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オークス連覇を果たしたC・ルメールが、勝利した晩に語った「大レースを勝つことよりも嬉しいこと」とは

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
オークスを1番人気に応え勝利したアーモンドアイと騎乗したC・ルメール騎手(中央)

 パドックでは周回をおうごとに気合いの乗る素振りを見せた。

 発汗も見られ、飛び出すように馬場へ入って行った。

 初めてとなる2400メートルの長丁場で、果たしていつも通りの競馬が出来るか……。少々不安になった。

 その不安が的中したかと思えたのはスタートした直後のことだ。いつも後方から行く彼女が、ポンとスタートを切ると行く構えを見せた。鞍上が慌てて抑える。なんとか言うことを聞いたが、それでも前から6頭目。いつもよりかなり前だ。残りは2000メートル以上の未知の世界。果たして乗り切れるのか……。

 もちろん、オークスに出走したアーモンドアイと、その手綱を取ったクリストフ・ルメールのことである。

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騎手になりたかった幼少期、思わぬところから反対される

 ルメールが生まれたのは1979年5月20日。馬の街として有名なフランスのシャンティイにあるその名も「Hopital du Jockey(騎手の病院)」で生を受けた。

 当時、父のパトリス・ルメールは障害の騎手。

 「だから僕も小さい時から鞭を振り回し騎手になることに憧れていました」とクリストフ。

 しかし、思わぬところから“待った”がかかる。

 “騎手がいかに危険な仕事かを最もよく知る”父・パトリスが反対したのだ。

 「それでもどうしても騎手になりたくて、妥協案としてアマチュア騎手までは認めてくれることになりました」

 フランスを始めヨーロッパ各国ではアマチュアライダーによる競馬も開催されていた。そこになら乗っても良いという許可が出たものの、プロを目指すための競馬学校には行かせてもらえなかった。

 そのため普通に高校へ通った。しかしそれでも騎手への道を諦め切れなかったクリストフは、自ら大調教師であるアンドレ・ファーブルに電話をして、調教騎乗をさせてもらった。

 毎朝、1人もくもくと調教へ通うと、そんな熱意に父が折れた。クリストフは競馬学校には行かないまま騎手デビューするというかの地でも珍しいパターンで騎手となったのだ。

 プロデビューした後のクリストフは、フランスで凱旋門賞に次ぐ人気を誇るディアヌ賞をスタセリタ他で3回勝ったのを始め、ヨーロッパ各国はもちろん、日本やドバイでもG1を制すトップジョッキーとなった。

 そして2015年からは籍を日本のJRAへ移すと、17年には自身初のリーディングジョッキーの座を獲得。これはJRA史上初の外国人のリーディングジョッキーという偉業でもあった。

 「日本に移籍したい意思を妻に告げた時、彼女は二つ返事で賛成してくれました。現在の僕があるのは妻のバーバラのお陰です」

 クリストフはそう言う。ちなみに妻バーバラのお父様は競馬学校の教官だと言うのだから、少し皮肉な巡り合わせだ。

左がバーバラ夫人
左がバーバラ夫人

オークス連覇の夜に語った大レースを勝つことよりも嬉しいこと

 馬群が直線へ向く。いつもより前の位置で競馬をしたことに不安を抱いたことが恥ずかしく思えるくらい、普段通りの末脚でアーモンドアイは伸びてきた。先頭に立つと後続との差を広げる。半馬身、1馬身、あっという間に開いたその差が2馬身となったところで鹿毛色の新女王は誰よりも早くゴールに飛び込んだ。その瞬間、彼女は牝馬三冠に王手をかけたのだ。

 昨年のソウルスターリングに続き2年連続でパートナーを樫の女王に導いたクリストフがフランス時代ディアヌ賞を3度制しているのは先に記した通り。同賞はフランス版のオークスにあたるレースだから、今回が日仏通算で実に5回目のオークス優勝ということになった。

直線、敢然と抜け出し二冠制覇を果たしたアーモンドアイと2年連続のオークス制覇を誕生日Vで飾ったクリストフ・ルメール騎手。
直線、敢然と抜け出し二冠制覇を果たしたアーモンドアイと2年連続のオークス制覇を誕生日Vで飾ったクリストフ・ルメール騎手。

 その日の夜、都内で行われたのは祝勝会兼クリストフの誕生会。この日は前日JRA通算800勝を達成した彼の誕生日。07年にはサンタラリ賞(G1)など、誕生日に重賞を2勝したが、それ以来となる誕生日G1Vを成し遂げたクリストフは、その宴の最後にマイクを渡され、妻バーバラやサポートしてくれた皆への感謝の言葉を述べた。そして、さらに「大きなレースを勝つことは嬉しいけど、もっと嬉しいことがあります」と言うと、次のように続けた。

 「こういった勝利を応援してくれる皆とシェア出来ることが、もっと嬉しいことです!」

オークスを勝った晩に行われた祝勝会兼誕生会で、バーバラ夫人と。
オークスを勝った晩に行われた祝勝会兼誕生会で、バーバラ夫人と。

 クリストフの語る“応援してくれる皆”というのは何もこの席に参加した人だけのことではないだろう。ここには来られなくても“勝利をシェア”出来ている人は他にもいる。

 例えば父のパトリスもその1人。クリストフの本名はクリストフ・パトリス・ルメール。父の名をミドルネームに持つ彼は言う。

 「今では騎手としての僕を凄く応援してくれています。そんな父の前で日本の馬に乗って凱旋門賞を勝つのが僕の現在の夢です」

 果たしてその馬がアーモンドアイなのか、はたまた別の馬なのかは分からない。ただ、海の向こう、彼の生まれ故郷でまた“勝利をシェア”出来る日が来ることを願いたい。

父のパトリスさん(右)と。2016年、マカヒキでニエル賞を勝った際の1コマ。
父のパトリスさん(右)と。2016年、マカヒキでニエル賞を勝った際の1コマ。

なお、今回も紹介した一部のエピソードも掲載された本「クリストフ・ルメール 挑戦 〜リーディングジョッキーの知られざる素顔」https://www.amazon.co.jp/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB-%E6%8C%91%E6%88%A6-%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%96%E3%82%8B%E7%B4%A0%E9%A1%94-%E5%B9%B3%E6%9D%BE-%E3%81%95%E3%81%A8%E3%81%97/dp/4046023783が6月14日にKADOKAWAより刊行されます。

(文中敬称略、写真提供=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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