Yahoo!ニュース

大躍進の若手ジョッキーに、レジェンド・武豊がかけた思わぬ言葉の意味とは?

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
ある若手騎手に思わぬ言葉でアドバイスした武豊騎手

父は腕利き調教助手

 デビュー2年目で大躍進。函館では第1回開催で8勝、第2回が10勝の計18勝。横山武史騎手らを抑え、見事にリーディングの座を獲得したのが佐々木大輔騎手だ。

 私が佐々木に初めて会ったのは2010年で、彼がまだ7歳の頃。というのも彼の父は美浦トレセンの厩舎で働いていた。当時は二ノ宮敬宇厩舎(解散)で、現在は堀宣行厩舎にいる佐々木幸二調教助手がそうで、凱旋門賞(GⅠ)でいずれも2着に健闘したエルコンドルパサーやナカヤマフェスタに乗っていた腕利きだ。

佐々木大輔騎手の父はエルコンドルパサーに乗っていた佐々木幸二調教助手だ
佐々木大輔騎手の父はエルコンドルパサーに乗っていた佐々木幸二調教助手だ

 母も以前は二ノ宮厩舎で働いていた事もあり、3人きょうだいの長男である大輔は幼い頃から馬に慣れ親しんで成長した。

 「二ノ宮厩舎にいて、引退したブリッツェンという馬を父が譲り受け、乗馬クラブに預け、僕がいつも乗せてもらっていました」

現役時代のブリッツェン
現役時代のブリッツェン

 もっとも、当時から何が何でも騎手を目指していたというわけではないと続ける。

 「馬に乗るのは疲れるという印象を受けました。ぼんやりと騎手か調教助手になりたいとは思ったけど、本格的に考え出したのは小学5年生になり、美浦トレセンの乗馬苑で乗り始めてからです」

 中学2年になると週に5日は馬に跨った。その成果もあり、中学卒業と同時に競馬学校に入学出来た。

 「ただ、学校は苦しかったです。同期では角田大河君と今村聖奈さんの成績がいつも上位で、僕は常に下の方でした」

 それでも「本当の勝負はまだ先の話」と考え、何とか食らいつくと、22年3月、美浦・菊川正達厩舎から騎手デビューを果たした。

 「菊川先生の息子さんとは、美浦の乗馬苑で一緒に乗っていました。先生自身は多くを喋る人ではないけど、僕の騎乗をよく見てくださって、的確なアドバイスをくださいます」

佐々木大輔騎手
佐々木大輔騎手

悔しい敗戦を糧に

 1年目は9勝に終わった。

 「大河が2連勝デビューして、今村さんも毎週のように勝っていたので、正直、悔しい気持ちはありました」

 中でも悔しいレースがあった。

 デビュー2週目の3月13日。中山競馬場で、自厩舎のスイートカルデアに騎乗した。減量のない他の騎手が乗った前走で2着していた事もあり、1番人気の支持を受けた。しかし……。

 「恥ずかしい乗り方をしてしまいチャンスを活かせませんでした」

 超ハイペースで逃げる形になり失速。5着に敗れた。頭が真っ白になり、当然、叱られると思った佐々木だが、師匠の菊川から厳しく叱責される事はなかった。

 「それどころかこの馬の次走でまた乗せていただけました」

 オーナーと師匠に感謝すると共に「何としても勝たないと……」と思うと、見事に先頭でゴールを駆け抜けた。佐々木にとって、これが初めての勝利だった。

 「負けた時には『自分は何をやっても出来ない』と自信を無くしたけど、また乗せていただき、勝てた事で救われました。正直、泣くくらい嬉しくて、レース後はひたすら『ありがとうございました』と繰り返していました」

デビュー当初の佐々木
デビュー当初の佐々木

武豊に言われた思わぬ言葉

 2年目の今年は「目標30勝」を公言した。すると「春のローカルあたりで流れが良くなった」(本人)。そして、冒頭で記したように函館ではリーディングを獲得。8月13日の開催が終わった時点で40勝という大躍進を見せた。

 「函館では(横山)武史さんにアドバイスいただけたのも大きかったです」

 そう言うと、具体的な一例を教えてくれた。

 「武史さんはエフフォーリアと出合って考え方が変わったそうです。馬との巡り合わせは大事で、今、乗せてもらえている馬が大きなところに出た時にも引き続き乗せてもらえるように、普段から考えながら乗る事が大切と言われたので、実践しています」

 一方、父からは「何も言われない」と笑う。

 「堀先生の計らいで、父の担当馬に乗せてもらう事もあるのですが、そんな時でもとくに何も言われません」

 ただ、ランドオブラヴ(美浦・蛯名正義厩舎)で勝利した時は、ひと言、言われたそうだ。

 「『良くやったね』と言われました。ブリッツェンと同じ広尾レースさんがオーナーの馬だったので、少し恩返し出来たかという気持ちがあったのかもしれません。勿論、僕もそう感じました」

 父が勝てなかった凱旋門賞を勝ちたいか?と問うと、それにはかぶりを振り「僕はどちらかというとアメリカのジョッキーに憧れているので、そっちで勝ちたいです」と言い、父と似たドライな一面を見せた。しかし、ある男の話になると、そんな姿勢は一転、途端に熱く語り出した。

 「函館の調教で、武豊さんと併せ馬が出来ました。その後、興奮して、ついつい色々と質問をし過ぎちゃいました」

 憧れのレジェンドへの質問は尽きる事がなかった。そんな会話の中で、嬉しい言葉をもらえたと続ける。

レジェンド武豊騎手
レジェンド武豊騎手

 「武豊さんが、僕のインタビュー記事を読んでくださっていました」

 それだけでも嬉しかったそうだが、読後の天才騎手の感想を聞くと、跳ね上がるほどの気持ちになったと言う。

 「『これだけ勝てている要因は何ですか?』という質問に対する僕の答えに、武豊さんが『それで良いし、それが良い』と言ってくださいました。正直な気持ちを答えただけだったのですが、そう言われて、とんでもなく嬉しく感じました」

 勝っている要因を聞かれた佐々木は、次のように答えていた。

 『何でこんなに勝てているのか、僕自身、分かりません』

 これに対し「それで良い」と言った武豊は、更に続けた。

 「どれだけ勝てるようになっても調子に乗ってはいけないよ」

 ナンバー1ジョッキーからいただいたこの言葉を一丁目一番地として、調子に乗らずにいる限り、若武者の躍進はまだまだ続きそうだ。

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

平松さとしの最近の記事