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クロノジェネシスの斉藤崇史調教師と1頭の秋華賞馬、そして北村友一騎手との偶然と運

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
宝塚記念を制したクロノジェネシス(撮影:日刊スポーツ/アフロ)

3歳の夏を越して大きく成長

 2019年のオークス(G1)。ラヴズオンリーユーが1番人気に応えて樫の女王となったそのレースでクロノジェネシスは3着。桜花賞(G1、3着)に次ぐ惜敗となった事を受けて、レース後、管理する斉藤崇史に次のように声をかけた。

 「レッドディザイア同様、秋に雪辱ですね」

 2009年の桜花賞とオークスでいずれも2着に敗れたものの、秋に秋華賞(G1)を制したレッドディザイアは松永幹夫調教師の管理馬。当時、斉藤は松永厩舎で調教助手としてこの牝馬に携わっていた。

 当方の言葉に対し「そうですね」と頷いた斉藤は、秋、実際にこの馬で秋華賞を射止める。当時、歴史は繰り返されたと感じたものだが、今回の同馬の宝塚記念制覇を受け、話を聞くにあたり、これは全く別の物語であると気付かされた。

クロノジェネシスは、オークスでは3着に敗れた(左の白帽)
クロノジェネシスは、オークスでは3着に敗れた(左の白帽)

 大阪杯(G1)で2着に敗れたクロノジェネシス。当時、勝利したのは斉藤の師匠である松永が管理するラッキーライラックだった。今回の宝塚記念では再戦となる形。ここを勝利するためには破らなければいけない相手だったが、斉藤は言う。

 「特別に意識はしませんでした。大阪杯の後は放牧に出して、レースの約3週間前に帰厩させる。いつものパターンでした」

 帰厩後の調教は順調にこなせたと続ける。一見、当たり前に思えるそのひと言も、クロノジェネシスにとっては大きな成長だった。

 「3歳の春当初は調教を積むと飼い葉を食べなくなりました。調教をしないわけにはいかないけど、無理して苦しい思いをさせるわけにはいかなかった。そのバランスをとるのに苦労をしました」

 少しでも飼い葉を食べられるように担当厩務員が一所懸命に工夫している様も指揮官は見ていた。その上でなかなか思い通りに行かず、春の牝馬クラシック二冠は惜敗を繰り返した。しかし、宝塚記念でそんな心配をする必要は微塵もなかったという。斉藤は1年前を述懐する。

 「オークスが終わった後、北海道に放牧したのですが、これが大きなターニングポイントになりました。その夏を境に調教を積んでも飼い食いが落ちる事はなくなった。体質が強化されたんです」

 オークスでは432キロまで減った体が秋華賞ではプラス20キロの452キロ。そして、この宝塚記念では過去最高の464キロ。前年、宝塚記念だけでなく有馬記念(G1)も優勝したリスグラシューは2歳時に420キロ台で走った時期があった。オークスの際も432キロだった。しかし、宝塚記念制覇時は460キロ、有馬記念では468キロまで成長した。クロノジェネシスも同じような成長曲線を描いた。この点でレッドディザイアとは大きな違いがあった。レッドディザイアは新馬戦が476キロで秋華賞を勝った時は480キロ。古馬になった後も480キロ前後で走っていた。体重だけを成長のモノサシにする気はないが、デビュー当初からほぼ完成していたレッドディザイアと走りながら成長しているクロノジェネシスという違いがあったと推察するのはおかしな事ではないだろう。3歳春には惜敗を繰り返し、秋に雪辱を果たした2頭だが、実は全く別のお話だったわけだ。

オークスのパドックでのクロノジェネシス。当時は現在より30キロ以上軽い体だった
オークスのパドックでのクロノジェネシス。当時は現在より30キロ以上軽い体だった

春のグランプリのゲートが開く

 完成したのか、完成に近付いているのか、宝塚記念当日のクロノジェネシスに今までとの違いを斉藤は感じた。

 「厩務員が『今までで1番落ち着いている』と言っていたけど、本当にその通りだと思いました。レース前は本当にリラックスしていて本当に良い雰囲気。良い過程でレースへ向かえると感じました」

 1番人気はサートゥルナーリア。クロノジェネシスは前走で負かされたラッキーライラックを差しおいて2番人気に支持された。これには斉藤も驚いたと言う。

 「直前の雨のせいだと思いますけど、正直、ラッキーライラックより上の2番人気になるとはビックリしました」

 その上で雨に関しては「他の馬が気にする分、好材料になるかな……」とは思ったと続けた。

 枠順は18頭立ての16番。外よりの枠だったが、これは「むしろ好材料」と感じていた。

 「内でゴチャつくよりはむしろ良いと思いました。それよりも偶数枠だったのがより良く感じました。京都記念の時はゲート内の駐立が悪かったので、ゲートイン後に待たされない偶数番が良いと思ったんです」

 そんな思惑が的を射た。ゲートが開くと好スタートを決めた。そのまま無理する事なく9~10番手の中団を追走。向こう正面から3コーナー過ぎの勝負どころで外からキセキが動くとそれに被されるのを嫌うように、北村友一にいざなわれたクロノジェネシスも進出を開始。この時、調教師控室から熱い視線を送っていた斉藤は次のように感じたと言う。

 「意外と速い流れだと感じていました。でも、キセキが来たので動くしかないと思いました」

斉藤崇史調教師。今春撮影
斉藤崇史調教師。今春撮影

鞍上とのほんの少しの偶然と運

 いずれにしろこの時点で調教師が出来るのは祈るのみ。全ては鞍上の思考と所作を含めた瞬発力に任すしかない。この点で「クロノジェネシスの全てを分かっているパートナーなら大丈夫」と斉藤はひとりごちた。

 北村友一はクロノジェネシスのデビューから前走の大阪杯まで10戦全てで手綱を取っている。しかし、そもそもこのコンビが誕生したのはほんの少しの偶然と運も大きく介在していた。18年9月2日、小倉競馬場の新馬戦でデビューしたクロノジェネシスだが、本来の予定はもう1週前、新潟競馬場の芝1600メートルでヴェールを脱ぐ予定だった。

 「良い馬なのは分かっていたのでトップクラスのジョッキーに乗ってもらおうと思いました。でもワールドオールスタージョッキーズと被っていたし、新潟にいる成績上位の騎手も皆、乗り馬が決まっていました。困っていたところ、1週先送りして小倉にすれば北村君が乗れる事が分かったので、そちらに変更しました」

 そこでデビュー直前の追い切りに北村を乗せた。すると「『この馬についてどこへでも乗りに行きます』と言ってもらえた」と語る。こうしてコンビを組む事になった北村にいざなわれ、3コーナーから動き出したクロノジェネシス。その鞍上でパートナーは終始好手応え。阪神競馬場の最後の直線では後続を突き放す一方。2着のキセキに6馬身もの差をつけて、悠々と自身2度目のG1制覇のゴールに飛び込んでみせた。

北村友一騎手(今春撮影)
北村友一騎手(今春撮影)

 「最後は道悪馬場も味方してくれての差だと思うけど、それにしても強い勝ち方をしてくれました」

レース後、その勝因を道悪馬場に求める人が多く見られたが、それは数ある勝因のうちのほんの1つだろう。最大の勝因はクロノジェネシス自身が持つ高い潜在能力を、成長力という追い風によって発揮出来るようになった事ではないだろうか。

 先述のレッドディザイアは古馬となりドバイで重賞を優勝すると、アメリカ競馬最大の祭典の1つであるブリーダーズCにも挑戦した。当時を知る斉藤の手によって、クロノジェネシスが世界へ羽ばたく日が来るだろうか。期待したい。

レッドディザイアのアメリカ遠征時。右端が斉藤崇史当時調教助手
レッドディザイアのアメリカ遠征時。右端が斉藤崇史当時調教助手

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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