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菊花賞の有力馬を担当する男の現在の願いと、家族との物語

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
菊花賞に挑戦するブラストワンピースと担当の八木大介持ち乗り調教助手

トレセン入り初日にあった出来事

 1984年3月9日生まれだから現在34歳の八木大介。美浦・大竹正博厩舎で持ち乗り調教助手をしている。

 彼が生まれたのは静岡県袋井市。競馬とは無縁の家庭で育ったが、小学生の頃に競馬ゲーム、中学生時代は競馬中継を観るようになり、この世界で働きたいと考えるようになった。

 両親に相談すると、父・成幸は「責任を持てるならどんどんやりなさい」と背中を押してくれた。そんな父子の会話を、母・ゆみ江は心配そうな表情で見ていたと言う。

 高校を卒業後、アニマルベジテイションカレッジに2年間、通った。ここで馬乗りを覚えると卒業した04年、かつてファインモーションやアドマイヤコジーンらがいた武田ステーブルに就職した。

 「朝は早いし夜は遅い。馬に乗る事も勿論、大変でした」

 そんなある日、1人の先輩に問いかけられた。

 真剣に1頭乗るのと、普通に5頭乗るのでは、どちらが上達すると思う?

 「当然、真剣に1頭乗った方が良いでしょう」

 そう答えると、かぶりを振られた。

 「考えなくても数多く乗る事で体が覚えてくれる」

 そう言われ、目から鱗が落ちる気がした。

 それからは1頭でも多く乗る事に勤めた。

 そんな2010年の事だった。

 母がくも膜下出血で倒れたと連絡が入った。幸い、大事には至らず、後遺症も残らなかった。

 牧場に戻った八木は競馬学校を受験。合格すると12年、大竹厩舎で働き出した。

 初出勤は5月27日。正確に日付を覚えているのには理由があった。

 「出勤初日に厩舎で日本ダービーを観ました。ディープブリランテが優勝するシーンをみて、自分もいつかこの舞台に立ちたいと思いました」

八木大介持ち乗り調教助手(大竹正博厩舎)
八木大介持ち乗り調教助手(大竹正博厩舎)

母と1頭の馬の不思議な縁

 トレセン入りして2年目。13年の夏、1頭の2歳馬を受け持つ事になった。血統表をみて、1つの事に気付いた。

 「誕生日の2月1日というのが、私の母と同じでした」

 ところが性格は全く違った。ヤンチャで、音に敏感。モノ見も激しかった。

 「だから入厩初日に落とされました」

 その馬は名をショウナンワダチと言った。

 「そんな性格の馬ではあったけど、調教が進んだらそれなりに動いたので、良い馬である事が分かりました」

 当時、1人の女性と付き合い始めた八木は、公私ともに充実してきたかと思えたが、そんな矢先、事態は一転した。母が再びくも膜下出血で倒れたのだ。

 車を運転して急いで帰郷した八木を待っていたのは、前回とは違い、予断を許さない容態の母の姿だった。

 「結局2日間、意識が戻らないまま息を引き取りました」

 10月23日、母・ゆみ江、他界。

 「当時、付き合い出した彼女は母に会わずじまいでしたけど、訃報を伝えると泣いてくれました」

 その美しい涙をみて、八木は彼女との結婚を決意した。

 母が亡くなった直後の11月10日。先述のショウナンワダチがデビューすると、新馬戦を快勝。続くベゴニア賞も連勝して、G1・朝日杯フューチュリティSに駒を進めた。

 「結果は6着で、その後も17年に引退するまで勝てずじまいで終わってしまいました。僕自身もその間、他の担当馬でも全く勝てなくなり、苦しみました。でも、母との思い出もあいまって僕には思い入れの強い、忘れられない馬になりました」

 17年11月3日のレースを最後にショウナンワダチは引退した。

バトンタッチするように現れた若駒と、現在の願い

 その僅か2週間後の11月19日。バトンタッチするようにデビューしたのが当時まだ2歳だったブラストワンピースだ。

 「大きな馬、というのが第一印象でした。キャンターに行ったらモノが違うと感じる動きをしてくれたので、1つくらい重賞を勝てるかも……と思いました」

 東京芝1800メートルの新馬戦を快勝。これが八木にとって4年ぶりの勝利。するとその直後の11月30日。先述の女性と結婚していた八木は長女を授かり、プライベートでも大きな白星を挙げた。

 年が明けてからブラストワンピースは500万下条件、G3・毎日杯と3連勝。夢にまで見た日本ダービーに出走する事になった。

 「ダービーのパドックを曳けた時は緊張しました。いつもは知り合いが来ていないかお客さんのエリアに目をやって探すのですが、この時、覚えているのは前を歩いていた馬のお尻だけです」

ダービーでブラストワンピースを曳く八木(右)。心なしか緊張した表情だ
ダービーでブラストワンピースを曳く八木(右)。心なしか緊張した表情だ

 そんな緊張感が馬に伝わらないか?と心配もしたが、ブラストワンピースにはどこ吹く風だった。福永祐一がいざなったワグネリアンに上手に走られて、5着に敗れたが、八木は悔しい反面、満足感を得る事も出来た。

 「運がなくて負けてしまい、『一生に1度のチャンスを逃したかもしれない』と悔しがっていたら、嫁に『トレセンに入って6年でダービーに出られたんだから、きっとまたチャンスは来るわよ』と言われました。そう言われて冷静に考える事が出来るようになると、改めて走る馬だと思いました」

ダービーでは勝ったワグネリアン(右)と大きな差はなかった(緑のシャドーロール)ブラストワンピース
ダービーでは勝ったワグネリアン(右)と大きな差はなかった(緑のシャドーロール)ブラストワンピース

 その気持ちに誤りがない事を、ブラストワンピース自身がすぐに証明してくれた。

 9月2日の新潟記念。初めての古馬との対戦だったが、外を回りながらも突き抜けて優勝。次なる目標である菊花賞へ向け、視界良好となった。

 「初の古馬相手ではあったけど、G3でしたからね。ここで負けたらG1の菊花賞でどうこうは言っていられないという気持ちでいたので、勝ってくれて良かったです」

 あれから1月半。大目標の菊花賞がいよいよ今週末に迫った。

 「順調に来ていて、中間、乗ってくれた池添(謙一騎手)さんも『良いね!!』って言ってくれました。なんとか良い競馬をして欲しいです」

 菊花賞が行われるのは10月21日。2日後の母の命日に、その墓前へ愛する妻と子供、それに菊の大輪を一緒に連れて行く。それが現在の八木の願いである。

(文中敬称略、写真提供=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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