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10年前のドバイでの経験を糧にG1でワンツーフィニッシュした師弟コンビ

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
2010年レッドディザイアでドバイに臨んだ松永幹夫師(右)と斉藤崇史当時調教助手

ドバイでアッと言わせる優勝劇

 今から丁度10年前の2010年。ドバイではそれまでのドバイワールドCの舞台となっていたナドアルシバ競馬場が閉場。その敷地に一部被さるようにして新たにメイダン競馬場が出来上がり、開場した。

 メイダン競馬場の大きな特徴はナドアルシバ時代にダートだったコースが無くなり、タペタ社製のオールウェザーコースへと変貌を遂げた点だった。結局15年からはダートコースとなったためオールウェザーでのドバイワールドCは5回しか行われなかったが、当時好走した馬は11年の勝ち馬であるヴィクトワールピサを始めそのほとんどが芝で好成績を残していた馬。しかしそれが判明したのは回数を重ねた後。開場年となった10年はデータのないまま、各馬が世界中から集まった。

2010年、ドバイに遠征した際のウオッカ(前)とレッドディザイア
2010年、ドバイに遠征した際のウオッカ(前)とレッドディザイア

 そんな中、日本から早目に現地入りし、ドバイワールドCの前哨戦で現在はG1となっているアルマクトゥームCR3に出走した牝馬が2頭いた。1頭はウオッカ。角居勝彦厩舎で07年には牝馬として64年ぶりに日本ダービーを制した名牝は、前年、前々年に続き3年連続でのドバイ入り。前2年はいずれも芝のレースに出走したが、この時は初めてとなるオールウェザーに挑戦してきた。

 そして、もう1頭がウオッカより2歳年下となるレッドディザイア(当時4歳)だった。前年の09年には桜花賞(G1)とオークス(G1)を2着に惜敗したが、秋になって秋華賞(G1)を優勝。そんなレッドディザイアをオールウェザー戦に使った理由を、管理していた松永幹夫は次のように語った。

 「まずはオールウェザーの前哨戦に使い、ここで話にならないようなら本番は芝のレースに戻して、逆に好勝負が出来ればワールドカップへの出走も考えようと思います」

 3月4日に行われたアルマクトゥームCR3は本番のドバイワールドCと全く同じオールウェザーの2000メートル。この日本の2頭の他に前年のドバイワールドC2着でシンガポール国際航空Cを優勝しているグロリアデカンペオンや凱旋門賞3着のキャヴァルリーマンらが出走した。オリビエ・ペリエを背にここに臨んだレッドディザイアを、現地ではほぼ1人で面倒をみていた男がいた。当時、松永幹夫厩舎で調教助手をしていた斉藤崇史。現在の調教師だ。

ドバイでレッドディザイアの調教にまたがる斉藤崇史調教助手(現調教師)
ドバイでレッドディザイアの調教にまたがる斉藤崇史調教助手(現調教師)

 斉藤は高校時代に生産牧場で働いた経験があった。大学では馬術をした。また、アイルランドの厩舎で働いた経験もあり、英語には不自由しなかった。そのためドバイでは途中からレーシングマネージャーや通訳をつけず、1人、奔走した。結果、レース直前に現地入りした松永から「良い感じに仕上がっている」と言葉が漏れるほどきっちりと仕上げてみせた。

 レース当日は両馬の関係者の他、名手・横山典弘も現地にいた。その頃、ドバイでは騎手招待レースが行われており、前年ロジユニヴァースで日本ダービーを制した横山に声がかかったのだ。松永が騎手時代、同期だった横山の目前で、果たしてレッドディザイアは勇躍してみせる。日本の女王ウオッカが8着にもがく(後に鼻出血が判明)のをしり目に、グロリアデカンペオンを振り切って見事に優勝してみせたのだ。

アルマクトゥームCR3を優勝したレッドディザイア。馬に向かって右横が斉藤、左横が松永。横山典弘の姿もみえる
アルマクトゥームCR3を優勝したレッドディザイア。馬に向かって右横が斉藤、左横が松永。横山典弘の姿もみえる

ドバイの結末。そして現在

 こうしてドバイワールドCに挑む事になったレッドディザイアは、斉藤を乗せた最終追い切りで半マイル50秒台の好時計をマーク。当時、斉藤は言った。

 「全く強く追っていません。むしろ何もしていないんですけどねぇ……」

 松永も首肯して言った。

 「あの手応えでこれだけの時計を出せるという事は引き続き具合が良いという事だと思います」

 ところが、残念ながらレースでは思った通りに事は運ばなかった。グロリアデカンペオンの逆襲を喰らい、11着に敗れてしまったのだ。愛馬が馬群に沈むシーンをコース脇で見ていた斉藤はレッドディザイアが上がってくるまでの間に小首を傾げながら言った。

 「全然、駄目でしたねぇ……」

 後に続く言葉を引き取ったのは松永だった。

 「前哨戦の内容から夢を見させてもらったし、直前の雰囲気からも好勝負になると思ったんですけどね」

本番のドバイワールドCでは馬群に沈んだレッドディザイア
本番のドバイワールドCでは馬群に沈んだレッドディザイア

 「あの時は良い経験をさせてもらいました」

 その5年後、調教師となった斉藤はレッドディザイアとの思い出をそう語った。

 開業後はなかなかG1に縁がなかったが、昨年、クロノジェネシスで秋華賞を制し、ついにG1トレーナーになってみせた。春に同馬が桜花賞とオークスでいずれも3着に惜敗した際、私は斉藤に声をかけた。

 「レッドディザイアみたいに、秋に笑いましょう!!」

クロノジェネシス。右が斉藤調教師。写真はオークス出走時
クロノジェネシス。右が斉藤調教師。写真はオークス出走時

 実際に秋華賞で春の雪辱を期した際は出来過ぎだと感じたが、物語はまだ終わっていなかった。5日に行われた大阪杯(G1)ではG1未勝利ながら1番人気に推されたダノンキングリーをかわし、デビュー以来牡馬に先着を許さないという記録を更新したものの、出走馬中唯一G1を2勝しているラッキーライラックに内をすくわれ2着に敗れた。ラッキーライラックは師匠である松永の管理馬。レース後、斉藤は松永に「おめでとうございました」と声をかけ、一緒にパトロールビデオをみたと言う。次回は逆に声をかけてもらう番になるのか、はたまた再び師匠が笑うのか。レッドディザイアでの経験を共有する2人が育てた2頭の牝馬がこれからまた名勝負を繰り広げてくれる事を期待したい。

大阪杯で1、2着したラッキーライラックとクロノジェネシス(撮影;高橋由二)
大阪杯で1、2着したラッキーライラックとクロノジェネシス(撮影;高橋由二)

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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