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シャーガーCに挑戦した藤田菜七子にとって、現在、勝ち負けよりも大切な事とは……

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
シャーガーCに挑戦した藤田菜七子騎手

外国のジョッキーや地元ファンからも記念撮影を要求される

 現地時間8月10日、イギリス、ロンドン郊外にあるアスコット競馬場で今年もシャーガーCが行われた。

世界中から名手が集められ、シャーガーCが行われた(一番右端が藤田菜七子)
世界中から名手が集められ、シャーガーCが行われた(一番右端が藤田菜七子)

 シャーガーCは世界中から招待された12人の名騎手がこの日、施行される6レース(各人の騎乗レースは5つ)で着順に応じたポイントにより優勝を争うイベント。お祭り的なムードも漂う反面、施行される6レースは全て普通に馬券も売られる競馬なので、真剣勝負である。

 先述した通りこの日のアスコット競馬場で行われるのはシャーガーC対象の6レースだけ。つまり、競馬場には選出された12人以外に現役の騎手はいないのだ。

 そんな名誉あるイベントに、今年、日本から招待されたのは川田将雅騎手と藤田菜七子騎手。シャーガーC史上初めて同一年に2人の日本人騎手がアスコットのターフの上に登場した。

 なかでも注目を浴びたのが“ナナコ”こと藤田菜七子だ。

 レース2日前にはロンドン市内でプレスカンファレンスが行われた。これに参加した香港のV・ホー騎手が面白い態度をとった。ホーは当方のカメラを指さしながら言った。

 『ナナコと2ショットを撮って後で送ってください』

 そこで彼女の事を事前に知っていたのか?と聞くと、首肯して答えた。

 「勿論です。ナナコは香港でもニュースになっています」

香港のV・ホー騎手は藤田との2ショットを自らねだってきた
香港のV・ホー騎手は藤田との2ショットを自らねだってきた

 また、オーストラリアのJ・カーと会話をすると、彼女は次のように言った。

 「ナナコの事なら知っているわ。オーストラリアに遠征にきていたリュウセイ(坂井瑠星騎手)からもよく聞いていたし、ニュースでも見たわ」

 更に、可愛いお嬢さん連れの一般ファンからも記念撮影を求められる等、藤田はすっかり人気の的になっていた。

一般ファンから記念撮影を求められるシーンも
一般ファンから記念撮影を求められるシーンも

そしてあの名女性ジョッキーも「会うのが楽しみ」と

 ナナコ旋風が世界中に轟いている事を感じる出来事は、前日にもあった。この日、ニューマーケットにいた私は現地で開業する調教師の厩舎にお邪魔をした。すると、そこにはヘイリー・ターナー騎手がいた。長い歴史を誇るイギリス競馬で、史上初めて年間100勝を達成した女性騎手で、ジュライCなどG1勝ちもある。4年前には札幌のワールドオールスタージョッキーズにも参加したから覚えておられるファンも多いだろう。彼女は私の顔を見るなり、言った。

 「ナナコに会うのが凄く楽しみだわ。私はレース前にアスコット競馬場の芝を歩くから、一緒に歩かないか、彼女に聞いて、連絡をもらえる?」

 結局、藤田は日本人2人で馬場を歩いたためターナーとのランデブーはならなかったが、地元の女性トップジョッキーからも注目されていたのには、こちらが驚かされた。

イギリスのトップ女性ジョッキーでもあるH・ターナーも「ナナコに注目しているわ」と語る
イギリスのトップ女性ジョッキーでもあるH・ターナーも「ナナコに注目しているわ」と語る

現在、勝ち負けよりも大切な事

 さて、競馬の方はというと、皆さんご存知の通り。アスコットの深い芝が牙をむき、世界中から集まった一流ジョッキー達が壁となって、前日に22歳の誕生日を迎えたばかりの藤田は自らの誕生日を祝うには至らなかった。4着が1度あるだけに終わったのだ。

勝つ事はかなわず厳しい表情で引き上げてくる藤田
勝つ事はかなわず厳しい表情で引き上げてくる藤田

 しかしながら、現在の彼女にとっては、勝ち負けよりも大切なモノがある。

 経験だ。

 彼女自身「返し馬すらよく分からないレースもあって緊張しました」と語ったように、初めての競馬場にもかかわらず平常心で乗るのは普通に考えて難しいだろう。まして異国の地となれば、尚更だ。日本の第一人者である武豊も「ジョッキールームや検量室がどこにあるのか? 動線がどうなっているか? そういう事を知っているだけで余計な神経を使わなくて済む」と語っていた。藤田が次回、アスコットを訪れる時はもう“初めて”ではない。それだけでも良い経験になった事だろう。

 デビュー4年目で先述したようにまだ22歳の彼女だが、これでアブダビ、スウェーデン、マカオに続き、日本以外で早くも4か国目でのレース騎乗を経験した。16年にイギリスへ遠征した際は、騎乗予定の馬がパドックで曳き手の厩務員をひっくり返すほどイレ込み、挙句、放馬。除外となり、彼女の海外初騎乗は幻に終わった。それから3年、今回ついにイギリスでの初騎乗を果たした。それもトップジョッキー達に混ざって競馬を経験し、多くの事を学べただろう。

3年前のイギリス遠征時。この後、馬が放馬し取り消しに。前列中央白帽が藤田
3年前のイギリス遠征時。この後、馬が放馬し取り消しに。前列中央白帽が藤田

 ちなみに今回、集まった他のジョッキー達は皆、世界中でG1を勝利している名手ばかり。そんな中、通算でもまだ三桁の勝利数に届いていない彼女に声がかかったのは、先日のスウェーデンでのイベントの優勝が直接のきっかけだった。その直前の時点でアスコット競馬場のレーシングディレクターであるニック・スミス氏に声をかけたところ「今年、呼ぶ事は出来ない」と語っていた。しかし、スウェーデンで優勝した後に再び声をかけると「検討する価値がありそうだね」に変わり、最終的には選出に至ったのだ。

スウェーデンでは2勝を挙げてシリーズ総合優勝を決めた
スウェーデンでは2勝を挙げてシリーズ総合優勝を決めた

 とはいえ、スウェーデンの件は根幹ではなくあくまでもヒキガネに過ぎない。藤田菜七子が招待された真の理由は、女性ジョッキーがしばらく途絶えていた男社会のJRAに勇気をもって飛び込んで来た事に起因するだろう。そんな彼女の勇気に対し、競馬の神様がしばらくの間、海外招待のようなご褒美を与えてくれているのだ。

 「楽しむまでの余裕はありませんでした」

 そう語った彼女だが、こういった経験を積む事で行く行くは楽しんで乗れるようになるはずだ。その上で、今回、個人優勝を果たしたターナーのように、勝利を手に出来るジョッキーとなって、本当の意味で“ナナコ”の名が世界中に広まる事を願い、応援したい。

今回、女性選抜チームを組んだH・ターナー(左)、J・カーとの3ショット
今回、女性選抜チームを組んだH・ターナー(左)、J・カーとの3ショット

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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