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デアリングタクトの1年以上の休養期間と、完全復活を願う指揮官の言葉とは?

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
復帰戦のヴィクトリアマイルで、大きな拍手で迎えられたデアリングタクトの返し馬

追い打ちをかけるように発生した故障

 「すぐに見に行きました」

 調教師・杉山晴紀がそう語るのは丁度1年前の2021年5月の事。その前に香港でクイーンエリザベスⅡ世C(GⅠ)を走ったのが20年の3冠牝馬デアリングタクト。3着に敗れた後、帰国。三木ホースランドパークでの着地検疫を終え、チャンピオンヒルズに移動した後の事だった。

 「『違和感がある』と連絡があり、私も駆けつけました」

 すぐに同馬を所有するノルマンディーオーナーズクラブに連絡すると、5月14日には“右前肢にけいじん帯炎を発症”と発表。予定していた宝塚記念への出走は白紙に戻された。

 「勝てなかった上に怪我をさせてしまいました。追い打ちをかけられた感じで意気消沈しました」

ヴィクトリアマイルでのデアリングタクトと後ろが杉山晴紀調教師
ヴィクトリアマイルでのデアリングタクトと後ろが杉山晴紀調教師

 5月中に幹細胞手術をした後、現役の競走馬をリハビリする福島の競走馬リハビリテーションセンターに移した。

 「乗りはせず、プール等で3~4ケ月のリハビリをした後、北海道のノルマンディーファームに移動しました。この時点で馬体の疲れがとれてリラックスしていました」

 故障した個所は確実に良化。あとは“日にち薬”で更に良くなってくれる事を願った。

 「12月に入ってから乗り出したけど、寒いので1月中旬には福島のノルマンディーファームへ移動させました」

 ここから本格的に調教を再開。復帰戦を考えた時、5月のヴィクトリアマイルが浮上した。

 「休み明けでいきなり長い距離を走らせるのは不安があったし、そもそも折り合いに心配のないマイルは負け知らずですから……。ただ、正直、間に合うかは微妙でした」

杉山師
杉山師

ガラリと良化し復帰へ

 ところがそこから思惑以上に順調に進められた。2月中旬にはチャンピオンヒルズへ移動。3月中旬にはガラリと良くなったという。

 「移動したばかりの時は冬毛が出て、背腰の筋肉もだいぶ落ちていたので、鳴尾記念あたりに修正する事も考えました。でも、暖かくなって一気に良くなり、3月末にはヴィクトリアマイルに目処が立ったので、逆算して入厩させました」

 4月13日、待望の帰厩。この時、体重は500キロを切るくらい。前走比でプラス30キロ以上あったが、3冠調教師に迷いはなかった。

 「香港は明らかに細かった。秋華賞を勝った時は480キロあったので、それとの比較で許容範囲だと思いました」

 1週間後の20日には坂路へ。半マイル54秒5-ラスト1ハロン12秒1の時計をみて、改めて「いける」と確信した。

 「ほぼ馬なりで12秒1。これなら大丈夫と思い、ゲート再試験で松山(弘平)騎手に乗ってもらいました」

 すると……

 「速く出てくれたので『マイルで正解』と騎手とも意見が一致しました」

 27日には再度、松山を乗せてCWコースを馬なりで走らせた。

 「1年以上CWに入れていないので過剰なストレスをかけないように単走で走らせました。いわゆる馬場ならしのつもりだったけど、思いのほか時計が出ました」

松山弘平騎手
松山弘平騎手

 5月3日の計量で前走比25キロ増の489キロ。レースまではまだ2週間近くあったし、東京への輸送もあるが、杉山はこの時点ですでに「競馬は20キロ増くらいかな……」と話している。

 「前年に比べ飼い葉食いが旺盛だったのでここから極端に減る事はないと思いました」

 それでいて落ち着きはあるので、加減なく調教を出来る。1年以上休まざるをえなくなったが、怪我の功名で良い方に出ていると感じると、11日の最終追い切りも満足のいくものだった。

 手綱を取った松山は「以前に比べるとピッチ走法になってきた」と語ったが、これもネガティブにはとらえなかった。

 「治ったといえ、じん帯を怪我したので伸縮性が変わるのはおかしな事ではないし、そもそも単純に5歳なので3歳時と違うのも当然。良い悪いではなく“変わった”のだと考え、今のデアリングタクトに合わせてやっていけば良いと思いました」

 距離に関しては先述した通りだが、一昨年のジャパンC(GⅠ)3着以来となる東京競馬場については、次のように考えていた。

 「マイル戦の中でもゆったりした展開が見込めるのが東京だと思います。そういう意味で復帰戦としては1番良いコースだと考えていました」

一昨年3着に敗れたジャパンC以来となる東京競馬場だが「良いコース」と杉山は考えていた。左から3頭目の赤帽がデアリングタクト
一昨年3着に敗れたジャパンC以来となる東京競馬場だが「良いコース」と杉山は考えていた。左から3頭目の赤帽がデアリングタクト

唯一の不安が的中してしまった復帰戦

 こうして迎えたレース当日。パドックでは発汗が見られたが……。

 「落ち着きがあったのでそこは心配していませんでした」

 久々だった秋華賞が異常にイレ込んだが、今回は1人で曳けるくらいリラックスしていた。

 「それでも目付きはギラギラが戻っていたので、理想的な雰囲気でした。体重の22キロ増も考えていた通りだったので完璧だと感じました」

 パドックはいつも通り他馬と距離を置いて最後を歩かせた。ただ、レイパパレも同様にする馬だったので、事前に打ち合わせがあったのか?と問うと首肯して答えた。

 「(レイパパレの)高野(友和)調教師と相談して、影響のないように更に離して後ろから行かせていただく事にしました」

パドックでは他馬と離れた歩いたレイパパレ(左)と更に後ろを歩いたデアリングタクト
パドックでは他馬と離れた歩いたレイパパレ(左)と更に後ろを歩いたデアリングタクト

 騎手を乗せず最後の1頭になるまで回すのも前走を踏襲する形。こうして大トリで馬場入り。すると、思いもしない景色が待っていた。ファンが大きな拍手でデアリングタクトを迎えたのだ。

 「馬場入りまで付き添ったので、凄い拍手が聞こえたし、驚きました。『おかえりなさい』の意味だと受け止め、改めて特別な馬だと感じました」

 ゲートが開くと好発を切った。ポジションを取りに行った分、一瞬行きたがったかと見えたが、心配しなかった。

 「掛かっていなかったし、ソダシを目の前に見る好位置をとれたので良かったと思いました。後は外へ出すタイミングだけを考えながら見ていました」

 しかし、そこで唯一心配していた事態に見舞われた。

 「4角で一瞬、置かれたせいで外へ出せず、そのままインを回る事になりました」

 レース2日前、枠順が1番と発表されると、眉間に皺を寄せた。

 「土曜から雨予報で内が悪くなるのは分かっていました。だから最内枠は歓迎出来ませんでした」

 嫌な予感が当たってしまった。愛馬は内の緩い馬場を走らされた。それでも一瞬、意地と能力で見せ場を作った。結果は6着だったが、2着馬とは僅か0秒2差。杉山の胸の内で2つの感情が交錯した。

ヴィクトリアマイルのゴール前。抜け出したのは白い馬体のソダシ。デアリングタクト(左奥の白帽)は6着だったが2着とはそれほど差がなかった
ヴィクトリアマイルのゴール前。抜け出したのは白い馬体のソダシ。デアリングタクト(左奥の白帽)は6着だったが2着とはそれほど差がなかった

 「ソダシは強かったけど、内枠でなければもっと好勝負が出来たと悔やまれる気持ちと、怪我で休み明けなのに一所懸命に走ってくれたデアリングタクトに感謝する思いが溢れました」

 幸い、脚元も含め大きなダメージはないと言い、更に続けた。

 「ただ、香港の後も2週間後に判明したので、今後もしっかりエコー検査をしながら、無事であれば宝塚記念を視野にまた仕上げていきます。デアリングタクトは私の人生においても大事な馬なので、何とかもうひと華咲かせてあげたいと考えています」

 3冠牝馬の復活を望む声は多い。1年以上の休み明けでも頑張って走る姿を見て、その思いを強くしたファンもまた多いだろう。近いうちにその日が来る事を願おう。

ヴィクトリアマイルのパドックでのデアリングタクト
ヴィクトリアマイルのパドックでのデアリングタクト

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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