厩務員の父と厳格な母

 2月5日。この日だけで4勝をマークし、今年の勝ち星は8。まだ1ケ月ほどではあるが、この時点で瞬間的に188人いるJRAの調教師の頂点に立ったのが新谷功一だ。

 1977年3月8日、福岡県小倉市出身の44歳。2人兄弟の長男として、厩務員の父と厳格な母の下で育てられた。

 「厩務員の息子なので幼い頃から周囲に馬のいる環境で育ち、小学5年の時には乗馬を始めました。ただ、馬の世界に入る気はありませんでした。母が厳しかったので、習い事の一環として乗馬もやりました」

現在の新谷調教師
現在の新谷調教師

 中学や高校の卒業時にも競馬学校を考えたわけではなかった。

 「将来についてあまり真剣に考える事なく高校卒業を迎えました。家を出て自分で稼ぎたいという気持ちはあったので、同級生について育成牧場に就職しました」

 94年、栗東高校を卒業し、厳格な母の下を飛び出して北海道のファンタストクラブで働き出した。その直後の事だった。新谷が鹿毛の牝馬に跨ると、牧場に来ていたカメラマンがシャッターを切った。騎乗していた馬は、前年のエリザベス女王杯(GⅠ)の勝ち馬で、後に帝王賞(JpnⅠ)等、ダートの交流競走を無双し、砂の女王と呼ばれる事になるホクトベガだった。

 「雑誌社のカメラマンに写真を撮られているうちに、俄然、乗る事が楽しくなりました」

 97年に武田牧場へ移るまで、そこで汗を流した。

 「後にGⅠ馬となるアドマイヤコジーンも馴致されていました。また、同じ敷地内には藤沢和雄調教師の厩舎もあり、そこにはタイキシャトル(98年、フランスのジャックルマロワ賞等を勝ちJRA年度代表馬に選定される)等もいて、間近にそういった馬を見られたのも勉強になりました」

ファンタストクラブ時代は同じ敷地内の厩舎に後にフランスでGⅠを勝つタイキシャトルもいた
ファンタストクラブ時代は同じ敷地内の厩舎に後にフランスでGⅠを勝つタイキシャトルもいた

母に尻を叩かれ競馬学校へ

 牧場生活は楽しく、このまま骨を埋めるのも良いか……と思ったが「努力をし続けなさい」と母に尻を叩かれた。

 「それで競馬学校を受験し、厩務員課程に過程に入学しました。98年の事でした」

 翌99年4月から栗東・福永甲厩舎で厩務員、同6月に調教助手。更に2000年の7月からは森秀行厩舎へ移った。

 「森先生の行動力には驚かされました。気になる場所があると国内外を問わず、必ず自分の目で確かめに行っていたし、やれる事は先延ばしせず、その日のうちにやる。そんな姿勢はその後の自分の礎にもなりました」

礎になったという森秀行調教師(右、2019年カタールでの一葉)
礎になったという森秀行調教師(右、2019年カタールでの一葉)

 05年の夏には当時、技術調教師だった平田修(現調教師)と共に森厩舎のキーンランドスワンの遠征について渡英。ニューマーケットで約2ケ月、過ごした。現地で2戦した結果は10着と12着だった。

 「自分の調教の仕方の甘さを改めて感じました。当時は環境に馴染んで落ち着いていると思ったけど、気持ちの面でいつの間にか人間が呑まれていたのか仕上げ切れなかったのだと、あとから分かりました」

 また、遠征中、後の彼の人生に大きな影響を与えるひと言が平田の口から発せられたと言う。

 「馬券を買うのに辞書で調べながらやっていると、平田先生から『それだけ真剣に勉強出来るなら調教師試験も受かるぞ』と言われました」

平田修調教師(2016年オーストラリアでの一葉)
平田修調教師(2016年オーストラリアでの一葉)

 帰国後、キングオブサンデーやトーセンダンディら森厩舎の馬と共に今度はオーストラリアへ飛んだ。

 「牧場のような所で約3ケ月、調教に携わりました。決して良い施設ではなく、馬運車も自分達で運転して競馬場まで行くなど、全てやりくりをしなくてはいけませんでした」

 日本がいかに恵まれているかを知ると同時に「だからこそもっと良いクオリティーの仕事をしないといけない」と心に誓った。

2005年、森厩舎の一員としてオーストラリアへ遠征した際の写真(左)。馬はトーセンダンディ
2005年、森厩舎の一員としてオーストラリアへ遠征した際の写真(左)。馬はトーセンダンディ

母ら先人への恩返しの形

 30歳を分岐点と考えていた新谷は08年に思い切って森の下を旅立つ。調教師試験受験へ向けた環境作りと、経験を積むために、湯窪幸雄厩舎を経て13年7月からは大久保龍志厩舎、更に17年1月から高橋康之厩舎へ移ると、19年度の免許試験に晴れて合格した。

 「大久保先生には馬術的な要素を含めたやり方で、どんな馬でもしっかり調教出来る事を教わりました。また、高橋先生は一緒に試験を受けていた仲だったので、色々と任せてもらえ、勉強しやすい環境も整えてもらえたので、合格出来ました」

 20年についに開業。その年は5勝に終わったが2年目の昨年は17勝。そして、冒頭で記した通り、今年は2月6日の時点ですでに8勝をあげ、全国リーディング3位に健闘している。そんな新谷が、厩舎の従業員に求めている事がある。

 「スタッフはトレセンの中にいる時間が圧倒的に長くなります。でも、中の生活だけだと思考が停止しがちになります。コロナ禍で難しい部分もあるけど、外をもっと見て、色々な人と出会ってほしいし、そのためには有休を取りやすい環境を作らなくてはいけないと考えています」

森厩舎時代からの親友であり、現在は厩舎のスタッフでもある松田全史調教助手(右)と(本人提供写真)
森厩舎時代からの親友であり、現在は厩舎のスタッフでもある松田全史調教助手(右)と(本人提供写真)

 そう語る若き指揮官の座右の銘は『学歴より学問』だと言い、更に続ける。

 「馬の社会も進歩し続けています。だから常に努力をして学んでいないとダメだと思います。森先生は自然にそういう事が出来る方でした。自分も見習う事でお世話になった方々よりいずれ上にならないといけない。それが最高の恩返しの形だと考えています」

 そんな目標へ向け、この上ないスタートを切った今年だが、調教師試験をパスするまでは「10回前後受けた」(本人)と言う。苦労の末の難関突破は当然、嬉しかった。ただその約10年の間に心配事もあった。合格前に、あの厳しかった母が病に倒れたのだ。

 「久しぶりに会いに行った時にはかなり瘦せ細っていたけど、気はしっかりしていて『お前は冷たい』と叱られました」

 しかし、その約1ケ月後、息を引き取った。

 「うるさかったけど、それも親心だったのでしょう。母の遺伝子があるから勉強を続けられたと思い、改めて偉大さに気付きました」

 天国から叱咤激励を送ってくれるであろう母に恩返しする意味でも、新谷は努力を続ける事だろう。若き調教師のこれからに注目しよう。

(本人提供写真)
(本人提供写真)

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)