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フォワ賞を終え、凱旋門賞にサトノダイヤモンドで挑戦する池江泰寿調教師の、欧州最大のレースに懸ける想い

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
今年も凱旋門賞に挑む池江泰寿師(右)とC・ルメール騎手。フランスの調教場にて。

今年の凱旋門賞には2頭で挑戦

 9月10日、フランスにあるシャンティイ競馬場でフォワ賞(G2、芝2400メートル)が行なわれ、日本馬2頭が出走した。

 フォワ賞は欧州最大のレースの一つである凱旋門賞の前哨戦。毎年10月の第一日曜日に行なわれる本番の3週間前に同じ競馬場、同じ距離という絶好の舞台で施行される。今年、出走した2頭の日本馬も最大の目標は10月1日の凱旋門賞。ここはプレップレースとしての参戦だった。

 出走したのはサトノダイヤモンドとサトノノブレス。共に、9月10日現在でJRAのリーディングトレーナー争いを独走する池江泰寿調教師が管理する馬だ。

 サトノノブレスはG1勝ちこそないものの、サトノダイヤモンドの方は昨年、菊花賞と有馬記念を優勝。有馬記念は後にJRA賞年度代表馬に選出されるキタサンブラックを差し切っての栄冠。結局この勝利が決め手となり、JRA賞最優秀3歳牡馬を受賞した。

 そんな駿馬を池江がフランスに送り込んだのには理由があった。

前哨戦フォワ賞の最終追い切りを行なったサトノダイヤモンド(左)とサトノノブレス。
前哨戦フォワ賞の最終追い切りを行なったサトノダイヤモンド(左)とサトノノブレス。

”勝ちたいレース”から”勝たなければいけないレース”に

 池江泰寿のお父様は元騎手で元調教師の池江泰郎氏。調教師としては日本競馬史上最強馬のディープインパクトを育てた伯楽だ。

 そのディープインパクトが凱旋門賞に挑戦したのは2006年。この時、泰寿は管理するピカレスクコートをディープインパクトの帯同馬として現地へ送り込み、かの地で観戦した。

 「ディープの力を持ってすれば勝てると思っていました」

 池江は当時を述懐し、そう語る。この時点でのディープインパクトの日本での成績は、前年の三冠レース(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)の他、春の天皇賞と宝塚記念などG1を5勝。デビュー以来11戦10勝、2着1回。誰もが池江師と同じように「勝てる」と思い、観戦した。

 しかし、競馬の神様は非情だ。日本では圧倒的な爆発力を披露してきたディープインパクトだが、凱旋門賞では地元馬2頭にかわされてよもやの3位入線(後に失格)。池江は言う。

 「あの時の父の背中が何とも物悲しく見えたことが忘れられません」

 この瞬間、池江の中で凱旋門賞は“勝ちたいレース”から“勝たなければいけないレース”に変わった。

 「そして、できることならディープの仔で挑戦したいと思いました」

2006年の凱旋門賞でよもやの3位入線(失格)となったディープインパクト。
2006年の凱旋門賞でよもやの3位入線(失格)となったディープインパクト。

凱旋門賞への憧れ

 競馬社会で育った池江が、凱旋門賞というレースを知ったのはまだ小学生低学年の頃。ある競走馬の写真をみた池江少年は帽色が見慣れているモノとは違うことを不思議に思い、父に質問。それが、日本馬スピードシンボリが凱旋門賞に出走した時の写真であることを教えてもらった。

 「初めて凱旋門賞の存在を知り、その写真を元に年賀状用の絵を描きました」

 1996年にイギリス、ニューマーケットにあるM・スタウト厩舎で研修をした際も、フランスに渡り凱旋門賞を観戦。その夜、シャンティイにあるレストランで食事をしていると、エリシオで凱旋門賞を優勝したオリビエ・ペリエとばったり出くわした。

 「普段、すごく明るいオリビエが、あの時はしんみりとした表情でワイングラスを傾けていました」

 凱旋門賞の重みを感じさせるシーンだったと語る。

 欧州最大の大一番に魅了された池江は、その後も日本馬遠征の有無に関わらず現地へ観戦に訪れた。ダラカニやディラントーマス、ザルカヴァなどの名馬が歴史を作る瞬間に立ち会ううち、いつかは自分もという気持ちはますます強くなっていった。

 ディープインパクトの悲劇を目の当たりにした後は、三冠馬オルフェーヴルを育てあげ、2012、13年と連続して凱旋門賞に挑戦。いずれの年も前哨戦のフォワ賞は優勝したものの、凱旋門賞では2着に惜敗。とくに12年に挑戦した際は、直線、完全に1度抜け出す競馬ぶりで、誰もが日本競馬史上初の戴冠が成されるものと思った。しかし、ゴール前でヨレたオルフェーヴルは伏兵ソレミアの急襲の前に2着に敗れた。ソレミアに騎乗していたのが、池江に“凱旋門賞の重み”を教えてくれたO・ペリエだったのは、なんとも皮肉な結果と思えたものだ。

2012年の凱旋門賞で2着したオルフェーヴル(左)。右は勝ったソレミア。
2012年の凱旋門賞で2着したオルフェーヴル(左)。右は勝ったソレミア。

サトノダイヤモンド、フォワ賞の敗因

 こういった経緯もあり、池江は常に凱旋門賞を視野に入れて、馬を選び、育て、レースを使っている。サトノダイヤモンドに、デビュー戦からフランスの名手クリストフ・ルメールを乗せ、クラシック戦線を走らせたのも、この春、天皇賞の後は無理をさせずフォワ賞まで間を開けたのも、すべて凱旋門賞を意識していたからこそ、の采配だった。

 さて、こうしてフォワ賞に出走したサトノダイヤモンドだが、結果は残念ながら6頭立ての4着に敗れてしまった。池江はレース前、次のように語っていた。

 「もちろん出来ることなら勝って本番に向かいたいけど、今回は休み明けの上、初めてとなるヨーロッパでのレースですから、スクーリング(下見)の意味もあります。装鞍所からパドック、馬場入場までの動線を馬に教えることも重要です」

 さらに当日は日本では経験できないほどの重い馬場となり、勝ち時計は2分35秒台。前年にサトノダイヤモンドが2着した日本ダービーと比べ11秒以上も遅い時計であり、そんな馬場状態が敗因の一つになったことも間違いないだろう。

 ちなみにレース中には左後ろ脚に外傷を負った。傷自体は軽いもので3週間後の凱旋門賞に大きな影響は及ばないようだが「それだけぶつけられる競馬で、精神的にプレッシャーを受けたことが敗因につながった可能性もあります」と池江は分析した。

シャンティイで調教をつまれるサトノダイヤモンドを見つめる池江師。
シャンティイで調教をつまれるサトノダイヤモンドを見つめる池江師。

凱旋門賞での巻き返しを期待!!

 さて、今回の敗戦を受け、机上の計算では日本馬2頭はかなり厳しい立場に立たされたと言わざるをえない。フォワ賞で敗れながらも凱旋門賞で勝利した馬は、近年全く出ておらず、好走できたのも10年のナカヤマフェスタ(フォワ賞2着→凱旋門賞2着)、06年のプライド(同3→2着)と、その前は94年のエルナンド(同4着→2着)まで遡らなければならない。

 とは言え、競馬は何が起こるか分からない。池江の凱旋門賞制覇に懸ける熱い想いが競馬の神様を振り向かせることを願いたい。もしサトノダイヤモンドかサトノノブレスが凱旋門賞を優勝すれば、彼の「ディープインパクトの仔で凱旋門賞を勝ちたい」という想いが成就されることになる。私は、歴史の目撃者になることよりも、そんな喜ばしい場面に是非、立ち会いたいという気持ちを胸に、10月1日、再びシャンティイ競馬場に出向く予定でいる。

   (文中敬称略、撮影=平松さとし)

フォワ賞のパドックでのサトノダイヤモンドと池江師(右)。凱旋門賞の巻き返しを期待
フォワ賞のパドックでのサトノダイヤモンドと池江師(右)。凱旋門賞の巻き返しを期待
ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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