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父タニノギムレットから受け継いだモノは? ウオッカについて、武豊が振り返る

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
武豊と現役競走馬時代のウオッカ

ヴィクトリアマイルをぶっち切り

 今週末、東京競馬場でヴィクトリアマイル(GⅠ)が行われる。牝馬限定、1600メートルのGⅠレース。三年前のアーモンドアイや一昨年のグランアレグリア等、牡馬相手にもビッグレースを勝つような名牝が、ここでは楽勝するケースがあるが、14年前、2009年のウオッカもまたそんな馬だった。

現役時代のウオッカ
現役時代のウオッカ

 この時、騎乗していたのが武豊騎手。後に話を伺った際、次のように語っていた。

 「ウオッカとのコンビでは前年に秋の天皇賞、この後には安田記念も勝たせてもらいました。牡馬相手にそれだけ走るのだから、ヴィクトリアマイルをぶっち切った時は『やっぱりな……』という印象でした」

 18頭のフルゲートで行われたこの年のヴィクトリアマイル。ウオッカは、単勝1・7倍の圧倒的1番人気に支持されていた。そして、結果は2着のブラボーデイジーに7馬身の差をつけての圧勝。格の違いを見せつけた。

 「何と言ってもダービー馬ですからね」

 当時、鞍上はそう言っていた。07年、四位洋文騎手(現調教師)を背に、第74回の日本ダービー(GⅠ)を制していた。牝馬としては64年ぶり、史上3頭目のダービー制覇という快挙。1600メートルから2400メートルまでで大仕事をしたわけだが、これに関して、武豊はこう言っていた。

 「能力の高い馬ほど距離の融通も利きますからね。ウオッカに関して自分は2000メートル以下でしか乗らなかったけど、騎乗した時に『なるほど2400メートルでも走れるのも頷ける』という感触を得たものです」

 先述した通り、武豊は2000メートルの天皇賞(秋)もウオッカとのタッグで勝っていた。ライバルであるダイワスカーレットとの叩き合いをハナ差で制した“あの”秋の盾だ。

08年、武豊を背にダイワスカーレットをハナ差で破った天皇賞(秋)
08年、武豊を背にダイワスカーレットをハナ差で破った天皇賞(秋)

世界で充分に通用した能力

 「ダイワスカーレットもさすがで、際どい勝負になったけど、勝てて良かったです。あの条件で負けると、さすがに『ダイワスカーレットの方が強い』という話になっちゃうところでしたからね。ウオッカの力を証明出来る結果で本当に良かったです」

 そう言うと、パートナーに対する評価を改めて口にした。

 「ウオッカは、ドバイでは残念ながら結果が出なかったけど、能力だけなら世界でも充分に通用しておかしくない馬だと感じていました。そのくらい素晴らしい馬でした」

 ドバイには08年から10年まで3年連続で挑戦した。そのうち、最初の2年で、計三走、日本のリーディングジョッキーが手綱を取った。現地では空き時間に厩舎を訪ね、ウオッカに声をかけるシーンもあった。武豊としては珍しい場面であり、それだけ、期待のほどが感じられた。白星には手が届かなかったといえ、数々の名馬の背中を知る日本のトップジョッキーがそのくらい期待していた馬だったのだ。

ドバイでウオッカの馬房を訪ねた武豊
ドバイでウオッカの馬房を訪ねた武豊

父から受け継いだのは?

 結局、ウオッカはアイルランドで繁殖入りし、そのまま帰国する事なく19年に星になった。それはまた別のお話につながるわけだが、最後に彼女の現役時代に武豊が言った言葉を紹介しておこう。それはウオッカの父で、02年に彼がダービー馬へと導いたタニノギムレットとの共通点を質問した時の答えだ。

 「お父さんも良い馬でしたけど、どこが似ていると言ったら“強いところ”ですね」

アイルランドで繁殖入りしたウオッカは残念ながら帰国する事なく19年に息を引き取った
アイルランドで繁殖入りしたウオッカは残念ながら帰国する事なく19年に息を引き取った

 02年2月に落馬で大怪我を負った武豊。最初は全治6カ月から1年と診断されたそうだ。しかし「お医者さんにそれは公表しないでくださいとお願いして」(武豊)、懸命にリハビリ。約3カ月後のダービーに騎乗した。タニノギムレットはそのくらい期待していたし、乗りたかった馬だった。そして、結果ダービーを勝利した。そんな馬と“強いところ”が似ていたのがウオッカ。牝馬同士ならぶっち切って『やっぱりな……』と、思える馬であった事がお分かりいただけるだろう。

 さて、今年のヴィクトリアマイルにエントリーした馬の中で、牡馬相手にGⅠを勝っているのはソングライン(牝5歳、美浦・林徹厩舎)ただ1頭だが、果たしてどんな結果が待っているだろう。刮目したい。

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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