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事故死したアントン・イェルチンは不治の病と闘っていた。ドキュメンタリーが明かしたいくつかのこと

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
涙ながらに息子を思い出すイリーナ&ヴィクター・イェルチン夫妻(筆者撮影)

 アントン・イェルチンが事故で突然この世を去ったのは、今から3年半近く前のこと。27歳という若さながら、60本以上もの映画やテレビに出演してきた彼は、その演技力と、スクリーンからも伝わってくる人柄の良さで、世界中の映画ファンに愛されてきた。しかし、彼には、私たちの知らない別の才能や、想像した以上の優しい心、そして、強さがあったのである。彼のそんな側面を見せてくれるのが、「Love, Antosha」(監督:ギャレット・プライス)だ。

 今年1月のサンダンス映画祭で初上映された今作は、アントンの手紙、日記、両親あるいは本人が撮影したビデオ映像、過去の出演作のフッテージなどでつづるドキュメンタリー映画。ジェニファー・ローレンス、クリス・パイン、J・J・エイブラムス、ジョディ・フォスター、ウィレム・デフォー、クリステン・スチュワートなど、彼をよく知るセレブの数々も登場する。8月にはアメリカで限定公開もされたのだが、アワードシーズンが始まった今、特別上映会がハリウッドで行われ、監督、プロデューサー、アントンの両親らが、アントンについての思い出を語った。

 映画のはじめのほうで明かされる最初の驚きは、アントンが、根本的な治療法のない、嚢胞性線維症(CF)という致命的な難病を抱えていたことだ。遺伝子の変異によって起きる病気で、日本では60万人にひとりほどの確率で起きる稀な病気だという。幼少時にその診断を受けて以来、彼は、ずっと呼吸法のエクササイズなどをしながら、その病気とつきあってきたのだった。

 この映画でその事実を明らかにしたことについて、父ヴィクター・イェルチンは、「本人の思いを引き継いでやったこと」と語る。「アントンは、自分がCFを抱えることを公表しようと思っていたんです。この病気を持つ人たちのコミュニティに、もっとかかわっていきたいと思っていたようでした」。母イリーナも、「この病気を持っていても生き続けることは可能なんだということを、彼は人々に見せてあげたかったんですよ」と付け加えた。

 そんなふたりに対するアントンのすばらしい親孝行ぶりも、感動させられる部分だ。そもそも、タイトルは、アントンが両親に手紙やメールを書く時の締めの言葉から来ているのである。

 母の日に送ったカードや、誕生日のメッセージはもちろんのこと、大人になってからも、アントンは、実にたくさんの手紙やメールを、まめに両親に向けて書いた。そのどれも、本当に、愛情と感謝、そして誠意に満ちたものである。映画の宣伝で来日した時にも、「僕が幸せになれるよう、ソ連から言葉もわからないアメリカに移住してきた時は、きっとこんな感じだったのかなと思った」と、彼は両親にお礼の気持ちを伝えるメールを入れていた。子供の頃に母に贈ったカードのひとつには、「あなたは世界一。最も興味深く、最も頭が良くて、最も美しい女性。そして最高の夫がいる」と書いている。映画の中で、それらの手紙のナレーションは、アントンが尊敬していたというニコラス・ケイジが務めている。

監督デビューが決まり、制作資金も集まっていた

 ロケで遠くに行っていない時は、大人になってからも、ディナー時には実家を訪れて両親と食事をするようにしていた。それだけに、この映画に出てくるもうひとつの事実である、アントンが趣味で撮っていた写真の内容については、両親もまったく知らなかったという。アントンは、ダークな世界をとらえるべく、夜遅くにL.A.のアンダーグラウンド的なところに足を運んでは、作品を制作していたのだ。チャーミングな彼がそのような作品を撮ることには、「スター・トレック」で共演したパインも相当に衝撃を受けたと語っている。ただし、彼の写真作品は幅広かったようで、全部が過激なわけではなく、それらの一部は、この試写会場に展示されていた。

アントンが制作した写真作品の一部は、試写会場に展示されていた(筆者撮影)
アントンが制作した写真作品の一部は、試写会場に展示されていた(筆者撮影)

 そしてアントンは、音楽活動にも熱心だった。自宅で自分の車と門に挟まれて亡くなった時も、彼は、バンド仲間とのリハーサルに向かおうとしていたのである。この映画に出てくる、幼い頃に彼がギターを弾くようになったビデオは両親が提供したものだが、彼が舞台で演奏する映像は、両親もこの映画ができるまで見たことがなかったものだ。

 今作にはまた、アントンの監督デビュー作となるはずだった映画の脚本の表紙も登場する。タイトルは、「Travis」。アントンが昔から愛し続けてきた「タクシードライバー」の主人公の名に由来するものだ。アントンが亡くなった時には、制作資金も集まり、実現に向けて走り始めていた。

 だが、アントンが作りたかったその映画をなんらかの形で完成させたいと思うかと聞かれると、ヴィクターはきっぱり「いいえ、これは永遠に棚上げです」と答える。イリーナも、「脚本は60ページ程度。それ以外は全部、アントンの頭の中にあったもの。彼はメモ書きもたっぷり残しているけれども、アントン以外は判読できません。あれは、アントンのもの。アントンだけのものなんです」と強調した。

 彼らだってもちろん、これがどんな映画になったのか、知りたくてたまらないだろう。だが、それは、本人に聞くしかない。そして、その日はいずれ来ると、彼らにはわかっている。時に涙を流しながら、彼らはその再会への思いをめぐらせるという。

「1日生きるごとに、また1日アントンに近づいたねと、私たちは毎日言い合いながら、なんとか生きていこうとしているんですよ」。

アントン・イェルチン:1989年、ソ連、レニングラード(現サンクトペテルブルグ)生まれ。両親はフィギュアスケート選手。生まれてまもなくアメリカに移住。子役としてコマーシャルなどに出演し、2001年の「アトランティスのこころ」で注目されるようになる。代表作に「最高のともだち」「アルファ・ドッグ 破滅へのカウントダウン」「スター・トレック」「ターミネーター4」「フライトナイト/恐怖の夜」など。2016年6月19日夜、出かけようとエンジンをかけ、ギアをニュートラルに入れて車を離れたところ、傾斜を下ってきた車と門の間に挟まれて亡くなった。その車は2015年のジープ・グランドチェロキー・ラレードで、リコール対象車だった。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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