伯楽の息子として幼い頃から世界各国へ

 現地時間9月12日、凱旋門賞(GⅠ)のプレップレースが行われた。本番と同じパリロンシャン競馬場の芝2400メートルで行われる3つの重賞のうち、古馬のフォワ賞(GⅡ)を制したのが日本馬ディープボンド(牡4歳、栗東・大久保龍志厩舎)だ。

 「まずは良かったです」

 そう言って安堵したのはパドックで同馬を曳いていた男。

 角居和仁。

 父は今春、惜しまれつつ調教師を勇退した角居勝彦だ。

角居勝彦元調教師と和仁(左)親子(撮影=平松さとし)
角居勝彦元調教師と和仁(左)親子(撮影=平松さとし)

 1995年7月28日生まれの26歳。3人兄弟の次男として育てられ、海外遠征する父について、幼い頃から幾度も海を越えた。

 9歳だった2005年、アメリカでシーザリオがGⅠを制す場面に立ち会った。

 「父の仕事は理解していました。素直に凄いなぁと思いました」

アメリカンオークスを制したシーザリオ。黄色いシャツの少年が角居和仁だ(撮影=平松さとし)
アメリカンオークスを制したシーザリオ。黄色いシャツの少年が角居和仁だ(撮影=平松さとし)

 翌06年にはデルタブルースとポップロックが南半球最大のレースであるメルボルンC(GⅠ)に出走するためオーストラリアへ遠征。前日には出走馬関係者の家族としてオープンカーに乗車してパレードに参列。競馬は角居厩舎の2頭でワンツーフィニッシュという最高の結果になった。

メルボルンCパレードでオープンカーに乗る角居一家。3人の男の子の中央が和仁(撮影=平松さとし)
メルボルンCパレードでオープンカーに乗る角居一家。3人の男の子の中央が和仁(撮影=平松さとし)

ターニングポイントとなったあるレース

 「ただ、自分自身は当時サッカーに夢中になっていました」

 小中高の一貫校で高校まで進んだが、環境の変化を望んでイギリス・ロンドンにある高校に転校。英語を学びつつサッカーも続けた。

 「父に出来ない事をやりたいと思っていたので馬の世界に入ろうとは考えていませんでした」

 ターニングポイントは14年3月にやってきた。高校を卒業する直前に、父が遠征していたドバイを訪ねた。

 「ヴィクトワールピサがドバイワールドカップを勝った時も現地で見ていたので、この時も勝てると思っていました」

 ところがドバイシーマクラシック(GⅠ)に挑戦したデニムアンドルビーは10着に沈んだ。

 「父が負ける場面に立ち会い、悔しくなりました」

 この時、角居和仁は競馬の世界に入る決断をした。

14年ドバイシーマクラシックで10着に敗れたデニムアンドルビー。「同馬が勝っていたら馬の世界に入っていなかったかも」と和仁は言う(撮影=平松さとし)
14年ドバイシーマクラシックで10着に敗れたデニムアンドルビー。「同馬が勝っていたら馬の世界に入っていなかったかも」と和仁は言う(撮影=平松さとし)

各地で勉強した後、大久保厩舎へ

 帰国後、乗馬クラブに住み込んだ。その後、北海道のグランド牧場で2年、汗を流した。更に18年にはイギリスへ戻りニューマーケットのロジャー・ヴァリアン厩舎で3ケ月、過ごした。

 「厩舎の雰囲気作りが上手で、チャレンジ出来ると思わせてくれる理想的なリーダー像を見せてくれました。刺激的な3ケ月でした」

イギリスでの研修先となったロジャー・ヴァリアン調教師(撮影=平松さとし)
イギリスでの研修先となったロジャー・ヴァリアン調教師(撮影=平松さとし)

 一旦帰国してノーザンファームしがらきで「馬造りを勉強」した後、今度はフランスへ。かの地で開業する清水裕夫調教師の下で3ケ月、更にオーストラリアへ渡るとD・ヘイズ厩舎でも競馬に接した。

オーストラリアの研修先となった伯楽D・ヘイズ調教師(撮影=平松さとし)
オーストラリアの研修先となった伯楽D・ヘイズ調教師(撮影=平松さとし)

 19年春に帰国すると社台ファームで学んだ後、凱旋門賞に挑戦する父の厩舎のキセキと共にフランスへ戻った。

 「結果は残念(7着)でしたけど、個人的には調教場を借りる段取りや現地での騎乗手配等も学べて有意義に過ごせました」

 その後、ノーザンファーム天栄を挟んでから競馬学校に入学。20年9月に模範賞を手土産に卒業すると、栗東トレセンへ。1ケ月後には大久保龍志調教師から正式に雇用された。

 「その直後にチュウワウィザードがチャンピオンズCを勝ってくれました」

 こうしてこの春、同馬と共にまずはサウジアラビアへ飛んだ。

サウジアラビアでのチュウワウィザード。曳いているのが角居和仁(撮影=平松さとし)
サウジアラビアでのチュウワウィザード。曳いているのが角居和仁(撮影=平松さとし)

ディープボンドと挑む凱旋門賞

 「サウジアラビアから帰国した際、父が厩舎を解散し、最後の競馬に臨んでいました。でも自分はコロナ騒動による2週間の自主隔離期間だったので競馬場へ行けませんでした」

 無念の気持ちを伝えると、言われた。

 『後は任せた』

 父に想いを託されて、今度はドバイへ飛んだ。するとチュウワウィザードはドバイワールドカップ(GⅠ)で2着に善戦してみせた。

 「大久保先生や送り出してくれたスタッフのお陰で素晴らしい経験が出来ました」

 そして今回のフランス遠征だ。父と共にキセキと挑むも届かなかった頂を目指し、今回はディープボンドと臨む。前哨戦デーではヴェルメイユ賞をヴァリアン厩舎のティオーナが優勝。続くフォワ賞をディープボンドが勝利した。

 そんな日本馬が入厩しているのは以前、和仁が研修させてもらった清水厩舎。父から繋がる様々な縁も後押しして、大一番へ駒を進める。

18年にフランスでの和仁(左)と研修先であり今回ディープボンドが入厩している厩舎の清水裕夫調教師(撮影=平松さとし)
18年にフランスでの和仁(左)と研修先であり今回ディープボンドが入厩している厩舎の清水裕夫調教師(撮影=平松さとし)

父の出来ない事をやりたい

 “父に出来ない事をやりたいと思っていたので馬の世界に入ろうとは考えなかった”和仁だがドバイでデニムアンドルビーが負けたのを見て翻意した。

 “父の出来ない事をやるために馬の世界に入ろう”

 だからその瞬間から「調教師を目標にした」。

 そして、その気持ちを父に告げた時の逸話を口にした。

 「19歳の時、父と2人きりで話して『競馬の世界に入りたい』と伝えました」

 その後、母から言われたと続ける。

 「母から『(父の)あんなに嬉しい表情は見た事がない』と言われました。もしかしたらその時に父は引退を決意したのかもしれませんね」

 偉大なる父を超えようと思えば、なまなかな気持ちでは無理だろう。角居和仁のこれからに期待しつつ、まずは凱旋門賞のディープボンドの走りを応援しよう。

フランスでのディープボンドを挟み大久保龍志調教師(左)と角居和仁(本人提供写真)
フランスでのディープボンドを挟み大久保龍志調教師(左)と角居和仁(本人提供写真)

(文中敬称略)