新たなるダービージョッキー・浜中俊が米国挑戦の鞍上に指名された理由と、結果を受けて期待される事とは

米国ベルモントパーク競馬場でのマスターフェンサーと浜中俊

新たなるダービージョッキーが指名されたアメリカ挑戦

 現地時間7月6日、日本時間同7日早朝、アメリカ、ベルモントパーク競馬場でベルモントダービー招待S(G1、芝2000メートル)が行なわれた。7年ぶりの暑さと時おりパラつく小雨の中、挑戦した日本馬マスターフェンサー(牡3歳、栗東・角田晃一厩舎)は13着。その2レース前のベルモントオークス招待S(G1、芝2000メートル)に出走したジョディー(牝3歳、美浦・戸田博文厩舎)も4着に敗れており、残念ながら今回、挑戦した日本勢には厳しい結果となってしまった。

 「ある程度ポジションを取りに行かないとダメだと考えていたので、いつもよりは前の位置で競馬をしました。徐々に番手を上げていったけど、マクり切る前に一杯になってしまいました」

 こう語ったのはマスターフェンサーの手綱を取った騎手の浜中俊だ。

ベルモントダービー招待Sに挑戦したマスターフェンサーは残念ながら13着に敗れた
ベルモントダービー招待Sに挑戦したマスターフェンサーは残念ながら13着に敗れた

 そもそも同馬はアメリカの3歳クラシックレースに挑むために太平洋を渡った。5月4日に行なわれたケンタッキーダービー(G1)は後方から追い上げて6着。6月8日のクラシック第三弾ベルモントS(G1)も末脚は披露したものの5着。このダートの2戦で今回の遠征を引き上げるモノだと思ったが一転。更に居残って芝のベルモントダービー招待Sに挑戦。鞍上にはアメリカ2戦で騎乗したJ・ルパルーに替わって新たなるダービージョッキーである浜中が指名された。

ロジャーバローズで日本ダービーを制した浜中俊
ロジャーバローズで日本ダービーを制した浜中俊

 浜中とマスターフェンサーのコンビは日本で2戦2勝。言い方を変えればこの馬はこの鞍上でしか勝っていなかった。そんな相性が日本人騎手をアメリカまで呼び寄せた理由かと思ったが、吉澤克己オーナーは次のように語った。

 「浜中君に乗ってもらう理由の一つは言葉が通じるという事。そして、もう一つは悔いを残したくないという事」

 この言葉を受け、過去2戦は悔いが残ったのか?と問うと、更に答えた。

 「もしかしたらあれがベストの乗り方だったのかもしれないし、それは分かりません。でも、少し悔いが残ったというのが正直な気持ちです」

 白羽の矢を立てられた浜中は、今回の遠征を次のように振り返る。

 「最初は角田調教師を介して依頼していただきました。『僕で良いなら(アメリカに)行かせてください』と即答しました」

角田晃一調教師(右)と
角田晃一調教師(右)と

 ドバイと香港では乗った事があった。しかし、アメリカは未経験。そんな浜中に声がかかったのは“ダービージョッキー”の称号も少なからず影響があったのではないだろうか? 浜中に聞くと、首肯して答えた。

 「そうですね。それは関係あると思います」

 その上で、改めて今春の日本ダービー制覇の反響を語った。

 「(武)豊さんに『おめでとう。何回でも勝ちたくなるレースだろう?』と言われたのを始め、会う人、会う人、皆に『おめでとう』とか『よ!ダービージョッキー!!』という感じで祝福してもらいました。師匠の坂口正大先生からは『祝勝会が続くだろうけど、週末は競馬にしっかりと切り替えなさい』と釘をさされました。実際、連日、お祝い続きで、師匠の言われた言葉の意味がよく分かりました」

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一度は落ちた信頼を取り返してのダービー制覇

 2009年、デビューまだ3年目で菊花賞(G1)を制覇(スリーロールス)。初のG1勝ちを飾ると、12年には131勝を挙げて自身初の全国リーディングに輝いた。当時まだ24歳の若さでの戴冠だった。その後もオークスや天皇賞(秋)など、大レースを制した。そして、今回のダービー制覇。更にJRA通算1000勝までも残り9勝とカウントダウンに入っている。そんな素晴らしい実績にもかかわらず、本人は言う。

 「それだけを見ていると超一流ジョッキーみたいですよね。でも、実際に現在の自分はそれに見合った活躍が出来ているかというと決してそうではありません」

 一昨年の17年、フィリーズレビュー(G2)で騎乗したレーヌミノルは2着となったがゴール前で斜行したため浜中は騎乗停止処分を受けた。そうして手放したレーヌミノルが続く桜花賞(G1)を制しG1馬となった。それがショックであろう事は察しがつくが、それよりも大きな衝撃を当時、受けていた。その僅か4カ月ほど前の16年11月に行なわれたマイルチャンピオンシップ(G1)。浜中はミッキーアイルとのコンビでこれを優勝したが、その時もゴール前で他馬に迷惑をかけ、騎乗停止になっていた。短期間で立て続けにミスを犯し信頼はガタ落ち。「ラフプレー」「荒い」「わざとやっている」と周囲で囁かれる辛辣な言葉が本人の耳にも届いた。

 「もちろん意識的にやったわけではありません。ただただ、自分が未熟だっただけ。大きな舞台で『勝ちたい』という気持ちばかりが先行して、ヨレそうになっている状態を事前に察知出来ていない。馬をコントロールする前に、自分をコントロール出来ていませんでした」

 当時を振り返り、自らを戒める言葉が続く。

ベルモントダービー当日の浜中
ベルモントダービー当日の浜中

 「ゴール前で真っ直ぐ走らせられないなんてプロの騎手と言えませんよね。あんな乗り方をしていては、リーディングを獲ったとか、G1をいくつ勝ったというのも何の価値もありません」

 ハンドルもブレーキもついていない馬に乗っているのだから、今後も避けられない事態に見舞われる事はあるだろう。しかし、それを承知した上で、自らに十字架を背負わせるようにそう言った。今年は前半を折り返した時点で制裁点は“8”。しばらくは無制裁のまま突っ走っていた。現在トップのジョッキーは50点に達そうかという中、それなりに騎乗している騎手としては少ない数字である。その上でのダービー制覇と考えると、その価値も増すというものだ。

ベルモントパーク競馬場で調教を終えたマスターフェンサーをいたわる浜中
ベルモントパーク競馬場で調教を終えたマスターフェンサーをいたわる浜中

浜中が指名されたもう一つの理由

 早目に現地入りし、連日、調教で跨る浜中は言う。

 「火曜日(2日)の調教で芝コースに入りました。意外と芝丈が長くてクッションは利いていたけど、日本みたいに整備されていなくて、だいぶうねっている感じでした。幅員も狭いし、コーナーもキツいです。その翌日には実際にレースを観戦したけど、やっぱり追い込みは利かない感じでした」

アメリカでも連日、マスターフェンサーの調教に跨った
アメリカでも連日、マスターフェンサーの調教に跨った

 それを踏まえて早目に動ければ……と語っていたが、レースは自分一人でやるものではないので、なかなか思う通りにはいかない。14頭立てで1頭が競走中止したこのレースで、最終的に13着に負けたわけだが、ただ漫然として乗ってこの結果だったわけではないのだから、それはそれで仕方ないだろう。着を拾いに行く競馬に徹すれば大敗はなかったかもしれないが、勝ちに行っての結果だったのだからその精神は褒められてしかるべき。決して恥ずかしい結果ではないと思うのだ。

馬場入場時のマスターフェンサーと浜中
馬場入場時のマスターフェンサーと浜中

 先出の吉澤オーナーは浜中を指名した理由をもう一つ、挙げていた。

 「今回、アメリカに来るにあたり、こちらへの遠征経験のあるノースヒルズの方や松永幹夫調教師に助言を求めました。浜中君には是非、次回、来る人達にそのようなアドバイスをしてもらいたい。いずれ日本馬がこの地で栄冠を獲れるように、今回の経験を伝えていただきたいのです」

 ダービージョッキーの称号は、その説得力も違って来るであろう事は明白だ。だからこその彼の指名でもあったわけだ。一度は無くしかけた信頼を、コツコツと努力して取り返したように、今回の敗戦が明日の勝利につながる事を期待したい。未来の挑戦者に“伝える”だけでなく、その時も今年のダービージョッキーが鞍上に指名されている事を、合わせて期待したい。

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(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)