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名騎手である父との絶縁など、山あり谷ありの調教師が、ある馬との特別な日を前に誓ったこととは

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
グレーターロンドンを復活させ、通算200勝に王手をかけている大竹調教師

大竹の“現在”に影響を与えるある馬との物語

 2015年10月31日。500万条件を豪快に勝ち上がったグレーターロンドン。その約2週間後、厩舎にいる同馬に調教師の大竹正博は異変を感じた。

 「左前脚にザ石っぽい症状がみられました」

 ザ石とは石などを踏んだ時にみられる症状で、ままあることだ。しかし、こういった些細な事態に面した時でも、大竹は常に思い起こす馬がいた。

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 話は05年まで遡る。

 当時、萩原清厩舎で調教助手として働いていた彼は、バーチャルペアという馬の調教に跨っていた。同馬はその週末、武豊を背にデビューする予定だった。

 この日のメニューは坂路を2本。1本目を上がった時、大竹は「おや?!」と思った。

 「歩様が少し変に感じました」

 調教師に進言しようかと迷ったが、後1本坂路を上れば週末には名手を乗せてデビューできることを思うと、水を差すようなことは言えなかった。

 しかし、それは大きな過ちだった。

 「2本目の坂を上がっている途中で聞いた『ボキッ』という音は今でも忘れません」

 その瞬間、バーチャルペアは短い一生を終えることになった。

 「何より僕の経験が足りなくて、そこまでの状態であることを判断してあげられませんでした」

 以来、二つの慣わしが出来た。

 一つは同馬の月命日である16日には、毎月、馬頭観音で手を合わせること。

 そしてもう一つは少しでも違和感があれば、迷わず口にすること、だった。

 とはいえ、競走馬は愛玩動物ではない。結果を残すためには調教を課さなければいけない。馬頭観音で手を合わせ、些細なことでも事前に報告するよう努力しても、事故が起きてしまうことはある。

 大竹が調教師になった後、ハーミットライフという馬が、やはりデビュー直前の最終追い切りで故障を発症してしまった。

 「もちろんショックでした。関係者に対しても、馬に対しても申し訳ない気持ちで一杯になりました」

 ここで言う“馬”はハーミットライフ。そしてバーチャルペアのこともさしていた。

 だから大竹は競走馬としては復帰できなくなったハーミットライフを、譲り受けた。そして、養老牧場で最期まで面倒をみた。

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グレーターロンドンとの長い戦いの日々

 グレーターロンドンにザ石の症状がみられた時も、すぐに対処した。蹄鉄を替えるなどして一カ月弱、様子をみた。ところが、12月に入ると症状は更に悪化してしまった

 「左をかばっていたせいか、右脚も悪くなり、立っている姿勢さえ危うくなってしまいました」

 調べると、両前脚に蹄葉炎の疑いがあると言われた。

 蹄葉炎とは蹄の内部に炎症が起き、極めて強い疼痛を伴う病気。馬は体重が重いので立っているだけで病状が進行してしまい、高い確率で予後不良と診断される。名馬テンポイントの命を奪ったのもこの蹄葉炎だった。

 これが長い戦いの始まりだった。

 痛みをかばって姿勢が悪くなるので、症状はなかなか良くならない。入院馬房に移動できるようになるだけでも時間を要した。

 定期的にレントゲンで確認。消炎剤を打って炎症をコントロールした。良化の傾向が見られ、薬を減らすと疼痛が再発。一進一退の毎日。翌春になり、ようやく福島県いわき市にある競走馬リハビリテーションセンターに移動できるようになると、大竹も頻繁に足を運んだ。

 「特殊蹄鉄を履かせるなど、最先端の技術を施し、やれる限りの手を打ちました」

 その後も蹄と蹄鉄の間に緩衝材を入れるなど様々な方法をほどこし、ついに復帰できたのは16年11月12日。前走から1年以上の歳月が過ぎていた。

 献身的に取り組んだ結果、復帰できたグレーターロンドンは4連勝。その後もG1・安田記念で4着に好走。先日行われた重賞では1番人気の支持を受けるまでになった。

見事に復活を果たし、重賞でも1番人気に支持されるまでになったグレーターロンドン(中央赤帽子)。
見事に復活を果たし、重賞でも1番人気に支持されるまでになったグレーターロンドン(中央赤帽子)。

 「蹄の状態は相変わらずで、蹄葉炎が再発しそうになった時期もあるし、今でも毎日のチェックとケアが欠かせません」

 そう言うと、更にひと言、付け加えた。

 「良くも悪くも痛みに敏感。いわゆる“泣き”の体質なんです」

 この言葉を聞き、私が「厩舎の血統ですね!!」と言うと、大竹は苦笑しながら答えた。

 「そうですね。僕の父の血が管理馬にも継がれちゃったかもしれません」

父はあの名ジョッキー

 大竹の父親もまた競馬場の人間だった。元騎手である。

 その父の影響で、幼い頃の大竹は競馬が“嫌い”だった。

 「土日は競馬なので、学校の行事はもちろん、遊びにすら連れて行ってもらえませんでした。たまに週末に会えるのは怪我で入院している時。だから競馬は嫌いでした」

 そんな気持ちを翻意させたのもまた父親の行動だった。

 「大学の卒業式に父が来てくれました。それは日曜だったけど、騎乗依頼を全て断って来てくれました」

 そして、大竹は人生の矛先を競馬場へと転換した。

 しかし、そんな父としばらくの間、意識的に絶縁した時期があった。

 父が騎手を引退した時のことだ。

 ここまで読んで『大竹なんて騎手、いたっけ?』と思われた方も多いだろう。そう、大竹は妻方の姓に変更した苗字。彼の元の姓は“大崎”であり、父はオールドファンならご存知であろう往年の名騎手、大崎昭一なのだ。

 「父から強気な発言を聞いたことは1度しかありませんでした」と大竹が言うように、大崎は“泣きの昭ちゃん”の愛称で親しまれていた。 その父が騎手を引退し予想会社に勤めることになった。当時、調教師を目指す立場だった大竹は、父と相談した結果、これを境に、互いに交わらない道を歩むことを決意。のちに姓を改めたのだ。

大竹の父はカツトップエースでダービーを勝つなどした名騎手・大崎昭一。弱気なコメントで”泣きの昭ちゃん”という愛称がつけられた。写真提供JRA
大竹の父はカツトップエースでダービーを勝つなどした名騎手・大崎昭一。弱気なコメントで”泣きの昭ちゃん”という愛称がつけられた。写真提供JRA

父、妻、そして、これから……

 現在、すでに予想会社を退職した父とは再び連絡を取るようになったと言う。

 「“泣き”で知られる父が唯一『今週は勝ってくる』と強気な発言をして出掛けて行ったことがありました。それがカツトップエースで勝ったダービーの週でした。競馬に関わる誰もが望むように僕もダービーに勝ちたい」

 そう言うと「まずは勝つに相応しい人間にならなくてはいけないですけど」と続けた。

 しかし、その点はもう問題ないように思える。毎月16日、馬頭観音に手を合わせる彼を競馬の神様はみてくれているだろう。間の無くに迫った真の命日である2月16日にも当然「手を合わせる」と彼は言う。

 そんな大竹だが、昨年は開業9年目で開業年を除くと最も少ない14勝に終わってしまった。しかし、1度、地獄をみた者は強い。今年は2月4日現在ですでに3勝。通算200勝にも王手をかけてみせ、捲土重来が期待できるスタートを切った。

 「まずは昨年のような成績ではダメ。実は妻が一昨年に倒れ、現在も闘病生活が続いています。競馬の成績も妻の状態も復活できるように頑張るだけ。諦める気はありません。」

 そう誓う大竹の視線の先には蹄葉炎から復活したグレーターロンドンの姿があった。

「決して諦めない」と語る大竹の視線の先はグレーターロンドンの姿が……。(写真は昨年の東風S優勝時のグレーターロンドンと大竹調教師)
「決して諦めない」と語る大竹の視線の先はグレーターロンドンの姿が……。(写真は昨年の東風S優勝時のグレーターロンドンと大竹調教師)

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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