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1ケ月ぶりに帰って来た武豊。天皇賞の週での復帰を前にした現在の心境を語る

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
4月22日の朝、久しぶりに栗東トレセンに姿を現した武豊騎手(提供写真)

よもやの骨折で戦線離脱

 4月22日、朝の栗東トレセンに武豊の姿があった。レジェンドジョッキーが公の場に姿を現すのは約1ケ月ぶりの事だった。

4月22日の朝、栗東トレセンで調教騎乗を再開した武豊(提供写真)
4月22日の朝、栗東トレセンで調教騎乗を再開した武豊(提供写真)

 騎手会長として思わぬ形で頭を下げまくる事になったこの春の武豊にアクシデントが起きたのは3月20日の阪神競馬場。第10レースの武庫川Sで騎乗したのはソウルトレインだった。

 「ゲートでつっかけたタイミングで前扉がまだ開かず、右へ下がるように戻った時、右足を挟まれました」

 激痛が走ったが、すでに全馬がゲートインを終えており、すぐスタートが切られた。そのレースはアドレナリンが出ていたせいか、乗り切って4着でゴールした。

 「凄く痛かったけど。この時点では内出血もそこまでひどくなかったし、まさか折れているとは思わなかったので、そのまま次のレースも騎乗を続けました」

 この日は残り2レース。日曜も有力馬が控えていた。責任感の強い彼は「落馬したわけではないので……」と騎乗を続けた。その結果、最終レースをデンコウリジエールで見事に勝利。しかし……。

 「夜になったら腫れて、尋常ではないくらい痛みました」

 泣く泣く次の日の騎乗予定をキャンセル。日曜の朝、他のジョッキーよりひと足早く帰宅の途についた。

 「右足なので自分で車を運転出来ませんでした。人に頼んで運転してもらって帰りました」

 その晩も痛みがひかなかったため、翌日の月曜日、病院へ行った。すると……。

 「精密検査をしたら右足の骨が3本も折れている事が分かりました」

 1日おいて24日に手術をした。

 「5日間くらい入院をしました。退院して1~2日で松葉杖は取れたのですが、その後も一本杖をついて生活していました」

コロナ禍前の一葉
コロナ禍前の一葉

天皇賞の週に復帰!!

 この時点で医者からは「5月中に復帰出来れば……」と言われた。しかし……。

 「春の天皇賞で騎乗したくて、リハビリに励みました」

 怪我をした翌週の日経賞にはワールドプレミアが出走していた。デビューから武豊を背に成長を続け、菊花賞を制したお手馬だった。日経賞で乗り替わりになるのは仕方なかったが、天皇賞まではまだ1ケ月以上あったので、再びコンビを組んで盾獲りに挑もうと考えた。だから、動かせる個所は動かして、リハビリに励んだのだ。

ワールドプレミアと武豊
ワールドプレミアと武豊

 「結果、結構早い段階で天皇賞の週には復帰出来る目処が立ちました」

 しかし、残念ながら今回は乗り替わりとなった。これには多くのファンが肩を落としたであろう事は想像に難くないが、誰あろう、武豊自身ががっくりと項垂れた。

 「天皇賞に乗りたくて頑張っていたけど、仕方ありませんね。このタイミングで怪我をしてしまったのが不運でした」

 愚痴や人を責めるような泣き言は言わず、日本のナンバー1ジョッキーはただ、そう語った。

 武豊は淀の3200メートルのGⅠを、1989年からはイナリワン、スーパークリーク、メジロマックイーン(2年連続制覇)で計4連覇。近年でも2016、2017年にキタサンブラックで連覇するなど、計8勝。天皇賞(春)を8勝もしている騎手は、勿論、他には皆無。“長距離は騎手の腕”を見事に体現している天才騎手だけに、新たなパートナーが見つかれば、軽視は禁物だ。今年の天皇賞(春)は5月2日。昨日の友との対決で、果たしてどんな手綱捌きを見せてくれるのか。そんな点にも注目したい。

2006年、ディープインパクトで天皇賞(春)を制した時の武豊
2006年、ディープインパクトで天皇賞(春)を制した時の武豊

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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