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今週末が日本での最後の騎乗になるかもしれない外国人騎手の亡き親友との後日談

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
今年が最後の来日になるかもしれないフィリップ・ミナリク騎手

チェコに生まれドイツへ移動後、親友と出会う

 今週末が短期免許での最終週となるフィリップ・ミナリク。

 「これが日本での最後の騎乗になるかもしれません」

 寂しそうにそう語る。

 彼のエピソードについては2年以上前にこのニュースで記したが、実はあの話はまだ終わっていなかった。というか、今回の遠征で新たな物語が紡がれた。前回のお話をおさらいした上で、物語の続きを記していこう。

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 まずは前回のおさらいをしよう。

 1975年3月10日、当時チェコスロバキア社会主義共和国のプラハで生まれた。父が騎手だった事もあり、物心がついた時には馬に乗っていた。父はその後、調教師となったため、フィリップは下校時や週末には競走馬の調教に跨るようになった。初めてレースに騎乗したのは15歳の時。その後、より多くのチャンスを求め、ドイツで乗るようになった。

 2006年には最低人気のプリンスフローリでバーデン大賞(G1)を優勝。年間100勝以上も当たり前となり、ドイツのトップジョッキーになった。

 そんなミナリクが初めて日本の競馬に乗ったのは14年。アイヴァンホウでジャパンC(G1)に挑戦したが、エピファネイアの6着に敗れると、翌15年にはイトウで再びジャパンCに出走。今度は大きくバテて最下位18着に沈んだ。

15年のジャパンではイトウに騎乗
15年のジャパンではイトウに騎乗

 「でも日本の競馬の素晴らしさを知り、いずれ短期免許を取得したいと考えるようになりました」

 更に17年にはギニョールでまたもジャパンCに挑戦した。この時は、ドイツから1人の男と一緒に飛行機で日本へ乗り込んだ。その男がイキートスに騎乗するダニエレ・ポルクだった。

 ポルクはイタリアからドイツに移籍してきた騎手。ミナリクより8つも若かったが、異国から来た境遇や同じ厩舎で働いた事などから仲良くなった。競馬場への移動も2人で車に乗って行くほどの大親友になったのだ。

 そんな2人でジャパンCに騎乗した。結果は共に勝ったシュヴァルグランからは大きく離された。ミナリクのギニョールは9着、ポルクのイキートスに至っては15着。青息吐息でのゴールとなった。

イキートスに騎乗して17年のジャパンCに挑戦したダニエレ・ポルク
イキートスに騎乗して17年のジャパンCに挑戦したダニエレ・ポルク

 「それでも帰りの飛行機は2人とも暗い雰囲気にはなりませんでした。日本馬のレベルの高さはやる前から分かっていたし、むしろ『エンターテインメントな日本の競馬にまた乗りたい!!』『乗りに来よう!!』と約束しあいました」

 しかし、その約束が実現する事はなかった。ドイツへ帰国して僅か1週間後、ミナリクはポルクが癌で余命いくばくもない事を、知らされたのだ。

 「本人からの電話で聞きました。彼は『最期は家族と過ごしたい』とイタリアへ帰ったのですが、何とか奇跡が起きないか?!と私は毎日、祈り続けました」

 しかし、その祈りは届かなかった。18年1月4日、ポルクは34年の人生を終えた。

 イタリアで行われたポルクの葬儀に参列したミナリクは、ポルク夫人から鞍を渡された。生前、ポルクが使っていた鞍だった。

 その年、初めてJRAの短期免許を取得したミナリクは、その鞍を手に来日した。そして、時にその鞍を使って騎乗。勝利する事もあった。

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 翌19年もその鞍を持って正月に来日した。そして、今年、20年も同様にポルクの鞍と共に日本に来た。

 「この鞍を使う時はダニエレがいつも見守ってくれていると思えます。僕にとってラッキーサドルなんです」

 しかし、今回の来日では1つの誤算があった。鞍の一部、縫っている糸がほつれていた事に気付いたミナリクは、業者に頼んで縫い直してもらおうとした。すると……。

 「1度、ほどいてもらったら鞍のベースになる部分がひび割れている事が分かったんです」

 業者からは「残念だけどもう寿命」と言われた。しかし、ミナリクはポルクとの思い出の詰まったサドルをおいそれと処分するわけにも引退させるわけにもいかなかった。そこで修理してくれるお店がないかと馬具屋を巡った。断られると次の店へ行った。「簡単には直せない」と言う店主に、ミナリクは想いを告げた。

 「これは普通の鞍ではないんです。想いがたくさん詰まった宝物なんです。少々のお金や時間がかかってもよいから直して欲しいんです」

ベースの部分がひび割れてしまったダニエレ・ポルクの鞍
ベースの部分がひび割れてしまったダニエレ・ポルクの鞍

 ミナリクの熱い想いが通じた。店側はソメス製の鞍のベースを見つけて来てくれた。そして、修理でそれをポルクの遺品と合致させてくれたのだ。

 「お陰で今年もダニエレと一緒に日本で乗れるようになりました」

 そして、2人で力を合わせて勝つ事も出来たと言うと、更に続けた。

 「日本のファンは本当に温かくて、いつも応援をしてくれます。後半は無観客になってしまったのは、情勢から仕方ないと言え、とても残念でした」

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 「日本に恋をした」と語ったのはフランスのミカエル・ミシェルだが、ミナリクもまた日本を愛したジョッキーだった。ポルクと誓った日本での短期免許での騎乗を3年間、続けた。全レース終了後も、全てのファンがいなくなるまで、サインをし続ける彼の姿は、見慣れた光景となった。しかし、新型コロナウィルスの影響で2月29日からは無観客競馬となり、そんな姿も見られなくなった。ミナリクは寂しそうな表情を隠す事なく、言う。

 「ドイツのジョッキー事情も若い人達が台頭してきました。だから僕が短期免許を取得出来るのもおそらく今年が最後になりそうです。ダニエレには申し訳ないけど、来年は一緒に日本に来る事は難しいでしょう」

 だからこそ最後は日本のファンの皆さんの前で騎乗したかったとその目が語る。

 そして彼の心中を察するように、次のように口にするのは通訳のアダム・ハリガンだ。

 「フィリップのファン想いの態度や誠実なコメント、真摯な姿勢、日本競馬へのリスペクトや日本のジョッキーにも慕われている姿を見るにつけ、例外的に短期免許を与えてあげて欲しいと思います」

通訳のアダム・ハリガンと
通訳のアダム・ハリガンと

 もちろんそんな大岡裁きは容易でないだろうが、同様の声を望むファンも多いだろうし、彼のパーソナリティを知る私も、やはり気持ちは同じである。

 ということで、今週末が日本での正真正銘のラスト騎乗になるかもしれないミナリク。そして、ポルク。彼等がどんなラストパフォーマンスを見せてくれるのか、ファンの皆さんには是非、テレビ桟敷から声援を送っていただきたい。ファン想いのミナリクの事だ。きっとその声は彼に、いや、彼等に届く事だろう。

ダニエレ・ポルクのイニシャルD・Pと記された鞍を手にするミナリク。今週末が日本での最後の騎乗になるかもしれない
ダニエレ・ポルクのイニシャルD・Pと記された鞍を手にするミナリク。今週末が日本での最後の騎乗になるかもしれない

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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