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ジャパンCを制しGⅠトレーナーとなった男の父は、その時、何をしていたか?

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
ジャパンCを制したのは渡辺薫彦調教師が管理するヴェラアズール(ゼッケン6)だった

父を追って競馬の世界へ

 「子供の頃は怖い存在でした。それでも時々、厩舎で馬を触らせてくれました」

 厩務員だった父の薫について、そう語るのは渡辺薫彦。先日、行われたジャパンC(GⅠ)をヴェラアズールで制した最も新しいGⅠ調教師だ。

 「父のお陰でいずれ競馬の世界に入りたいと考えるようになりました」

管理馬を曳く渡辺薫彦調教師(左)とその父・薫(19年撮影)
管理馬を曳く渡辺薫彦調教師(左)とその父・薫(19年撮影)

 1994年には父の務める沖芳夫厩舎から騎手デビュー。5年後の99年にはナリタトップロードとのコンビで菊花賞(GⅠ)を優勝。GⅠジョッキーとなった。その後も同馬とのコンビでは2001年のジャパンCを3着するなど善戦したが、再び表彰台に登る事はなかった。

 その後、15年には調教師試験に合格。翌年の開業を待つまでの技術調教師の期間を利用して、池江泰寿厩舎のオーストラリアへ遠征に同行した彼と、現地でゆっくり話す機会があった。当時、希望に満ち溢れる若きトレーナーは言っていた。

 「開業する限りはいずれこのような形で世界に挑戦出来る馬を作りたいです」

池江泰寿厩舎の豪州遠征について、一緒に遠征した渡辺技術調教師(当時、15年撮影)
池江泰寿厩舎の豪州遠征について、一緒に遠征した渡辺技術調教師(当時、15年撮影)

芝の長いところが良さそう

 しかし、そのような馬は一朝一夕には生まれなかった。開業後の3年間は、重賞に出走するのもままならず、出られたとしても勝ち負けに持ち込むのはまた難儀だった。しかし、近年、徐々に花が開き始めた。19年にはヴァルディゼールでシンザン記念(GⅢ)を勝ち、重賞初制覇。昨年はシゲルピンクルビーでフィリーズレビュー(GⅡ)を優勝。そしてこの秋、ヴェラアズールが本格化の階段を一気に駆け上がった。

 「育成時代に骨折して、入厩後も骨瘤が出るなどしたため、デビューが遅くなりました。加えて体が大きかったので、負担の少ないダートから走らせる事にしました」

 約2年間、ひたすら砂の上を走る事16戦。行きたがる面があり、口を切って上がって来る事があった。C・ルメールをして下馬するなり「手が痺れた」と言わしめる事もあった。それでも、渡辺は思うところがあった。

 「勿論、折り合い次第にはなるけど、自分が乗ってみた感じでは、芝の長いところが良さそうというイメージが前からありました」

掛かって3着に敗れ「手が痺れた」とルメールが言った21年の八王子特別(ゼッケン2番)
掛かって3着に敗れ「手が痺れた」とルメールが言った21年の八王子特別(ゼッケン2番)

 転機は22年の春に訪れた。3月、阪神競馬場の芝2600メートルに出走させると、初めての芝も苦にせず、先頭でゴールをした。

 「ただ、騎乗した(岩田)望来君が『掛かったので、結構キツかったです』と言っていました。だから、続く芝2500メートルの一戦では折り合いに専念して乗ってもらいました」

 結果は追い込むも届かず3着に敗れた。しかし、指揮官は思った。

 「うまく折り合いに徹して乗ってくれたので、絶対、先々に活きて来ると感じました」

芝転向2戦目となった22年サンシャインS。折り合いに専念して3着となったヴェラアズール(ゼッケン7番)
芝転向2戦目となった22年サンシャインS。折り合いに専念して3着となったヴェラアズール(ゼッケン7番)

 結実するのは想像以上に早かった。続く1戦も追い込み届かず3着に敗れたものの、更に続く準オープンの芝2400メートルではタメた脚が炸裂した。最初の5ハロン63秒8というスローで、ブレークアップ(後にGⅡ制覇)が逃げる中、控えたヴェラアズールは出走15頭中ただ1頭、33秒台の脚を披露。ブレークアップを差し切って優勝した。

 「この時、騎乗したルメールも折り合いを意識して乗ってくれました。これに体質強化してきた時期も加わり、続く京都大賞典は馬体も良くて、落ち着きもあったので、かなり好勝負が出来る雰囲気でした」

 結果は管理調教師ですら驚く圧勝劇だった。

 「ここまで切れるとは、ビックリ。想像以上の強さでした」

 こうしてジャパンCに向かった。すると、またしても絶好の状態で臨めた。

 「追い切りの動きも抜群で、相手は強くなるけど、また好勝負出来ると思いました」

 しかし、レース2日前、急に緊張する事態に見舞われた。

 「最終的に3番人気でしたけど、前売りでは1番人気になる時間帯もあり、金曜夜のレセプションパーティーの席で、オーナー始め多くの人からそれを突っ込まれました」

ジャパンCのパドックでのヴェラアズール
ジャパンCのパドックでのヴェラアズール

 さすがにその時はプレッシャーを感じた。しかし、当日、パドックで堂々歩く愛馬を見ると、少し落ち着いた。そして、初コンビとなるライアン・ムーアの言葉を聞くと、平常心が戻った。

 「折り合い等、注意点を伝えようとしたら、先に『レースをチェックしたけど、掛かる面がありそうなのでそのあたりに気をつけて乗ります』と言われました」

 これはもう余計な事は言わずに任せようと、馬場へ送り出した。

ジャパンC制覇。その時、父は?

 スタート直後は後方になった。しかし、最初のコーナーに差し掛かるところで、内から進出する愛馬の姿が目に映った。

 「出して行って好位をとったのをみて、さすがムーアと思いました。結果的にここの勝負が大きかったです」

最初の1コーナー手前。狭い内を突いて番手を上げて行ったヴェラアズールとムーア騎手(赤帽)
最初の1コーナー手前。狭い内を突いて番手を上げて行ったヴェラアズールとムーア騎手(赤帽)

 いわゆる布石である。道中はスローで一団となり、直線に入っても多くの馬が自分の競馬をさせてもらえない大渋滞。ヴェラアズールも心配になるシーンがあったが、のんびり後方に構えず、序盤に置いた“好位取り”という布石があった分、前が開いた途端、勝負圏内に突っ込んで来た。渡辺は述懐する。

 「あれだけ包まれてタイトになった中でも、引っ張る事なく、ちゃんと踏みながら前が開くのを虎視眈々と狙っていました。さすが世界のトップジョッキーという騎乗でした」

 開業7年目でのGⅠ初制覇は、世界が注目するジャパンCだった。ゴールの瞬間、近くで見ていた矢作芳人や池江泰寿ら世界を舞台に戦う名調教師が祝福の声をかけてくれた。

 「そういった先生方に『おめでとう』と言っていただき、涙をこらえるのに必死でした」

見事にジャパンCを制したヴェラアズールとムーア
見事にジャパンCを制したヴェラアズールとムーア

 一方、歓喜から2日が過ぎても、父の薫からの祝福は何もなかった。すでに定年となり、現在はヘルパーとして厩舎に出入りしている父だが「おめでとう」のひと言もなかったのだ。渡辺は言う。

 「ジャパンC当日は私の娘のバレエの発表会で、父も母も、妻と一緒にそれを見に行っていました」

 だから、競馬を見られないのは覚悟していた。しかし……。

 「妻が言うには、レースの時間だけバレエを抜け出して、駐車場へ行き、車についているテレビで観戦していたそうです」

 そして、誰よりも喜んでいたそうだ。

 父の姿を見て、この世界に入った少年は、当時の父よりも年齢を重ね47歳となり、GⅠトレーナーになった。父はその姿を誇らしく思っている事だろう。

渡辺薫彦、薫親子
渡辺薫彦、薫親子

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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