グランアレグリアの調教に乗る男が語る同馬と伯楽・藤沢和雄調教師とは……

今週のマイルCSに出走するグランアレグリアと大江原勝調教助手(左)

父を追うように馬の世界へ

 明日、行われるマイルチャンピオンシップ(G1、阪神競馬場、芝1600メートル)。マイルのG1ホースがズラリと揃い、見応えのある1戦になりそうだが、そんな中、1番人気に推されそうなのがグランアレグリア(牝4歳、美浦・藤沢和雄厩舎)だ。

 普段、美浦トレセンで同馬の調教に跨っているのが大江原勝。今春、長女が競馬学校騎手課程に合格した事でも話題になった彼は1975年12月21日、茨城生まれの44歳。現在は調教師で、当時は騎手だった父・哲と、母・美知子の間で、妹と共に育てられた。幼い頃は空手をしていた彼が乗馬を始めたのは小学5年生の時。

大江原勝調教助手
大江原勝調教助手

 「丁度その頃、父がライバコウハクに乗って中山大障害を優勝しました。それからは“騎手”という仕事を意識して競馬を見るようになりました」

 馬乗りの難しさを知るほど父の偉大さが分かった。そして、自分も同じ道を歩みたいと考えるようになった。騎手を目指し中学3年で競馬学校を受験。不合格となったが、この世界に入る事を諦めはしなかった。高校、大学と乗馬を続けた。卒業後は北海道のファンタストクラブで現役競走馬の調教に騎乗。その後、アイルランドへ飛び、かの地の伯楽A・オブライエンの下で働いたのを経て、帰国後の2000年1月、競馬学校に入学。7月に卒業すると、騎手を引退し、調教師に転身していた父の厩舎で厩務員としてキャリアをスタートした。

勝の父・大江原哲調教師(コロナ禍前に撮影)
勝の父・大江原哲調教師(コロナ禍前に撮影)

「馬がいる期間は短い」と言う藤沢の言葉の真意

 「やがて持ち乗り厩務員、調教助手となり、数年後に伊藤圭三厩舎へ移籍しました。伊藤先生の下で2年半くらい働いた後、09年1月から現在の藤沢厩舎へ移りました」

 転厩してすぐ、ある牝馬に帯同し京都競馬場へ出向いた。新馬戦のパドックで引っ張ったこの馬は名をラドラーダといった。

 「夏に勝ち上がるまで面倒を見させてもらいました」

 同馬は後にオープンまで出世。G1でも3番人気に支持されるほどになったが、残念ながら重賞を勝つ事なく、11年9月のレースを最後に繁殖にあがった。

 バトンタッチするように翌10月にデビューしたのがレッドシャンクスだった。

 「ヤンチャな子で、馬との駆け引きなど多くの事を教えてもらいました」

「思い入れが強い」と大江原が語るレッドシャンクス(大江原勝調教助手提供)
「思い入れが強い」と大江原が語るレッドシャンクス(大江原勝調教助手提供)

 同馬は3勝を挙げたが、その後、調教中に骨折してしまった。

 「予後不良と診断される重傷でした。でも、藤沢先生が『何とか助けてあげられないか?!』と交渉し、獣医さんが頑張って手術をしてくれました」

 結果、一命を取り留めたが、術後も一進一退の状態が続き、約半年、美浦トレセンに留め置いた。しかし……。

 「最終的には死んでしまいました。思い入れの深い馬だっただけに残念でなりませんでした」

 丁度同じ頃、入厩した牡馬がいる。デビューから3連勝し、その後、藤沢にダービートレーナーの称号を授ける事になったレイデオロだ。

 「僕が乗る事は滅多になかったけど、自分の子供をみているみたいで嬉しかったです」

ダービー馬レイデオロ。手前を歩くのが大江原
ダービー馬レイデオロ。手前を歩くのが大江原

 大江原はそう言った。レイデオロは先述したラドラーダの子供だった。藤沢が常々口にしている「無事に牧場に返してあげる事が何よりも大事」という言葉の意味を痛感した。

 「藤沢先生はよく『1頭の馬とトレセンで接する期間は短いから、くだらないことで叱ったりせずに優しく接してあげなさい』とおっしゃられます」

 例えば噛まれたり蹴られたりすると、皆、馬の事を叱るが、それすら「『噛まれたり蹴られたりするのには、扱い方や立ち位置など、やられる側に悪い部分はなかったか?を考えろ』と言われる」と語る。

 調教時、キックバックの中、追走する馬には着けるアイシールドを、先頭で誘導する馬にはあえて装着しないなど、細かいところまで気を配る伯楽ならではの言葉だけに、重みが違う。彼が1500勝を達成出来たのと、こういった遠謀深慮の行動が無関係であろうはずはない。

大江原の跨る馬(手前)はアイシールドをしているが、後ろの馬はしていない。機械的に一律で装着しているのではない事が分かる
大江原の跨る馬(手前)はアイシールドをしているが、後ろの馬はしていない。機械的に一律で装着しているのではない事が分かる

 そんな藤沢から言われ、常に守っている事があると続ける。

 「『馬は人間の言葉が分からないから、よく触って会話をしなさい』とよく言われます。乗っている時でも曳いている時でも、その教えは常に心掛けています」

藤沢先生に少しでも恩返しを……

 18年に京王杯スプリングC(G2)をレコード勝ちしたムーンクエイクや今春のヴィクトリアマイル(G1)にも駒を進めたアルーシャらの調教も任されている大江原が、18年、当時2歳で任された牝馬がグランアレグリアだった。

 「第一印象は、軽くてスピードはあるけどパワーはそれほど?という感じでした。気性的に前向きという事もあって、オテンバギャルという印象でした」

 そんな状態でも桜花賞(G)を快勝してみせた。そして、その3歳の暮れ、阪神カップ(G2)あたりから「馬が変わってきた」と評する。

桜花賞を勝った後のグランアレグリアと大江原
桜花賞を勝った後のグランアレグリアと大江原

 「阪神カップは馬混みで我慢すると、最後は一瞬のうちにスルスルっと抜けて勝ちました」

 更に4歳となった今年「3歳時とは全く違い、お姉さんになってきた」と言い、具体的にどのあたりでそう感じるのかを尋ねると、次のように答えた。

 「以前はチャカチャカして歩けなかったのに、今年になってからは一歩一歩踏み込んで歩くようになりました」

 高松宮記念(G1)こそ追い込み切れずに2着に惜敗したが、安田記念(G1)ではあのアーモンドアイを2馬身半、突き放して快勝。秋初戦のスプリンターズS(G1)も目の覚めるような末脚でG1連勝を飾ってみせた。

 「背も高くなり、体もガッチリして、心身ともに成長がうかがえます」と大江原。実際、デビュー戦で450キロ台だった体は前走のスプリンターズSで504キロまで増えた。本格化著しい現在、明日のマイルチャンピオンシップでも“普通に”走れれば最有力なのは疑いようがないだろう。しかし、外野で勝手な思いをはせる側の人間と、当事者との間には埋まりそうで埋まらない溝がある。大江原は続ける。

 「もちろん普通に力を出してくれれば好結果が待ってくれると思っています。でも、その“普通に”走るのが難しい。何があるか分からないのが競馬です。自分達がチャンピオンだと思っていたら足元をすくわれる事になるでしょう。ドンと構えず、最後まで油断をしないでやっていきます」

藤沢(左)と騎乗するC・ルメール(コロナ禍前に撮影)
藤沢(左)と騎乗するC・ルメール(コロナ禍前に撮影)

 日曜の朝は美浦トレセンで他の馬の調教に騎乗した後、阪神競馬場へ移動し、グランアレグリアを引っ張る予定という大江原に、ボスからは何か言われているのか?を問うと、かぶりを振って答えた。

 「藤沢先生は普段からスタッフとのコミュニケーションをよく取られています。だからG1だからと言って特別な指示はありません。自分としてはスーパートレーナー、スーパーホースの足を引っ張らないようにして、今回も好結果を残せるよう頑張るだけです」

 ここを勝てば「G1・8勝馬に影も踏まさなかった安田記念」を含め、今年だけで3つ目のビッグタイトル。例年なら年度代表馬に選出されてもおかしくない活躍だ。そうする事で「藤沢先生に少しでも恩返しをしたい」と願う大江原は、最後に言った。

 「今はただプレッシャーしかありません」

画像

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)