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フランスの2人の名調教師が認める武豊。彼が自ら手繰り寄せた今年の凱旋門賞騎乗

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
地元の名調教師が管理するソフトライトで凱旋門賞に参戦した武豊騎手

凱旋門賞翌日のパリで語られた矜持

 10月7日、月曜日のパリは好天に恵まれた。凱旋門に繋がるシャンゼリゼ通りの脇にあるレストランに現れた武豊騎手は黒いシャツにグレーのコートというシックな出で立ち。前日には凱旋門賞など5つのG1レースに騎乗。欧州最大のレースへの騎乗依頼時のエピソードや凱旋門賞騎乗時にその鞍上で何を思っていたかなどを改めて語っていただいた。

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 10月6日のパリロンシャン競馬場。幕開けは第1レースのマルセルブーサック(G1)。武豊はディープインパクト産駒のサヴァラン(牝2歳、A・ファーブル厩舎)に騎乗した。2戦2勝で1番人気に支持された同馬だったが、結果は残念ながら7着。

 「ユタカに非はない。道悪が合わなかったようだ」

 管理するフランスの伯楽ファーブルはそう言った。

 続く第2レースのジャンリュックラガーディア(G1)ではヘルタースケルター(牡2歳、J・C・ルジェ厩舎)に騎乗。こちらは上位人気勢がほぼ順当に力を発揮したため5着に終わった。

 アラブのG1を挟んで行われた凱旋門賞に関しては後ほど詳しく記すとして、時系列を無視し、先に第5レースのオペラ賞(G1)。騎乗したのはコメス(牝3歳、J・C・ルジェ厩舎)。5番人気のこの馬では直線に向いてから先頭をうかがおうか?!という競馬。結果4着だったものの差は僅かで場内を湧かせる場面を演出した。

 そして第6レースのアベイユドロンシャン賞(G1)ではジョリー(牝2歳、A・マルシャリス厩舎)の手綱を取る。古馬に混ざって唯一の2歳馬という事で12着に敗れたが、日本人の息が全くかかっていない馬への騎乗依頼があるだけでも、日本人ジョッキーとしては唯一無二の存在といえるだろう。

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凱旋門賞騎乗に至ったエピソード

 日本人の息のかかっていない馬という意味では凱旋門賞(G1)で騎乗したソフトライト(牡3歳、J・C・ルジェ厩舎)も同じだ。

急に決まったかのように報じられた同馬への騎乗だが、事の発端はだいぶ遡る事になる。

 6月16日のシャンティイ競馬場。武豊はディアヌ賞(G1)でアマレナに騎乗するためここにいた。アマレナはここで良い勝負になれば秋には凱旋門賞へ、と日本のオーナーが、武豊の夢の実現のために購入した馬。しかし結果この馬は15着に敗れた上、故障。10月の大一番は絶望的になった。

 この際、ディアヌ賞の1つ前のレースのG2に走っていたのが、ソフトライトだった。これが彼等の初コンタクトだった。

 その後、アイルランドの名調教師であるエイダン・オブライエンが管理するブルームで凱旋門賞へ行ける運びとなったが、皆さんもご存知の通りこの馬とのコンビでパリロンシャン競馬場に乗り込む計画は、同馬の体調不良のためまたも水泡に帰す。

 こうして凱旋門賞の騎乗馬が決まらないまま、それでも翌朝にはフランスへ向けて飛び立った。

凱旋門の前をドライヴする武豊騎手
凱旋門の前をドライヴする武豊騎手

 この行動力が新たなる展開を見せる。月曜の夕方にパリに入った武豊は、翌朝早くにドーヴィルへ向かう。ここでジャンリュックラガーディア賞で手綱を取るヘルタースケルターの調教に騎乗した。その際、管理するルジェ調教師はソフトライトを併せ馬として選び、調教騎乗前に武豊に対し「良く見ておいてください」と伝えた。すると、翌日、追加登録料を払った上で、日本のナンバー1ジョッキーを背にヨーロッパ最高峰のレースへ参戦する事を正式に決定した。

J・C・ルジェ調教師と
J・C・ルジェ調教師と

 凱旋門賞当日のパリロンシャン競馬場で、ルジェに事の真相を伺うと、彼は単刀直入に次のように答えた。

 「ユタカタケが素晴らしいジョッキーである事は以前から分かっています。だから彼に乗ってもらいたいと思い依頼をしたまで。単純な話です」

 ルジェといえばA・ファーブルと並ぶフランスが誇る名調教師。フランス最多勝調教師でリーディングトレーナーや年間最多勝記録を更新した事もある。今年もダービーに相当するジョケクラブ賞(G1)を制するなど、大きな勲章も枚挙に暇がない。そんな伯楽の口から、日本のトップジョッキーを賞賛する言葉が贈られた。そして、それがお世辞ではない事は、実際に騎乗依頼をした事で証明されたと言って良いだろう。武豊は言う。

 「調教に乗った時に『ソフトライトは君の乗り方に合う馬だと思う』と言われました」

 フランスのトップトレーナーが武豊の騎乗ぶりを見ていたという事である。

 思えば2001年にはもう1人のフランスを代表する調教師であるファーブルからも依頼され、凱旋門賞に挑戦した。ダークホースの1頭であるサガシティを3着に好走させた直後のファーブルの表情を私はよく覚えている。改装前の古いパドックで、サガシティが上がって来るのを待つ間、普段滅多に相好を崩す事のない伯楽が笑みを見せ、こちらを向いてひと言、発した。

 「ユタカはベストライドをしてくれた」

フランスの伝説的な調教師であるA・ファーブル師と
フランスの伝説的な調教師であるA・ファーブル師と

 その時も、そして今年もそうだが、若い時から長い間、途切れる事なく海の向こうへ挑戦し続けた努力に対し、競馬の神様が贈ってくれたご褒美が、今年の凱旋門賞への騎乗だったのだろう。

日本競馬界の誇り

 世界のトップホースマンが認める天才ジョッキーは、こうして今年の凱旋門賞への騎乗を果たす事になった。

 「馬場入り後の行進をする際には『凱旋門賞に乗っているんだ……』と実感して、嬉しい気持ちになりました」

 そう述懐するが、ヘルメットに装着したカメラに関しては「すっかり忘れていて、レースを終え脱帽した時に『あっ!!』と気付きました」と語り「レース中は集中しているので凱旋門賞に騎乗出来ている喜びを噛みしめている余裕はありません」と続けた。

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 ソフトライトは6着だったが、上位の5着まではヴァルトガイスト、エネイブル、ソットサス、ジャパンにマジカルといういずれもG1馬。重賞未勝利のソフトライトとしては考え得る限り最高の結果だったと言って良いだろう。残念ながら3頭が挑戦した日本馬は皆、惨敗を喫したが、日本一のジョッキーの善戦が、沈み込む日本の競馬ファンの気持ちを少し晴らす事が出来たのではないだろうか。

 ちなみにこの日、行われたサラブレッドのG1競走は6つ。武豊はそのうちの5つに騎乗したが、同じく5鞍も乗っていたのはL・デットーリやC・スミヨン、P・ブドーら一流騎手ばかり。R・ムーアやO・ペリエをしてもそれだけの数は乗っていなかった。ユタカタケは間違いなく世界に認められたトップジョッキーの1人。日本競馬界の誇りといえる存在だ。

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(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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