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あの難しい馬との経験を糧に、平地重賞初制覇に挑む若き調教師の物語

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
武豊騎手を背にしたエイシンヒカリと坂口智康現調教師(左)16年イスパーン賞にて

父の後を追って馬の世界に

 2007年の話だ。私はアイルランドのバリードイルを訪ね、エイダン・オブライエン調教師が運転する車に乗った。調教する馬と併せて走ったその車には、もう1人、日本人が乗っていた。
 「競馬学校を卒業し、トレセンに入るまでの時間を利用してアイルランドへ研修に来ました」
 これが彼との初コンタクト。名は坂口智康。現在は栗東で開業する調教師だ。

坂口智康現調教師(2007年、アイルランドのバリードイルにて)
坂口智康現調教師(2007年、アイルランドのバリードイルにて)


 1981年2月6日生まれだから間もなく43歳になる。中学では野球、高校ではスピードスケートに興じたが、幼い頃から馬の仕事を漠然と考えていた。理由は、父の正則が、当時、調教師(引退)だったため。高校卒業時には具体的に考えるようになり、日本獣医畜産大学(現、日本獣医生命科学大学)へ入学。乗馬を始めた。
 2005年に大学を卒業すると、千葉県の牧場に就職。現役の競走馬に跨るようになった。
 「テンションもパワーも、乗馬ウマとは全く違うので、慣れるまでは苦労しました」
 2年後、競馬学校に入学。卒業すると、アイルランドやアメリカの厩舎や牧場で研修をした。
 「08年の1月からは栗東トレセンの父の厩舎で持ち乗り調教助手として働きました」
 3か月後には攻馬専業調教助手となった。

あるクセ馬との出合い

 それから数年が過ぎた頃、1頭の芦毛馬が入厩した。
 「最初は私ではないスタッフが乗っていたのですが、気が強くて、いかにも難しそうなタイプに見えました。ただ、初めて坂路コースに入れた時にいきなり好時計を出す等、ポテンシャルの高さも感じさせる馬でした」
 エイシンヒカリだった。

エイシンヒカリ。左が坂口智康
エイシンヒカリ。左が坂口智康


 同馬はデビューからいきなり5連勝。この頃から坂口が調教で騎乗するようになった。
 「調教は問題なく走るのですが、競馬へ行くと右へモタれました」
 5連勝目のアイルランドTでは逃げながらも馬場の外ラチ沿いまで吹っ飛んだ。それでも2着に3馬身半の差をつける衝撃の快勝劇だった。
 その後は武豊を背にエプソムC(GⅢ)や毎日王冠(GⅡ)を勝利。天皇賞・秋(GⅠ)こそ9着に敗れたが、ここで香港へ飛ぶと香港カップ(GⅠ)を逃げ切って快勝。自身初のGⅠ制覇を成し遂げてみせた。

15年、香港カップ(GⅠ)を制したエイシンヒカリ
15年、香港カップ(GⅠ)を制したエイシンヒカリ

 「初めての海外への輸送に加え、レースでは外枠(13頭立ての11番)に入り、正直、不安はありました。ただ、人気にはなっていなかったので『ユタカさんなら一発あるんじゃないかなぁ……』という気持ちで見る事が出来ました。結果、勝てたのは凄く嬉しかったです」
 翌16年の春、再び香港へ飛び、全く同じ舞台となるクイーンエリザベス二世カップ(GⅠ)に出走する予定でいた。しかし、思った以上に回復に手間取り、その願いはかなわなかった。ところが、塞翁が馬である。
 「4月の香港は間に合わないけど、5月には戦列復帰出来そうという事で、フランスのイスパーン賞(GⅠ)に臨む事になりました」
 フランスはシャンティイの厩舎に入った。「初めての場所でイレ込むのでは?」と心配したが、真逆の結果が待っていた。
 「初めてだからモノ見をして慎重になり、全くイレ込みませんでした。また、レース当日のパドックも日本みたいに長く回らないで済むので、リラックスしてレースに臨めました」
 驚愕の結果が待っていた。レジェンドを背に逃げたエイシンヒカリは、2着に10馬身もの差をつけてゴール。凱旋門賞(GⅠ)の度に「欧州の馬場は日本馬には合わない」という声が上がるが、馬場云々は関係なく、中距離戦ならお釣りが来るほど日本馬で走れる事を証明してみせた。
 「その後のプリンスオブウェールズS(GⅠ、イギリス)はレース前にイレ込んでしまい力を発揮出来ません(6頭立て6着)でしたが、エイシンヒカリには色々な経験をさせてもらい、感謝しかありません」

イスパーン賞(GⅠ)勝利直後のエイシンヒカリと武豊
イスパーン賞(GⅠ)勝利直後のエイシンヒカリと武豊

今度は調教師として

 このような経験を礎として、18年には調教師試験に合格。翌19年に厩舎を開業した。
 「開業後は1つ勝つ事の難しさを嫌というほど味わっています。それは父の姿を見ていて、分かっていた事ではありますが、自分が調教師という立場になると、やはり責任感が違うので、一スタッフでいた時とは比べ物にならないくらい、毎日、プレッシャーを感じています」
 そんな中、その“難しい1つ勝つ事”をデビュー戦でやってのけた馬と出合った。
 「2歳の夏前くらいにノーザン空港牧場で初めて見ました。線は細いけど見栄えのする良い馬というのが第一印象でした」
 ビザンチンドリームと名付けられたこの牡馬は、新馬戦で非凡な走りを披露する。

ビザンチンドリーム(坂口調教師提供写真)
ビザンチンドリーム(坂口調教師提供写真)


 「スタートは遅くて、最初の何ハロンかは押して行く形になったけど、すぐに馬群には取りついたので、心配はしていませんでした。4コーナーでも後方でしたけど、外へ出した時に勢いがあったので、これならかわせるという思いで見ていました」
 結果は皆さんご存じの通り。楽々かわすと最後は抑えながら2着に3馬身差をつける楽勝だった。
 「後から聞いた話では、騎乗したムルザバエフ騎手が返し馬を終えた時点で『凄く良い馬だ』って言っていたそうです」

 同馬は2月4日に行われるきさらぎ賞(GⅢ)に出走する。障害ではエイシンクリックによる阪神スプリングジャンプ(J・GⅢ)勝ちがある坂口だが、平地重賞は今回、初めての優勝が懸かる。

エイシンクリックで障害重賞は制している坂口(右)だが、平地重賞はまだ経験がない
エイシンクリックで障害重賞は制している坂口(右)だが、平地重賞はまだ経験がない


 今回はレネ・ピーヒュレク騎手への乗り替わりとなるが、1週前追い切りでは栗東に駆けつけて感触を確かめた。ピーヒュレクは言う。
 「バウルジャン(ムルザバエフ)からも良い馬だと聞いていたし、実際にレースも何度も見て、素晴らしい馬なのは分かりました。乗ってみて、まだ若い面のある馬ではありましたけど、闘争心があって、思った通り良い馬だったのは間違いありません」

ビザンチンドリームに調教で騎乗し「良い馬」と語るレネ・ピーヒュレク騎手
ビザンチンドリームに調教で騎乗し「良い馬」と語るレネ・ピーヒュレク騎手


 ピーヒュレクの言う「若い面」に関しては、坂口が続けて言う。
 「牧場側からも聞いていたけど、入厩当初から馬っ気が強い等、気性的に幼くて、難しい面は多分にありました」
 しかし少々の“難しさ”には臆さない経験が、坂口にはあった。
 「競馬ぶりを思い出していただければ分かると思いますが、エイシンヒカリは特殊といえるくらい、難しい馬でした」
 そんな経験を糧とする彼に、自身の今後についての展望を伺うと、次のように答えた。
 「少しずつステップアップしていくしかないという考えは常に持っています。そのためにも、まずはビザンチンドリームがここで好結果を残し、良い形でクラシック戦線へ向かえれば、と考えています」
 エイシンヒカリとの経験がビザンチンドリームに活かされる結果となるか。刮目したい。

ビザンチンドリーム(坂口調教師提供写真)
ビザンチンドリーム(坂口調教師提供写真)

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)















ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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