香港へ遠征した1人の男が同じ場所でレースを観戦するのは何故か?あの名馬の物語はまだ終わっていなかった

今年の香港カップに挑戦したステファノス。曳いているのは藤原和男調教助手。

今年もそこに男の姿があった

 いつもの“場所”でレースを観戦する男の姿があった。

 スタンドに隣接した検量室。その脇にある階段の中腹。そこが彼のお決まりの場所だった。今年も帰ってきた男は、やはりそこで愛馬の姿を細い目で追った。

 12月10日。香港、シャティン競馬場で、今年も香港国際競走が行われた。4つのカテゴリーに日本馬は8頭が挑戦した。その中で、唯一2頭を現地に送り込んだのが藤原英昭調教師。2400メートルの香港ヴァーズにトーセンバジルを、2000メートルの香港カップにはステファノスを出走させた。

 「歴史があるからな……。なかなか思うようにはいかないけど、なんとか勝たせてあげたいんだ」

 藤原英昭がそう言って視線を注ぐ先には、ステファノスに跨る1人の男がいた。

 藤原和男。

 英昭の弟であり、調教師が「歴史がある」と評するように、彼には香港との深い縁があった。

今年の香港国際競走に藤原英昭調教師(左)は香港カップにステファノス(手前)を、香港ヴァーズにトーセンバジルの2頭を送り込んだ。
今年の香港国際競走に藤原英昭調教師(左)は香港カップにステファノス(手前)を、香港ヴァーズにトーセンバジルの2頭を送り込んだ。

男の正体は敏腕調教助手

 1968年2月生まれで現在49歳の和男。厩務員の父の下、3人兄弟の末っ子で育てられた。

 初めて馬に乗ったのは5歳の時。無理矢理、ハダカ馬に乗せられたと言う。

 「最初の頃は怖くて泣いてばかりだった」と語るが、そのうち「兄に負けないように乗れるようになりたい」と英昭を意識して乗るようになった。

 中学に入る頃には本格的な大会にも出場するようになり、何度も優勝するほどの腕前になった。中学3年で受けた競馬学校の騎手試験は不合格となり、高校に進学。馬術部に入部すると、西日本での大会を飛び越え、全国大会でも活躍。インターハイでは優勝し、国体出場も果たした。

 高校卒業と同時に、兄もいるJRAを目指し競馬学校を受験。合格し、この世界に入った。86年のことだった。

鞍上が藤原和男調教助手。写真は2015年のクイーンエリザベス二世盃に挑戦した際のステファノス。
鞍上が藤原和男調教助手。写真は2015年のクイーンエリザベス二世盃に挑戦した際のステファノス。

 トレセン入りして14年目の99年、和男は1頭の若駒と出会った。

 当時、北橋修二厩舎で調教助手をしていた彼は、この年の暮れも押し迫った頃、すでにデビューしていたある馬の調教を任されるようになった。

 「体が伸び切って走ってしまう馬だったので、いかに詰めて走らせるか。最初の頃は喧嘩になることもあったけど、じっくりと教え込みました」

男が出会った名馬とは……

 喧嘩をした相手のこの馬は、名をエイシンプレストンといった。

 和男が調教をつけるようになってすぐに朝日杯フューチュリティS(G1、当時朝日杯3歳S)を勝利した同馬だが、何といってもこの馬にとってのハイライトは海の向こうにあった。

 2001年暮れ、香港マイル(G1)に挑戦したエイシンプレストンは見事にこれを優勝。翌02年、03年にも香港へ渡ると春のクイーンエリザベス二世盃を連覇。実に5度の香港遠征で3度も日の丸を挙げ、北緯22度の湿気の中に君が代を流してみせたのだ。

 和男はもちろんこの遠征の全てに立ち会った。主戦騎手の福永祐一は当時まだ若く、現地の調教で跨った際、エイシンプレストンに遊ばれてしまうシーンがあったが、和男に替わると鞍下はスッと動いた。それは、エイシンプレストンの3度の戴冠の立役者が和男であると痛感させられた場面でもあった。

2001年の香港マイルを制したエイシンプレストン。鞍上は福永祐一騎手で、向かって左が藤原和男調教助手(当時、北橋修二厩舎)。
2001年の香港マイルを制したエイシンプレストン。鞍上は福永祐一騎手で、向かって左が藤原和男調教助手(当時、北橋修二厩舎)。

度重なる挑戦で、恩返ししようとしていることとは……

 北橋厩舎の定年による解散に伴い、和男は兄の藤原英昭厩舎へ移った。そして、兄はストレイトガールやフィエロ、エイシンフラッシュらで毎年のように香港に挑戦。冒頭に記したように今年の国際レースにもトーセンバジルとステファノスの2頭で臨んだ。

 しかし、残念ながら現状、藤原英昭厩舎は香港での栄冠を勝ち取ってはいない。一昨年のクイーンエリザベス二世盃を走ったステファノスが2着したのが最高で、今回のトーセンバジルは善戦したものの3着、4度目の遠征となったステファノスも今回は4着に終わった。

左から2人目が藤原英昭調教師で3人目が和男調教助手。馬はトーセンバジル。
左から2人目が藤原英昭調教師で3人目が和男調教助手。馬はトーセンバジル。

 どの遠征時にも、和男がレースを観る指定席がある。冒頭で紹介した“スタンドに隣接した検量室の脇にある階段の中腹”がそこだ。彼がそこで観るのには理由があった。

 エイシンプレストンが初めて遠征し、勝利した01年の香港マイルを、彼はそこで観戦。その後の2度の戴冠の瞬間も、同じ場所で観ていたのである。

 もっともその後もそこで見続けるのは、単に縁起を担いでいるわけではないことを、私は知っている。

 今から14年前の2003年12月14日の夜。香港島にあるホテルのバーで、私は和男と福永祐一と3人で琥珀色のグラスを傾けた。

 この日、ラストランとなった香港カップで、エイシンプレストンは7着に敗れていた。

 「教わるばかりで最後まで何も恩返しをすることができなかった」

 エイシンプレストンに対し、そう言った福永の言葉を受け、和男は言った。

 「これから自分達に何ができるか……。そうやってプレストンに恩返ししていくしかないんだと思う」

 そう語る和男の目には光るものがあり、彼は照れることなく、それを指で拭ったことを、今でも忘れられない。

 あれから14年。和男は結婚し、香港に来る度、子供の数も増えた。恰幅もすっかり良くなった彼だが、観戦する場所だけは今も変わらない。

 エイシンプレストンに恩返しをするためにも、“その場所”で観なくてはいけないモノがある。彼に調教をつけられた馬が、十数年前の名馬と同じように、シャティン競馬場のゴール板を先頭で駆け抜ける。そのシーンを観るまで、彼の挑戦は続いていく。

今年の香港国際競走で、トーセンバジルの調教をつける藤原和男調教助手。レース後には「また来るぞ!!」と息巻いた。その挑戦はまだ続く。
今年の香港国際競走で、トーセンバジルの調教をつける藤原和男調教助手。レース後には「また来るぞ!!」と息巻いた。その挑戦はまだ続く。

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)