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ブラッド・ピット、離婚騒動後初めて心境を語る

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
離婚を言い渡された直後はひとりでいるのが辛く、友人宅に泊めてもらったというピット(写真:Shutterstock/アフロ)

昨年9月、アンジェリーナ・ジョリーに突然の離婚申請をされて以来、ブラッド・ピットは公の場をできるだけ避けてきた。11月に北米公開された「マリアンヌ」では、L.A.プレミアにこそ現れたものの、テレビのトーク番組出演など、通常なら行うはずの宣伝活動は、いっさい行っていない。彼がプロデュースした「ムーンライト」が複数部門でノミネートされていたにも関わらず、オスカー授賞式にも出席しなかった。

そんな彼が、米「GQ」誌に対し、ついに心境を語った。今月26日に、彼が主演とプロデューサーを兼任するNetflixオリジナル映画「War Machine」が配信されるのを受けて組まれた取材のようだ。

ジョリーとの離婚騒動においては、子育ての姿勢の違いが大きな問題だったとされている。ジョリーがいつも優しい態度で子供に接するのに対し、ピットは厳しい父親で、時には声を荒げることもあったとのことだ。離婚申請直前、自家用機内で、飲酒をしていたピットとジョリーが言い争いになり 、止めに入った長男マードックス君が巻き込まれたことから、ピットと子供たちはL.A.群家庭児童福祉機関から捜査を受け、ピットはその後しばらくアルコール検査を受けることになっている。

このインタビューで、ピットは、今ではすっかり酒をやめたことや、親権および面会交流については冷静に話し合いをしていることを明かした。自身も強い父親に育てられ、それが当たり前だと思っていたが、今は自分の足りなかった部分に気づいたとも語っている。

記事の全文は米GQのサイトで読めるが(http://www.gq.com/story/brad-pitt-gq-style-cover-story?mbid=social_twitter)、ここでは、主な発言を紹介する。

ジョリーに離婚申請された後、どのように毎日を過ごしてきたのか:

最初、自宅にひとりでいるのはあまりにも悲しくて、サンタモニカの友人宅に泊まっていた。1ヶ月半ほどだ。それに、彫刻家の友人トーマス・ハウシーゴのスタジオでも、創作活動をしたよ。10年くらい前からやってみたいと思ってはいたんだ。土、鉄筋、木、いろんな素材を使っている。それらの素材について学ぼうとしているのさ。とても孤独な仕事で、多くの手作業が要求されるのが、今の僕にはぴったりなんだよね。昨日、僕は心が落ち着かなかった。自分たちが置かれた状況について考えては、頭を混乱させていた。そうしたら、作るものも、バランスが悪い、完成度の低いものになったんだよ。めちゃめちゃなものにね。僕が必要とする表現のはけ口は、言葉ではなく、これにあるんだと思った。

酒をやめたこと:

人生で何度か、自分がつくづく嫌になったことがある。今回のは、大きかった。大きな変化というのは、そういう時に起こる。僕は、感謝しているよ。大学を出てからというもの、酒や、タバコや、ほかの何かをやらなかった日は、1日もなかった。僕は、感じることを逃げていたんだよ。子供を持った時、酒以外のものは全部やめた。でも、去年だって、僕は酒を飲みすぎていた。それが問題になった。(酒をやめて)半年になる。僕はまた、感情を、ちゃんと感じられるようになっている。僕らはワイナリーを持っているし、僕はワインが大好きだ。だけど、ちょっとそこから遠ざからないといけない。(今、よく飲むのは)クランベリージュースにスパークリングウォーターを混ぜたもの。僕の尿は、今、L.A.で一番健全だよ。保証する!

マスコミの騒ぎをどう受け止めたか:

本当に正しいことなんて、ほとんど書かれていない。僕はなるべく避けるようにしている。気にしないようにするだけ。僕が長年対処してきたことだよ。僕自身の意図することと、僕の仕事が、本当の僕を語ってくれることを願っている。それでも、公に騒がれるのは辛いことではあるよ。とくに、子供たちを思うとね。彼らの友達がどんなことを耳に挟むのか。(ゴシップは)気遣いを持って書かれるものではない。売るために書かれる。それを思うと、胸が痛む。

父親としての自分を振り返って:

死の床にある人は、自分が手に入れた物や、与えられた賞について語ったりしない。愛する人々や、後悔について語る。仕事にかまけてしまった僕が言うんだよ。子供達は敏感だ。なんでも吸収する。僕らは、子供たちの手を取って、しっかりと説明してあげないといけない。子供たちの声に耳を傾けないといけない。仕事が忙しくなると、僕は、ちゃんと聞いてあげなくなった。そこを治したいと思っている。僕は、かすり傷やあざはたくましさの証拠と考えるような環境で育ったんだ。そんなことは会話にもしない。それと同じことを、感情についてもやってしまう。僕はつい、自分が本当に感じていることを隠してしまう。きっちり向かい合うのが苦手なんだ。僕は、「父親はなんでも知っているんだ」という、軍隊的な考えのもとで育っているんだよ。僕にとって父は強い存在。彼の心の中で疑問や葛藤があるなんて、思いもしなかった。離婚で、僕はその事実を強く思い知らされたのさ。自分も、そういう部分を子供たちに見せないといけないんだと。

親権、面会交流についての話し合いは進んでいるのか:

僕らは、これをきちんと解決しようと協力し合っている。どちらもベストを尽くしている。ある弁護士が、「裁判ではどちらも勝たない。どっちがより傷つくかだけだ」と言うのを聞いたことがある。それは正しいように思える。自分が正しく、相手が間違っていると、1年もかけて証明するなんて、嫌悪を高める行為だ。幸い、彼女も僕に同意してくれている。突然にして家族が崩壊してしまったのは、子供たちにとって、本当に苦しいこと。彼らに話してあげなければいけないことは、たくさんある。将来のこと。今のこと。どうして今のような状況になってしまったのかということ。そのためには、子供たちにこれまで話してこなかった過去のことにも、たくさん触れなければいけない。このことを通じて、みんなが以前よりも強くなれることが、僕らの目標なんだ。

このインタビューで、ピットは、ジョリーの監督作「First They Killed My Father」について、「見るべきだよ」と語っている。一方で、自分の俳優としてのキャリアについては、「もはや自分の人生でとても小さな部分」と、あまり情熱を感じていないことを示唆した。「俳優には年齢という賞味期限があるから、将来は、もっと違うことをやりたい」というのは、ピットが何年も前から言ってきたこと。「違うこと」には、彼が昔から強い関心を持っている建築や、映画のプロデュースなどが含まれる。実際、「War Machine」の後、抱えている映画のプロジェクトはプロデュース作品ばかりで、俳優として出演もするのは、実現が延期に延期を重ねている「ワールド・ウォーZ」の続編くらいだ。

俳優を目指すため、卒業を目の前にしながら親に嘘までついて大学を中退し、L.A.に出てきたピットが「テルマ&ルイーズ」でブレイクして、26年が経つ。人生の半分を映画スターとして過ごしてきたピットは、今、大きな転機を迎えているのかもしれない。彼をスクリーンで見ることがこれから減っていくにしても、優れたプロデューサーであり、アーティストでもある彼は、違う形で文化に影響を与え続けていくはずだ。大人になった時、彼の6人の子供たちは、きっと父を誇りに思うのではないだろうか。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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