Yahoo!ニュース

コロナでこのままL.A.の映画館が開かないと、世界からハリウッド大作が消えてしまう

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
再オープンしたロンドンの映画館。ハリウッドからの供給が止まると影響を受ける(写真:ロイター/アフロ)

 クリストファー・ノーランの「TENET テネット」が、日本で好調のようだ。「よくわからなかったけど凄かった」「もう一度見る」というような声を、日本にいる知り合いからも、ソーシャルメディアでも、たくさん見かける。

 だが、筆者の住むL.A.の仲間内で、そんな会話はまるで聞かれない。L.A.ではコロナで映画館が閉まったままで、やっていないからである。ノーランは、取材陣に短いフッテージを見せる時ですらIMAXにこだわる人なので、「非常時だから」と批評家には特別にデジタルリンクで見せるということもしなかった。従って、「L.A. TIMES」など地元のメディアは、ロンドンに住む批評家に批評記事を依頼している。ニューヨークも同様で、映画館は再開していない。サンフランシスコもまだだ。

 それでも、アメリカ全体では、現状、7割ほどの映画館がオープンしている。L.A.のすぐ南のオレンジ郡も、最近になって、定員の25%までという条件で、映画館の再開が許された。しかし、L.A.、ニューヨーク、サンフランシスコという大事な市場を諦めた結果、「TENET〜」のアメリカにおけるボックスオフィスは、現在までにわずか4,100万ドルにとどまっている。ライバル映画がない分、通常より息長く劇場にとどまるだろうとは期待されているものの、これでは赤字が確実である。

L.A.の映画館は、いつ開くのか

 映画館が開いていても、話題の新作がなければ、人は行かない。「映画とは映画館で見るもの」という確固たる信条をもつノーランは、アメリカ市場からの収益をある程度妥協してでも、世界ですでにオープンしている劇場を支えたいという思いもあって、公開に踏み切った。しかし、その結果を見て、ほかの作品は、また次々に公開を延期し始めている。同じワーナー・ブラザースの「ワンダーウーマン1984」は10月からクリスマスに伸びたし、ディズニーは「ブラック・ウィドウ」を11月から来年5月に、「ナイル殺人事件」を10月から12月なかばに移動させた。お金のかかっている映画は、世界最大の市場アメリカで最も重要なL.A.とニューヨークを無視して突き進むわけにはいかないのである。

 こうやってまた近々の公開カレンダーが空白になってしまったことで、劇場主は頭を抱えているに違いない。今のところ、次に控えるメジャー作品は、11月20日の「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」と、同じ日に予定されるピクサーのアニメーション「ソウルフル・ワールド」だ。これらがまだ動いていないのは、ここまでにはもしかしたら映画館が開いているかもしれないという思いがあるからである。

 11月20日は今から7週間半後。その時までに劇場がドアを開けられるかどうかは、L.A.郡が、1日の新規感染者数を継続的に減らせるかどうかにかかっている。前回、ビジネス再開を焦りすぎて感染拡大を招いてしまったカリフォルニア州は、同じ間違いを繰り返さないよう、感染状況を紫、赤、オレンジ、黄色の4段階に分け、その段階によって何を開けていいかのルールを設定した。L.A.郡は今、その4段階で一番酷い状況を示す紫。ここにいるかぎり、映画館は許されない。次の段階の赤になれば、映画館は定員の25%、その次のオレンジになれば50%で再開が許される。

 それぞれの郡がどの段階かにあるのを決める基準は、「10万人あたりの1日の新規感染者数(1週間の平均)」と、「陽性率」。L.A.郡は、陽性率ではすでに赤を飛び越してオレンジの基準(2〜4.9%)を満たしてきているが、10万人あたりの1日の新規感染者数が7人を若干上回っていることから、紫から抜け出せないでいる。次の段階に行けるのは、ふたつともの基準を満たし、しかも、最低3週間、その状態をキープした場合だ。数字は毎週火曜日にアップデートされるので、もし10月6日になんとか7人を下回り、そのままキープできれば、10月27日には赤に行ける。しかし、その間1週間でも7人を超えてしまえば、また逆戻りなのである。だから、11月20日は可能とはいえ、かなり微妙でもあるのだ。

 一方、あれほど酷かった感染状況を見事に抑え込んだニューヨークは、最初から徹底して慎重である。ようやく最近、フィットネスジムにはゴーサインが出たし、現地時間30日には、定員の25%までという条件でレストランの店内での食事が許される。だが、映画館に関しては、まだ何も話が出ていない。お隣のニュージャージー州では再開が許されたこともあって、当然のごとく、「自分たちだって安全に経営する準備が整っているのに」という、不満の声が上がっている。

このまま開かなければ、世界中に影響が

 コロナのせいで、劇場主は、1年で最も重要な時期である夏を失った。このままの状態が続けば、もうひとつの大切な時期であるホリデーシーズンも失われてしまう。だが、影響を受けるのは、アメリカ国内の映画館だけではない。L.A.とニューヨークを待つためにハリウッドのスタジオが完成している映画を保留にしたり、あるいは配信直行にしてしまったりすれば、ほかの国の映画館への供給もストップするからだ。「TENET〜」はアメリカより先にヨーロッパなど海外で公開を決行したが、ほかのメジャー作品が追従する気配は、今のところない。つまり、一時的とはいえ、世界中の映画館から、ハリウッドの大作が消えてしまうかもしれないのである。ハリウッドに大きく頼るイギリスなどの劇場主にとって、それは存続の危機を意味する。

 それでも、作り手にしたら、自分の映画を最高の状況で見てほしいものだ。だから、自分で決められるなら、今この状態で出すより、待ちたいのである。ジェラルド・バトラーが主演とプロデューサーを兼任する「Greenland」も、もともと6月12日だった北米公開日が、まず8月14日に、そして9月25日、最近になってさらに10月13日に延期された。今作はインディーズ映画で、世界各国でそれぞれに配給会社が買い付けていることから、ヨーロッパの一部ではすでに公開されたが、「この映画はどうしてもみんな同時に、ビッグスクリーンで見てほしい」ため、アメリカでも全国規模でそれができるまで延期をすると、バトラーはいう。「良い映画は、映画館で見たほうがずっと楽しい。映画館で映画を見るというのは、僕らの文化における、とても大切なもの。良い映画を見終わって劇場を出る時、見知らぬ観客が知り合いのように感じるものだ。たった今、同じ体験をしたのだからね」とも、バトラーは語る。

 たしかに、それこそ映画館の醍醐味だ。「Greenland」のようなディザスター映画はとくに、小さな画面で見るのとは大違いだろう。見た人同士でそれを語り合うのも楽しい。それを再び味わいたいと、映画ファンも思っている。だが、そのためには、L.A.の人々がコロナに打ち勝たなくてはならない。果たしてこの感謝祭シーズン、アメリカ人は、家族揃ってピクサーの新作アニメーションを見に行くことができるだろうか。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

猿渡由紀の最近の記事