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アカデミー新会員の顔ぶれに、ハリウッドは賛否両論

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
先月北米公開された「ワンダーウーマン」で大ブレイクしたガル・ガドット(写真:ロイター/アフロ)

「正しい方向 」か、「撃たれた傷に絆創膏を貼っているだけ」か。多様化を推し進めるアカデミーが、774人という、通常の倍以上の新会員の名前を発表して以来、業界内ではさまざまな意見が飛び交っている。

高齢の白人男性が圧倒的に多い会員構成図を変えるべく、昨年もアカデミーは、意図的に女性、マイノリティ、外国人、若者を多く含む683人を招待した。今年はさらに人数を増やした結果、その中にキャリアがそれほどない人や、主にテレビで知られる人が前回以上に混じっていたことが、論議を巻き起こしているのだ。

賞賛派の代表は、「L.A.TIMES」紙の映画批評家ジャスティン・チャン。「L.A.TIMES」が、「白すぎるオスカー」批判を先頭に立って盛り上げてきたことを考えれば、当然だろう 。

そもそも、2012年に、アカデミー会員の9割以上が白人、7割以上が男性、平均年齢62歳という実情をすっぱ抜いたのも、「L.A.TIMES」なのだ。昨年は、その683人が発表される前に、アカデミーが新会員として検討すべき映画人として、女性、マイノリティ、若者、外国人を中心に100人を挙げる特集記事も組んでもいる(L.A.TIMES紙の「アカデミーが考慮すべき100人」に北野武、菊地凛子、種田陽平)。明らかに、アカデミーにプレッシャーをかける目的だ。

紙版のほうで、チャンの記事の見出しは、「真の世界レベルに」。オンライン版の同じ記事の見出しは、「過去最高の新会員を入れたが、基準は下げていない。むしろ上げたのだ」と、さらに直球だ(http://www.latimes.com/entertainment/movies/la-et-mn-academy-class-international-20170628-story.html)。記事の中で、チャンは、「会員の顔ぶれが幅広くなったことでオスカーの結果が変わるのかどうか、正確に知ることはできないだろう。その必要はないのだ。誰がオスカーを取るのかではなく、世界のトップの才能を反映した会員の顔ぶれ自体が、尊敬を集めるべきなのである」と述べている。 さらに、「この人の名前を見て心が躍った」と、具体名を何人かを挙げ(三池崇史の名前も入っている)、過去のアカデミーは「想像力に欠け、映画が世界のものであるという現実を見ようとしていなかった」と指摘。「『エル ELLE』より前からイザベル・ユペールを知っている人が多い今のアカデミーならば、イザベル・ユペールがオスカーを取れる可能性はもっと高かったのではないか」とも書いた。

業界サイト「The Hollywood Reporter」は、意見の異なるふたりの記事を別々に掲載している。

先に出て、より大きな反響を呼んだのは、同サイトのアワード・コラムニストであるスコット・ファインバーグの記事(Oscars: Academy's Invitation List Is Well-Intentioned, But Misguided)。冒頭から「この記事を書くのは楽しくない。だが、一部の読者から嫌われてでも、賞の裏側の話を書くのは、私の仕事だ」という文で始まるだけあって、恐れることなく正直に書いている。

ファインバーグは、このアカデミーの行動は、 基準を下げ、団体の信憑性と賞の価値を下げるものだと断言。「個人名を挙げるのは気が進まないが、挙げられた本人たちも、自分たちが映画アカデミーに入れてもらえるだけの仕事を映画業界でこなしてきていないと認めるだろう」とし、ゾーイ・クラヴェッツ、ワンダ・スカイズ、テリー・クルーズ、ガル・ガドット、レスリー・ジョーンズ、ケイト・マッキノンらの名前を挙げた。監督や脚本、編集などの部門でも、たいして作品数がない人が混じっていることを具体的に出し、「この人たちは実力のおかげで招待されたのか、それとも統計のために入れてもらえたのか」と疑問を投げかけている。「この人たちを侮辱する気はない。実際、この人たちは将来活躍するのかもしれない。私が言いたいのは、アカデミーの意図するところは尊敬するものの、やり方がばかげているということである」というファインバーグは、アカデミーの努力を、 「撃たれた傷にバンドエイドを貼っているようなもの」とまで言い切った。それを裏付けるべく、2年かけて大量の女性とマイノリティを入れても、女性がアカデミーに占める割合は25%から27%に、マイノリティは11%から13%に増えたにすぎないという事実を出してもいる。ならばいっそ、オスカーは、業界内の各組合(俳優組合、監督組合、脚本家組合など)の会員全員に投票してもらうことにすればいいのではないかというのが、彼の大胆な提案だ。

一方で、スティーブン・ギャロウェイのコラムは好意的である(Why the Academy Got It Right This Year With Its Invites)。ギャロウェイは、これを、タイとジャケットを必要としていた会員制クラブが服装のルールを緩めるのに比較。「この774人を招待することで、白人男性ばかりという構図を変えるだけでなく、アカデミーは時流に合った、革新的な団体であるというイメージを与えようとしているのだ」と分析する。「基準が下がる」という声が出ていることについては、「目的は、実際に仕事をしている人たちを入れて、していない人たちに出てもらうことなのだ」と弁護した(アカデミーは、昨年、数年にわたり何も映画に関わっていない会員からオスカーの投票権を取り上げるという新しいルールを導入した)。ファインバーグ同様、クラヴェッツ、ガドットなどの名前を出しつつ、 「特定の人に疑問を持つか?もちろんだ」とも言うが、「これは方向として間違っているか?いや、間違っていない」と続ける。さらに、「この人たちを入れることで、アカデミーは、自分たちが今や変わるか、死ぬかの瀬戸際にあることを見せつけたのである」とも述べた。

問題の原因はそこではないという部分で、意見は一致

2015年と2016年のオスカーで、演技部門の候補者20人が全員白人だったせいで「白すぎるオスカー」論議が巻き起こった時から、本当の原因がほかにあることは、何度となく指摘されてきた。オスカーは、すでに作られて公開された映画の中から選ぶものである。スタジオのトップやプロデューサーが白人男性だらけで、自分たちが共感する映画にゴーサインを出している以上、選択肢は、白人が出る、白人の話であり続けるだろう。

その点については、ファインバーグもギャロウェイも触れている。

ファインバーグは、「オスカーは最後の段階。もっと早い段階に注目すべきなのだ。エージェントやマネージャーは、女性やマイノリティのキャリアを育てることにもっと努力すべき。スタジオは彼らをもっと雇うべきだし、海外の配給会社も、こういう人が出ている映画は当たらないという偏見を捨てるべきだ」と書く。ギャロウェイも、「問題は、どの映画にゴーサインを出すかの段階にある。スタジオのトップは自分と似た人に囲まれていて、自分たちの経験からほど遠い映画を拒否する傾向にあるのだ」と言う。だが、 彼は、「だからと言ってアカデミーが何もしなくていいわけではない。アカデミーには影響力があるのだから。映画業界はアカデミーに影響を与えるが、アカデミーも業界に影響を与えるのだ」と、アカデミーの努力が無駄ではないと主張している。

自ら業界のお手本となるというのは、まさにアカデミー自身が宣言していること。もちろん、みんながそれに追従するかどうかは別問題だ。それでも、そういう会話が出ることで、いやでも意識は高まるのではないか。

この2年に、アカデミー会員に占める女性の割合は、2%しか増えていないかもしれない。だが、この一連の大騒ぎが与えた影響は、数字に表せないものがあるかもしれない。将来、このアカデミーの決断が成功と呼ばれるのか、失敗と呼ばれるのは、その時にならないと、わからないのだ。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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