Yahoo!ニュース

アメリカの映画館は年内を生き延びられないかもしれない

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
近隣のレストランのアウトドア席に活用されているL.A.の映画館入り口(筆者撮影)

 まだ7月下旬ながら、ハリウッドで、夏はすでに終わってしまった。いや、終わった、というのは違うかもしれない。なぜなら、今年は、訪れもしなかったからだ。

 そしてもしかすると、ハリウッドには、夏と同じくらい大事なホリデーシーズンも来ないかもしれない。コロナが猛威をふるい続け、映画館再開にストップをかける中、スタジオは、大事な作品を来年に動かし始め、公開カレンダーの空白がさらに目立ってきたのである。

 コロナショックがアメリカを襲い、映画館が閉鎖になった3月以来、春夏に控えていた作品は、どれも、延期になるか、配信直行になるかの扱いを受けた。そんな中でずっと7月17日の公開日を守り続けたクリストファー・ノーランの「TENET テネット」は、いつしか業界で「映画館再開を祝う最初のメジャー映画」という位置付けを得るようになる。しかしその「TENET〜」も、収まらぬコロナ禍の中で2度公開日を変更。ついには、新たな公開日を決めないまま、公開カレンダーからはずれてしまった。翌日にはディズニーの「ムーラン」も、同様に新たな日程を決めずに8月下旬の北米公開を取りやめている。その後も、3月から9月上旬に動いていた「クワイエット・プレイス PART II」と、5月から年末に延期されていた「トップガン マーヴェリック」がそれぞれ来年に動き、来年のアカデミー賞での健闘が期待されている「The French Dispatch」も、賞狙いに理想的な10月の公開日から消えた。

 これらはすべて、スタジオが、秋冬になってもアメリカの映画館が開いていないかもしれないと見ていることの表れだ。もちろん、今でも、「キングスマン:ファースト・エージェント」(9月)、「ワンダーウーマン1984」(10月)、「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」(11月)、「ブラック・ウィドウ」(11月)など、秋冬の公開日をキープしているものはある。しかし、あくまで「まだ動いていない」だけで、これらの作品の北米配給担当者は、今この瞬間も頭を悩ませているはずだ。北米で最も重要な市場であるカリフォルニアとニューヨークで映画館再開の目処がまるで立っていない上、フロリダ、アリゾナ、テキサスなど多くの州でコロナ感染者が急増しているのだから、近々、もっと多くの作品が秋冬のカレンダーから消えていくことは、大いにありえる。

年内にメジャーな話題作が複数公開されることが生存の鍵

 そんな中でも、世界最大のシネコンチェーンAMCは、来月なかばには経営を再開すると変わらず言い続けている。映画館が開いていなければスタジオは作品を出さないわけなので、映画館側とすれば、たとえ8月の公開作がほぼ皆無だったとしても、スタジオに「ほら、ごらんのとおり、うちは開いていますよ。なので、映画を寄こしてください」とアピールする必要があるのだ。ただでさえAMCは、ほかの劇場チェーンの買収などで、コロナ前から多額の負債を抱えている。コロナ禍で新たな借金をする時にも、11月下旬の感謝祭までに通常に近い客入りが戻ってきていることを前提にしており、一刻も早く業務再開して、客を呼べる目玉作品を上映しなければならない状況にある。

 しかし、スタジオにしたら、そういった目玉作品は、お金をかけた大切な商品だ。映画館が本当に開くのか、開いたとしてもまたすぐ閉鎖になるのではないか、という状況で出すわけにはいかない。公開する前には宣伝も必要だし、少なくとも1ヶ月くらい前には「もうコロナは大体収まった」という状況になっていることが必須である。そう考えると、今の段階で、最低でも9月なかばまでは無理ということになる。

 一方で、インディーズ映画の多くは、コロナ勃発以来、映画館が開いていたら映画館で、開いていなければVOD(ビデオ・オン・ディマンド)のみでという柔軟な姿勢で作品のリリースを続けてきた。これらの作品は、映画館が再オープンすれば、すぐ戻ってくるだろう。しかし、これらはアートハウス系の通好みの映画で、大手シネコンが求めるような数を動員してくれる作品ではない。大手シネコンチェーンが生き延びるために必要なのは、コロナ対策で定員の半分、あるいはそれ以下になった席を確実に埋めてくれる、幅広い層を惹きつける大作だ。巣ごもりのせいでストリーミングに慣れた人たちをも、「これはビッグスクリーンで見たい」と家から出させる、「TENET〜」のような話題作である。そうやって多くの客が来てくれなければ、ポップコーンやドリンクも売れない。チケットそのものよりも利益率が高いそれらの商品の売り上げは、アメリカの劇場にとって貴重な収入源なのである。

 そういった映画が年内に複数出てこなければ、アメリカの映画館には、生き延びられないところも出てくるかもしれない。年内とは、つまり、あと4ヶ月ちょっと。緊急事態宣言から今までと、ほぼ同じ期間だ。それだけの長さをもちこたえられる体力を、どれほどの劇場がもっているのだろうか。夏という稼ぎ時を丸々逃し、今ですらまともに息ができていないのに、である。

 ストリーミングが台頭してきた近年、映画館で映画を見るという文化の大切さは、あらゆる人が、あらゆる機会に強調してきた。今、その危機はこれまでにない深刻なレベルに高まっている。しかも、今回は、人が映画館に行きたいのかどうか以前の問題だ。行きたいと思っている人も、行けないのである。行きたい人が行ける状況が再びやってきた時、これまでのように多くの映画館が扉を開けて歓迎してくれるのか。そうであることを、心から願う。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

猿渡由紀の最近の記事