景が望めるバーへ行った。そこで、現地の調教騎乗者やシンガポールで乗っている騎手らと競馬談義に花を咲かせた。
 「こんな行動もそうですけど、騎手時代には出来なかった経験を色々とさせてもらっています」
 正真正銘の怪我の功名。この香港の前には、武豊と共にオーストラリアへ渡る予定も組んでいた。結局、レジェンドは怪我をしたため遠征が無くなったが、騎乗予定だったオオバンブルマイは予定通り挑戦したため、藤井は渡豪。歴史的瞬間に立ち会った。
 「足の動かない人でも運転出来る車を購入したので、家から自分で運転して、関空のホテルへ泊まるなんてことも、難なく出来ました。下準備こそ必要だけど、ほぼ健常者と同じ行動はこなせています」

香港の100万ドルの夜景をバックに。この時も1人で渡航した
香港の100万ドルの夜景をバックに。この時も1人で渡航した

人生のバランスが変わっただけ

 とはいえ騎手復帰までは至らず、今回の引退発表となったわけだが、藤井は言う。
 「武豊さんに憧れて、藤沢和雄先生の本を読みニューマーケットに行き、いつかはJRAの騎手になりたいと夢を見ました。海外や地方でも色々な人に助けてもらって乗れて、ついにJRAに入るという夢はかなえました。GⅠこそ勝てなかったし、僅か5年で終わる事になってしまったけど、重賞は勝てたし、精一杯やってきたので悔いはありません」

藤井のJRA初重賞制覇となった20年のフラワーCでのアブレイズ
藤井のJRA初重賞制覇となった20年のフラワーCでのアブレイズ


 更に続けた。
 「休業期間も様々な仕事のオファーをいただいていたのですが、騎手免許がある事での制限がありました。でも、これからは自由に活動出来ます」
 具体的には英語を使えるホテルの仕事を既に受けている。
 「世の中、多種多様になっているので、ホテルのチームで僕みたいなキャリアも役立つようです」
 これに向けて英語やパソコンを改めて勉強していると言い、更に続ける。
 「人生のバランスが変わっただけだと考えています。土日は家にいられる。子供の送り迎えの時間も増えた。失ったモノはあるけど、代わりに手に入れたモノも沢山あります。騎手を辞めなくてはいけないという寂しい思いではなく、今は新たな人生には何が待っているだろうという前向きなワクワクした気持ちでいられます」
 「競馬で感じた達成感を今後は違う形で味わいたい」と言う藤井は、最後に今後の目標を口にした。
 「新たな仕事に打ち込んでスキルアップして、いずれ競馬の世界に恩返しをしたい。そう考えています」
 藤井勘一郎の騎手人生は17日の昼、京都競馬場で行われる引退セレモニーで一旦終止符が打たれる。しかし、藤井チャレンジは形を変えて、この先もまだ続いていく。

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)




ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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