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コロナショックとハリウッド:収束後は映画の中でもベタベタが減るのか

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
今月初めの「SNL」の「社会的距離」ジョーク。今や笑い事でない(YouTube)

 6フィート(1.82メートル)。

 この数字は、今、都市封鎖されたアメリカの街に住む全員の頭の中に、常にある。スーパーの前には、その間隔で人が並ぶよう地面に線が引いてあるし、ジョギングやウォーキング、犬の散歩で外に出ても、ほかの人とすれ違う時に、その距離を必ず意識する。テレビをつければ、キャスターたちも、その間隔で座っている。

 だが、チャンネルを変えてドラマを見始めると、そこで展開しているのは、「3週間前の常識」だ。それらの作品の中では、ハグもあればキスもあり、つばが飛ぶような激しい叫びのシーンもある。「やってはいけない」ことだらけで、なぜ映画やテレビの撮影がダメなのかをとくに考えたことがなかった人も、納得がいくはずだ。

 スタジオやプロデューサーが撮影中止を決定した直接の理由は、都市封鎖前の今月12日、L.A.市長エリック・ガーセッティが、50人以上集まるイベントを行わないよう要請したことである。ほとんどの撮影現場には、50人どころではない数のクルーやキャストがいるので、当然、従わなければならない。だが、それ以外の面でも、撮影現場の環境は、その性質上、コロナ対策上タブーだらけだ。サウンドステージは密室空間で、換気も良くない。外ロケであったとしても、大勢のエキストラがいたりするし、その人たちの距離は近い。メイクやヘアの担当者は長い時間をタレントの至近距離で過ごし、スーパーヒーローのスーツを着たり脱いだりするには誰かの手助けがいる。別の場所への移動ではほかの人とゴルフカートをシェアすることも多い。6フィートの「社会的距離」を保ちながら映画やテレビドラマの製作をすることは、不可能なのである。

 つまり、コロナが完全に収束し、感染の危険がなくなるまで、少なくともライブアクション作品の撮影は、再開できないということだ。それがあと2ヶ月先なのか、半年先なのかは、誰にもわからない。しかし、現地時間29日朝、CNNに出演したアンソニー・ファウチ博士は「コロナで10万人から20万人のアメリカ人が死ぬだろう」と語っていた。現時点でのアメリカでの死者数は2,191人なので、まだまだ収束にはほど遠いということである。

 その時が来るまで、人は6フィートを意識して生活し続けるしかない。だが、長く続いた「緊急事態」がついに終わる時、人は、あっさりと元のところへ戻るのだろうか。それとも、9/11以来、空港のセキュリティが永遠に変わったように、一時的だと思われた常識は、新しい常識として残るのだろうか。その時、ハリウッドの作品は、どう見えるのか。

「コロナ前じゃあるまいし」と感じられては困る

 ニュースキャスター同士の距離に関しては、視聴者は今の距離を見慣れてしまっているだろうし、あえて前のように戻さなくてもいいかもしれない。それが新たなスタンダードとなり、スタジオに呼ばれたゲストもまた、それくらい離れた位置に座らせられるのではないか(現在、キャスターはゲストにヴァーチャルでインタビューしている)。

 映画やドラマの撮影現場では、セキュリティチェックのような感じで、健康状態チェックがなされるようになるのかもしれない。安全だとわかった人だけが現場に入れるという体制だ。だが、それをクリアした後の、「健康な」俳優同士も、たとえ映画の中であっても、以前のように過剰にはベタベタしなくなるのではないだろうか。映画やテレビはその時代の反映であり、見る人たちにとってのリアルが、作品のリアルになるからだ。かつて男の美学の象徴だったジェームズ・ボンドが「#MeToo」以降「あれはセクハラだ」と言われるようになったように(コロナで公開が延期された最新作『ノー・タイム・トゥ・ダイ』では、ちゃんとそこに触れられているようだ)、同じ状況でも、時代が変われば人の感じ方も変わる。初対面で握手をすることにまだ抵抗がある人が多いなら、映画の中でもやらないほうが無難だ。「コロナ前じゃあるまいし」と言われるようなシーンは、撮りたくない。

 どんなプロジェクトにゴーサインが出るのかにも、影響は出てくると思われる。9/11やボストンマラソン爆弾テロ事件についての映画が複数できたように、きっと何年か後には、このパンデミックを振り返る映画が作られることだろう。それを待つまでもなく、テレビドラマが早々とやるかもしれない。だが、この悲劇をようやく乗り越えた直後、人はあえてそこに立ち戻りたいとは思わない可能性もある。となると、コメディや、エスケープさせてくれるファンタジーものなどが、まずは積極的に作られるのかもしれない。

 それらが完成した時は、どうなのだろう。レポーター同士が文字通り肩を寄せ合って並び、タレントの目の前にマイクを差し出すレッドカーペットは、果たして行われるのだろうか。アワードシーズンにあちこちで開かれるカクテルパーティでは、狭い会場でこれまでのようにスターが招待客の間を回って間近でおしゃべりをするのか。オスカー授賞式では、定員の3,332人までぎっしり入れるのか。その倍以上の7,100人を収容できるマイクロソフト・シアターでのエミー授賞式はどうか。

 コロナは、人類を真っ暗闇の中に突き落としている。想像力豊かな人が集まるハリウッドでも、こんな状況は、誰も予測していなかった。今、我々が第一に望むのは、このストーリーの結末が、明るいものであってくれること。そして、乗り越えた人たちが築いていく新たな「日常」が、楽しく、何よりも安全なものであることである。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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