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栄冠から1年。担当助手が、唐突に星になったGⅠ馬の思い出を改めて振り返る

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
22年の菊花賞を制した際のアスクビクターモア

田村厩舎一筋26年

 「『またな……』という感じで送り出したのが最後になってしまいました」

 そう口を開いたのは高木大輔。1974年9月生まれだから現在49歳。祖父は馬主、父は馬主をしながら育成牧場も営んでいた。

高木大輔調教助手
高木大輔調教助手

 中学2年で乗馬を始めると、麻布獣医大学附属淵野辺高校入学後、馬術部に入部。現在、調教師の伊藤大士や梅田智之らと切磋琢磨し、団体戦での関東大会優勝等、輝かしい成績を残した。

 「周囲に競馬関係者の子が多くいたため、自然と競馬を見るようになりました」

 高校卒業後は実家の牧場に就職。競走馬の馴致や育成に携わったのを経て、98年に競馬学校入学。10月に卒業すると、美浦・田村康仁厩舎でトレセンのキャリアをスタート。現在、足かけ26年目のベテラン調教助手となった。

 「田村厩舎一筋」と本人が言えば、師匠である田村は次のように評した。

 「高木大輔がいなければ現在のうちの厩舎はないと言えるくらい、自分にとって大切な右腕的存在です」

田村康仁調教師(右)と高木
田村康仁調教師(右)と高木

最初は球体のような馬

 2015年にはメジャーエンブレムが阪神ジュベナイルF(GⅠ)を制覇。翌16年、NHKマイルC(GⅠ)も優勝した。

 「最初から完成されていた感じで、手のかからない牝馬でした。自分が関わった初めてのGⅠ馬で、追い切りや振る舞い等、様々な事を教えてもらいました」

メジャーエンブレムと田村
メジャーエンブレムと田村

 メジャーエンブレムが引退して5年後、1頭のディープインパクトの牡馬が入厩した。

 「それほど大きくなくて全体的に芯がない感じ。球体に乗っているような感覚でした」

 当時の様子を高木にそう評されたのがアスクビクターモアだった。

 「ゲート試験こそすぐに受かったけど、出来上がるまでには相当、時間を要すると思いました」

 ところが2歳の6月にデビュー戦をすると、いきなり3着に好走。約3カ月後の2戦目をあっさり勝利すると、アイビーS(準重賞)では3着に善戦した。

21年アイビーSでは後のダービー馬ドウデュースと僅差の3着(中央黒帽)
21年アイビーSでは後のダービー馬ドウデュースと僅差の3着(中央黒帽)

 「メジャーエンブレムもそうでしたけど、GⅠを勝つような馬は、こちらが考えている事を色々な面で超えていきます。2歳時のビクターモアは、調教でも折り合いに苦労するような馬で、毎日、苦労の連続だったのに、競馬では想像以上に動いてくれました」

 年明けの3歳初戦は自己条件に出走。「ここは負けられない気持ち」で仕上げ、見事に勝利。平場の1戦ではあったが「凄く嬉しかった」。

 こうして挑んだのが続く弥生賞ディープインパクト記念(GⅡ)。朝日杯フューチュリティS(GⅠ)を含め3戦3勝のドウデュースと、アイビーS以来の再戦となった。

 「調教では徐々に抑えが利くようになってきたけど、さすがにGⅠホースが相手では、挑戦者という気持ちでした」

 ところが2番手で我慢すると、直線では先頭へ。最後はドウデュースの猛追を抑え、重賞初制覇。上がって来たアスクビクターモアを出迎えた高木の目があるモノをとらえた。それは彼自身、25年間の厩舎生活をする中でも、初めて目にしたモノだった。

 「ビクターモアの肩が騎手のつま先で擦れていました。それだけ田辺(裕信騎手)君が引っ張っていたという事。馬も騎手も良く我慢してくれた証しでした」

ドウデュースに雪辱を果たし弥生賞ディープインパクト記念を制覇したアスクビクターモア(左、桃帽)
ドウデュースに雪辱を果たし弥生賞ディープインパクト記念を制覇したアスクビクターモア(左、桃帽)

春の2冠は惜敗

 「相当、時間がかかる?」という最初の頃の印象とは一転、これで皐月賞(GⅠ)、日本ダービー(GⅠ)という春のクラシック戦線が視界に入った。しかし、1冠目は5着に敗れた。

 「この馬に先着したのはジオグリフ、イクイノックス、ドウデュースとダノンベルーガ。走る馬が走ったという結果で、上には上がいると感心するしかありませんでした。

 ただ、その後、状態は更に良くなっていったのでダービーも自信を持って挑みました」

 世代ナンバー1決定戦は、ドウデュースとイクイノックスにこそ差されたものの、自身も2分22秒2という好タイムで走破。“負けて強し”という走りで3着となった。

 「上位2頭は半端なく強かったです。負けたけど、清々しい気持ちでした」

ダービーのパドックでのアスクビクターモア
ダービーのパドックでのアスクビクターモア

菊花賞をレコードで優勝

 夏場、山元トレセンでの完全休養を挟み、菊花賞(GⅠ)を前にした秋初戦のセントライト記念(GⅡ)は、ガイアフォースの2着に敗れた。

 「小倉でガイアフォースがち切って勝つのを見ていたので、怖い存在で嫌だな、と考えていました。実際、負けてしまったけど、周囲からは『セントライト記念は勝つよりも負けた方が菊花賞で勝つ可能性が高くなるから……』と慰められました」

 とはいえ、その菊花賞にはガイアフォースも再び名を連ねて来た。またも「嫌だな」と思ったかと問うと、かぶりを振ってレース前の一つのエピソードを教えてくれた。

 「春にはイクイノックスやジオグリフで一緒にクラシックを争った木村哲也調教師と、話す機会がありました。その時、伝えさせてもらった事がありました。『ここ(菊花賞)でビクターモアが惨敗しちゃうと、春先に戦って来た相手に失礼になるから、正直、ここは負けられない気持ちで行きます』と伝えました」

 そう言うと、別れ際には「頑張って結果を出して、来週(秋の天皇賞)はイクイノックスを応援させてもらいます!!」と更に続けた。

ダービーのゴール前。3番がアスクビクターモアで18番がイクイノックス。13番ドウデュースらのためにも「彼等が不在のここで負けては失礼」と考えて高木は菊花賞に臨んだ
ダービーのゴール前。3番がアスクビクターモアで18番がイクイノックス。13番ドウデュースらのためにも「彼等が不在のここで負けては失礼」と考えて高木は菊花賞に臨んだ

 こうして迎えた菊花賞。最終コーナーを前に、田辺が進出を開始。早目に先頭に躍り出たアスクビクターモアは、後続の追撃をハナ差だけしのぎ、3分2秒4のレコードタイムで勝利。自身初のGⅠ制覇を成し遂げてみせた。

 「田辺渾身の騎乗で、見ていて鳥肌が立ちました。最後はハナ差でしたけど、馬を信じていたので、差されるイメージは全くありませんでした」

菊花賞を制したアスクビクターモアの表彰式。左から田村調教師、廣崎利洋オーナー(名義は廣崎利洋HD)、田辺裕信騎手、高木助手
菊花賞を制したアスクビクターモアの表彰式。左から田村調教師、廣崎利洋オーナー(名義は廣崎利洋HD)、田辺裕信騎手、高木助手

思わぬ形のお別れ

 その後のアスクビクターモアは、1番人気に推された日経賞(GⅡ)で9着に敗れると、天皇賞(春)(GⅠ)、宝塚記念(GⅠ)といずれも11着に惨敗してしまった。

 「調子は悪くなかったけど、天候とか噛み合わない不運が続いた感じで、持ち味出し切れませんでした」

 そこで、休養に入る事になった菊花賞馬に「ついていなかったね。秋にリベンジしよう。またな……」と声をかけて、送り出した。この時は、これが最後の別れになるとは思いもしなかった。

 「8月に入って、牧場から調教動画と写真が送られて来ました。馬体はビッカビカで絶好調に見えました」

 ところがその僅か「1週間後くらい」(本人)の調教終わりに、調教師から呼ばれ、言われた。

 「『残念な話だけど……』と最初に言われ、事の顛末を伝えられました」

 熱中症による訃報。クラシックを制してから1年と経たぬうちに、菊花賞馬は星になってしまった。

 「目の前で骨折したとかではなかったので、実感がありませんでした。今でも、馬運車に乗って帰って来てくれるんじゃないか?と思う事があります」

思わぬ形でラストランとなってしまった宝塚記念でのアスクビクターモア
思わぬ形でラストランとなってしまった宝塚記念でのアスクビクターモア

 今週末に迫った菊花賞を前にして、高木は言う。

 「デビュー時は、折り合いを覚えさせるのに毎日、苦悩の連続でした。静かな時間帯で乗るとか、工夫をしながら一つ一つ積み上げて、菊花賞の前にはワクワク出来たし、レース後は、いくらお金を払っても買えない達成感を得られました。間違った方向にさえ進まなければ、馬は勝手に強くなると、改めて教えてもらいました」

 更に続ける。

 「僕自身、年齢を重ね、若い子と比べると気力も体力もかなわないと思う事があるのは事実です。乗り手としてのキャリアがあとどのくらいあるかも分かりません。でも、多少苦労してでも良いから、もう1度、アスクビクターモアのような馬に出合いたいです。強い馬ほど教えてくれる事が多く、それらが私達の財産になる事を彼は教えてくれましたから……」

 菊花賞馬アスクビクターモアの名を改めて胸に刻むと共に、経験値を活かした高木が、再びこのような名馬と巡り合う事を祈ろう。

22年ダービーでのアスクビクターモア。右後ろが田村で左後ろが高木
22年ダービーでのアスクビクターモア。右後ろが田村で左後ろが高木

(文中敬称略、写真提供=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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