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ワグネルは今後どうなるのか。5つの質問:存続できるのか、アフリカは、プリゴジン氏の代わりは、反乱は。

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家
8月25日モスクワでプリゴジン氏の飛行機事故死を受けて設置された仮の記念碑に献花(写真:ロイター/アフロ)

プリゴジン氏が死亡して、ワグネルは今後どうなるのだろうか。

フランスの『ル・モンド』のモスクワ特派員のブノワ・ヴィトキン氏は、事故の第一報から24時間のうちに、読者の質問に答え、1本の記事を書いている。

とてもわかりやすい内容なので、ここに再構成して紹介したい。

1,直球で、ワグネルはどうなるのか

ヴィトキン特派員が読者に何度も似たような質問をされ、繰り返し答えていたのは、「ワグネルはもう存在しない」ということだ。それは、プリゴジン氏に取って代わることのできる人物はいないし、ワグネルというモデルが消滅した、という意味だという。

以下、解説である。

確かにロシアには、他の民兵組織・民間軍事会社も存在する。

でも、ワグネルと比較することなどは出来ない。ほとんどは大企業、多くの場合は地域と結びついた部隊にすぎない。

これらの部隊は、権力の中心地(ほとんどの場合は地方)が、一定数の戦闘員を募集して装備をするように命令を受けたために結成されるものだ。したがって、このような部隊には、行動の自律性がまったくない。

「ワグネル」は依然として非常に強力な「ブランド」であり、必ずしも消えるわけではなく、何千人もの戦闘員が今でもこの紋章を認識している。しかし、近年存在していた民兵組織は、反乱とともに存在しなくなったのだ。リーダーの死によって一層そうなった。

重火器は直ちに軍に引き渡され、その後一部がロシア国家親衛隊に移管された。 これはプーチン大統領の元ボディガード、ヴィクトル・ゾロトフが主導しており、そのメッセージは非常に明確だ。

ワグネル戦闘部隊はもう存在しない。クレムリンは兵士たちに3つの選択肢を与えていた。動員を解除して帰国する、軍隊に入る、ベラルーシに亡命する。

異端者に、これほど多くの戦略的資産を自律的に管理させることはもうない。この意味において、ワグネルも新たなプリゴジン氏も存在することができない。

新たな混乱が起こらない限り、政府は今後いかなる民兵組織にも、同様の自治権を許可しないだろう。

2,アフリカはどうなるのか

暗殺の数日前にプリゴジン氏が本当にアフリカのマリにいてビデオを公開したならば、それは偶然ではない。

彼は、不可欠とまでは言えないにしても、この大陸におけるワグネル事業の遂行において、自分が依然として有用であることを証明したかったのだ。自分のビジネスのアフリカの部分を、最後まで維持しようと努めたのだ。

『ワシントン・ポスト』によれば、それがこの(おそらく)暗殺を引き起こした可能性すらあるという。

アフリカの「事業」は、解体が最も複雑な領域である。再編成は、それが最も重要な基盤であるにもかかわらず、簡単ではないだろう。まさにワグネル以外の活動主体者は、ほとんどいないのだ。

武装した傭兵の派遣、鉱山資源の開発、政治家やジャーナリストなどとのコミュニケーション活動など、プリゴジン氏の部下の「ノウハウ」と経験を置き換えるのが、最も困難である。

プリゴジン氏は「乱」の後、他のすべての活動をコントロールできなくなった。もちろん民兵軍隊も。アフリカだけが残っていたのだ。

中央アフリカ共和国やスーダン、マリ等で、ワグネルの活動を(この名前を維持するために)監督することは、よりデリケートな問題である。

ヴィトキン特派員は読者の質問に対し「おそらく、私よりも詳しい人たちがすでにいくつかの手がかりを見つけているかもしれませんが、私としては、この再編成がどのような形になるかわかりません」と述べている。

3,その他の事業はどうなるのか

プリゴジン氏は、他にもたくさんの事業をもっていた。

ソ連の刑務所で9年間過ごしたあと、ケータリング事業に乗り出し、特に軍への食事供給などの公的契約で数十億ドルを稼いでいた。

また、プリゴジン氏とワグネルはさまざまな企業の庇護のもとで、軍団規模のメディア、ロシア国内外で活動する政治コンサルタント、そして「トロール工場」を支配していた。

「トロール工場」とは、ロシアの権力を称賛し、その敵を貶め信用を傷つけるコメント(釣り、ネタ、荒らし、煽り等)でネットを氾濫させるために、お金を払って投稿者を雇う「事業」である。

この「工場」経営は複雑ではない。給料を支払い、毎朝信用を傷つけるべき敵対者の名前を掲示板に貼る。

2009年に開始されたこの活動は、何年もの間、プーチン大統領を先頭とする権力者の願望を先取りし、革新的なツールを彼らに提供してきた。これに成功したのは、プリゴジン氏の政治的才能を示すものだ。

過去 2ヶ月間で多くの動きがあり、ほぼすべてが清算された。彼のメディアの一部は閉鎖されたり、忠実な人物に乗っ取られたり、完全に解散したところもあった。

これは間違いなく有効性を犠牲にして行われているが、クレムリンにとってそれは優先事項ではなかった。

4,残されたワグネル兵士の反乱は起こりうるか

どんなことでも想像可能だし、ワグネル兵士は信じられないほどリーダーに献身的だった。 彼はとてもカリスマ性のある人で、シンプルな人たちと話す方法を知っていた。

しかし、反乱の可能性は低そうである。

現在、ベラルーシに多くの装備を持たない数千人の亡命者がいるが、ワグネル武装グループは形成されていない。個々の武器に関してはわからないが、重武器は返還された。

残りの人々、つまり帰国した人や正規軍に入隊した人たちは注意深く監視されている。 そして、彼らは(ほとんど)合理的な人々である。新たな策定は、「最も賢い態度は、目立たないようにすることである」と、彼らが忘れないようにするためのものだ。

5,この事件全体で、勝者は誰であるか

反乱後の数週間は、一種の引き分けに終わった可能性がある。

プリゴジン氏、あるいは少なくともワグネルは、軍隊に統合されるべきであり、もう役に立たなくなったという軍の最後通牒によって、運命が決まっているように見えた。

まず、プリゴジン氏が標的になったのだろう。「モスクワ行進」という賭けで、彼は少なくとも自分の身を守ることができた。

次に、プーチン大統領は弱体化した。危機がこれほど(反乱にまで)拡大したのは主に大統領が何もしない結果だった。

その後の大統領の言動は物議をかもした。彼は裏切り者を罰すると約束したが、その後引き下がったのだ。

いずれにせよ、2ヶ月の猶予のおかげで、ロシア当局は実業家が築き上げた帝国を、計画的に解体していくことが可能になった。プリゴジン氏に近く、反乱の準備を知っていたとされる航空宇宙軍司令官スロビキン将軍の解任の確認を得るまでにも、2ヶ月かかった。

今日、プーチン大統領が自らの権威を強化しているのは明らかだ。彼が伝えるメッセージは明確であり、十分に理解されるだろう。序列を守っての沈黙だ。

過激で超国家主義的な一派において、リーダーシップを主張できるもう一人の人物イーゴリ・ストレルコフも、数週間前に投獄された。

しかしながら、私たちは物事を少し違った見方、あるいは長期的な見方で見ることもできるだろう。

国家は再び弱体化し、その機関は再び信用を失う(正義を行うためにロシアの空で民間機が爆破された・・・)。

長期的に見て、プリゴジン氏が非難した問題は消えることはない。プーチン大統領の行動が十分ではないと判断している過激派の大勢が消えることもない。

そして、ロシアはこれからどうなるのか

以上、いかがだっただろうか。

これからロシアはどうなっていくのだろうか。

ヴィトキン特派員の分析を読んでいて、今年の1月、新総司令官が、スロビキン将軍からゲラシモフ参謀総長に移ったときのことを、しきりに思い出した。

◎参考記事:ロシアの新総司令官ゲラシモフはどんな人物か。なぜスロビキンと交代したのか。6つの理由

多くの識者が、プーチン大統領はレフェリー役になることで権力を保っているのだと解説していた。

クレムリンの主人は、自分の宮廷で、ある派閥が優位に立ちすぎるのを好まない。

だから、協力者同士を戦わせ、彼らが互いに議論するのに忙しくさせ、ロシア大統領がレフェリーの役割を果たせるようにするというのだ。

それならば今回の事件は、プーチン氏はレフェリー役をやめて、ワグネルを完全に切り捨てて、完全に国防省側に立ったということになるのだろうか。

しかし、それほど単純な話でもないようだ。

プリゴジンの乱から今回の墜落に至るまでの間、さっぱり訳のわからない事態が報告されていた。以下は、『ル・モンド』の別のモスクワ特派員ニコラ・ルイソー 氏の7月中旬の報告をもとにしている。

プリゴジン氏死亡の前は、ショイグ国防相の指示のもと、ワグネル反乱を支援した罪に問われている将校に対して、粛清が行われていると言われていた。これはわかりやすい(「粛清」などという恐ろしい言葉を簡単に書きたくないのだが)。

しかし、一番謎だったのは、クレムリンがゲラシモフ総司令官・参謀総長を、ウクライナの作戦責任者から解任したという話だ。100万人以上のフォロワーをもつ軍事ブロガー「Rybar」の情報だという。

Rybarは、過激派というわけではない、内外に大きな発信力をもつ大変著名なブロガーで、政権の厳しい監視下にあると言われている。その彼がこの情報を発したというのは、何か意味がありそうだ。

後任は、空挺部隊を担当する彼の副官であるミハイル・テプリンスキーが提示されたと、名前まで出ている。

これは、片方を切るのではなく、両方を切るという意味だろうか。喧嘩両成敗といえば聞こえはいいが、どちらかが大きな力を持たないようにするために、自分の力を誇示するために、力を削ぐ。

ゲラシモフ氏はどうも残留しているようだが、確かではない状況のために、粛清の噂が煽られているとのことだった。

もう一つの不可解な事件として、ポポフ少将の件があるという。

ザポリージャ方面で有力部隊を任されている有能な軍人というが、停職処分を受けた。

本人は、7月13日に公開された音声メッセージの中で、ウクライナ戦線での多大な人的損失と先進装備の不足について、最高司令部に「厳しく」警告したためだと主張している。ゲラシモフ氏の指示によるものだと言われている。

◎参考記事(BBCニュース・ジャパン):ロシア軍将官、前線の実態訴え解任か 別の将官は攻撃で死亡との情報

確かなことは、(相も変わらず)混乱をしているということ。国防省と軍隊の中はワグネル派を排除すれば良いのだという、単純な状況ではないということだ。

複数の国家主義ブロガーは、ゲラシモフ総司令官は攻撃を実行する能力がないと、例によってプリゴジン氏と同様に批判し続けていた。

結局最大の問題は、ワグネルが勝ち取ったバフムート以外は、目立った成果がロシア軍にないことなのだろう。

一体、なぜ勝てないのだろう。兵士にやる気がないのは確かだろうが、それほどソ連をひきずっているのだろうか。

軍の中のワグネル支持者を排除したところで、有能な指揮官が減るだけかもしれず、戦場で勝てるわけではない。不満をもつ人々が消えてなくなるわけではないのは、ヴィトキン特派員が言ったとおりである。

「粛清」などという恐ろしい空気の中で、人々の不満はどうすればいいのだろうか。ネット発信による発散さえも出来なくなれば、いつか溜まって爆発するのだろうか。どのように?

権力は一層独裁者のもとに集中し、部下の構造は両翼型ではなく垂直型になり、片方のせいにして片方の機嫌をとりながら、左右バランスを取りつつ飛行することが出来なくなってしまった。

今後は、よくある独裁者の手段として、垂直直下で全てを部下のせいにする、つまりゲラシモフ総司令官のせいにする手段が残っているのだろうか。

そんな中、ヴィクトル・ゾロトフという人物が、これまで以上に権力の座を強化しているという。最大40万人を擁する国家親衛隊の長である。2016年に大統領直属として誕生した機関である。

赤いベレーがゾロトフ氏。69歳。6月27日クレムリンの大聖堂広場で、最近の反乱で秩序を守った軍隊に敬意を表するプーチン大統領の演説を待つ。
赤いベレーがゾロトフ氏。69歳。6月27日クレムリンの大聖堂広場で、最近の反乱で秩序を守った軍隊に敬意を表するプーチン大統領の演説を待つ。写真:代表撮影/ロイター/アフロ

プーチン大統領の元ボディガードであるゾロトフ氏。ワグネルの反乱中、プーチン大統領自身が、彼の軍隊は「素晴らしい働きをした」と認めた。報酬として、国家親衛隊はワグネルの重火器を回収することができた。

プーチン氏とボクシングや柔道で競い合うゾロトフ氏は、これまで以上に自分をクレムリンと国家統一の救世主だと考えているという。

今後、大統領は、国家親衛隊と国防省を競わせてレフェリーになるつもりなのだろうか。それとも、親衛隊に肩入れしてゆくのだろうか。

9月からロシアでは高校生男子に軍事教練の義務化が始まる。

その昔、ヒトラーユーゲント(ヒトラー青少年団)から選ばれし者を集める師団が形成されて、それは親衛隊(SS)の武装組織である武装親衛隊の所属だった。

子供たちに軍事訓練を施すという決定と、クレムリンで国家親衛隊が権力をもつようになってきたのとは、何か関係があるのだろうか。

心の底から嫌な空気しか感じられない。なんだか第二次大戦時の枢軸国側(ドイツや日本など)のようだというのは、大げさだろうか。

あの戦争で、日本の10代が大勢死んでしまった。死んでもらいたくなかった。ロシアの10代もウクライナの10代も、死んでほしくないのに。

欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。日本EU学会、日仏政治学会会員。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。前大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省関連で働く。出版社の編集者出身。 早大卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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