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ディープインパクトが挑んだ凱旋門賞の舞台裏を池江泰郎元調教師が振り返る

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
2006年凱旋門賞のパドックでのディープインパクト。鞍上は武豊騎手

史上最強馬と過ごしたひと月半

 「あの風車の下にディープもいたなぁ……」

 毎年この時期、テレビに映し出される光景を見て、男はそう思う。

 元騎手であり元調教師の彼の名は池江泰郎。調教師時代の2006年、管理していたディープインパクトと共にフランスで過ごしたひと月半は「ホースマン人生の中でも貴重なひとときだった」と感慨深げに振り返る。

 「ディープと一緒に帰国する事なくずっと向こうで過ごしました」

 凱旋門賞(GⅠ)に挑戦するため、彼等が過ごしたのはシャンティイ。巨大な調教場や競馬場を有するフランスでも有名な馬の街だ。

シャンティイ城をバックにした池江泰郎調教師(当時)
シャンティイ城をバックにした池江泰郎調教師(当時)

 「シャンティイ城があるなど良い街でした。ただ、小さい街なのですぐに端から端まで行けてしまう。1ヶ月半もいたら行く場所がなくなりました」

 そんな中、頼りになったのは武豊であり、子息の池江泰寿だった。

 武豊は言うまでもなくディープインパクトのパートナー。そして泰寿は帯同したピカレスクコートの調教師だった。

 「豊君はかつてシャンティイに家を借りて住んでいたので隅々まで知っていました。また、泰寿は英語が話せました」

 だから2人には何かと助けてもらったと言い、更に続けた。

 「どこの調教場でどのくらい追うか、など随分と助言をもらい、皆で相談しながら進めました」

フランス、シャンティイでの池江泰郎と武豊
フランス、シャンティイでの池江泰郎と武豊

感性で好仕上がりに

 そんな中、苦労したのはデジタルな数字に頼れない環境だったと言う。

 「日本ではどのコースで調教しても時計を計れたけど、シャンティイの調教場はハロン棒がないし、そもそも広大過ぎてスタートからゴールまでを一カ所に留まって見る事が出来ません。当然、時計は計れないので、調教後の息遣いとか、乗り手の感触を頼りにしました。また、体調の少しの変化にも気付けるように常日頃、出来る限り近くで寄り添うにしました。扱う側の感性が問われると感じました」

 また、前哨戦は使わず、代わりに中間の追い切りをロンシャン競馬場まで連れて行って敢行した。

 「豊君の意見も聞きながら、主催者であるフランスギャロにも色々と融通をきかせてもらいました。お陰で良い追い切りが出来ました」

ロンシャン競馬場(当時)で追い切りを行なったディープインパクト(中央)。鞍上は武豊騎手
ロンシャン競馬場(当時)で追い切りを行なったディープインパクト(中央)。鞍上は武豊騎手

 だから、仕上がりは良かったと言う。ただ、残念な事にレース後に実は風邪気味だったという話が出たが、これにはかぶりを振って答えた。

 「咳をしたのは事実です。ただし競走に影響するほど体調を崩したわけではありません」

 これはその時点で既に大ベテランであり且つ最も近くでディープインパクトを見てきた男だからこそ分かる正しいジャッジだったはずだ。

大勢の日本人ファンに見守られたレースだが……

 こうして競馬当日を迎えた。新たな歴史が作られる事を日本中のファンが期待したその日を、池江は鮮明に覚えていると言う。

 「日本から駆けつけてくれたファンも多く、場内を歩いていたら何人にも声をかけられました。着物を着ている人もいたし、日本人らしき人だかりがあったので、何かと思って見ると、日本語専用の馬券の窓口が設置されていました。驚いたし、一層プレッシャーを感じました」

場内には特別に案内所が設置されるほど多くの日本人ファンが駆けつけた
場内には特別に案内所が設置されるほど多くの日本人ファンが駆けつけた

 この年の凱旋門賞は珍しく少頭数の8頭立てとなった。欧州競馬のGⅠではよくある事だが、これは登録料が高額なため。強力な馬が出て来て勝ち目がないと思った馬の陣営は、無駄に高い登録料を払うようなマネはせずに回避するから、だ。それでも凱旋門賞はケタ違いに賞金が高いため、そうそう少頭数にはならないのだが、この年は違った。それくらい強い馬が揃っており、事実、ディフェンディングチャンピオンでこの年のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(GⅠ)も優勝したハリケーンランやブリーダーズCターフ(GⅠ)の覇者シロッコ、パリ大賞(GⅠ)の勝ち馬で連勝中のレイルリンクらに加え、誰あろうディープインパクト自身もこのレースを少頭数にした張本人だった。

 ところが皮肉な事にこの頭数が日本からの最強の刺客に大きな壁となって立ちはだかる。池江は言う。

 「少頭数で遅い流れになったため先行しました。掛かったわけではないし、豊君の判断なのでそれ自体は間違ってはいなかったと思います。だから道中の走りを見て不安になる事はありませんでした。ただ、結果的に日本とは違う競馬になった事でいつもの末脚を発揮出来なかったのかもしれません」

 ゴールしたディープインパクトの前で、既に2頭がゴール板前を駆け抜けていた。日本では経験した事のない3位入線という結果に終わった。

凱旋門賞直後のディープインパクトと武豊
凱旋門賞直後のディープインパクトと武豊

 「ディープの力をもってすれば勝てるかな?と思っていたのでショックでした」

 傷心の身で帰国した指揮官だが、この後、更に鞭打つような事実が告げられた。

 「着地検疫中のディープと一緒に東京競馬場にいる時に、JRAの職員を通してフランスギャロからの報告を聞きました」

 ここで初めて検体から禁止薬物が検出されたと知った。

 既に15年も前の話であり、知らないファンも増えたと思われるので、この時の話を改めて記そう。

 検出された薬物はイプラトロピウムと言い、あくまでも呼吸器系疾患に使用されるモノ。禁止薬物という言葉が独り歩きして批判する人もいたが、筋肉増強剤のようないわゆるドーピングを目的としたそれではない。風邪薬のようなモノで、当時の日本では使用が認められていたし、フランスでも使用自体は認められていた。ただし、体内に残留した状態でレースに出る事は禁止されていたのだ。

 「レースまで何日を切ったら投与してはいけないという事も獣医師は守っていました。ただ、早目に投与した際にディープが暴れた事があり、その時、飛散した薬剤が寝藁に付着。それをレース直前に口にしてしまったようです」

 そう述懐した池江は淋しそうに「でもね……」と言うと、旗幟鮮明に続けた。

 「こういうのは120%、調教師の管理責任です。獣医が悪かったのでも運が悪かったのでもない。全て私の責任です」

凱旋門賞直後の池江泰郎調教師(当時)
凱旋門賞直後の池江泰郎調教師(当時)

引退後、種牡馬としても大成功

 こうして日本競馬史上最強といわれた馬の世界への挑戦は非常に残念な形で幕を閉じた。

 「失格になってしまったのは残念だし申し訳なかったわけですが、ディープはこんな馬ではないと証明する意味でも続くジャパンCと有馬記念を勝てたのは大きかったし、良かったです」

帰国初戦のジャパンCを制したディープインパクト
帰国初戦のジャパンCを制したディープインパクト

 更に引退して種牡馬となった後は次から次へと駿馬を世に送り出した。

 「それも日本だけでなく世界中で走る馬が出ましたからね。こんな馬は日本では初めてではないですか?」

 今年の凱旋門賞には日本馬クロノジェネシスとディープボンドが挑戦する。後者の父は、ディープインパクト産駒でダービー馬でもあるキズナ。また、アイルランドの伯楽A・オブライエンが送り込むスノーフォールはディープインパクトの直仔である。

ヴェルメイユ賞は2着に敗れたものの、凱旋門賞でも有力候補となるスノーフォールはディープインパクト産駒だ
ヴェルメイユ賞は2着に敗れたものの、凱旋門賞でも有力候補となるスノーフォールはディープインパクト産駒だ

 彼等が凱旋門賞のスタート地点にある風車の麓に並ぶ時、池江はまた今は亡きディープインパクトを思い浮かべるだろう。そして、その時、改めてこんな夢想をするかもしれない。

 “日本競馬の至宝、ディープインパクト!ついに凱旋門賞を制覇!!”

 誰もが夢見ながらかなう事のなかったその願いを引き継ぐ日本馬はいつ現れるのか? そんな想いを胸に、池江は今年も凱旋門賞を見る。

フランスの厩舎でのディープインパクト
フランスの厩舎でのディープインパクト

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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