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日本でプロレスラー出身の俳優が成功したことはあるか?

斉藤貴志芸能ライター/編集者
(提供:イメージマート)

プロレス界に数々の伝説を築いてきた武藤敬司が21日に東京ドームで引退試合を行う。対戦相手は古巣・新日本プロレスの内藤哲也だが、ザ・ロックに打診したことを明かしている。ザ・ロックとは、アメリカでスターレスラーから俳優に転身したドウェイン・ジョンソン。今やハリウッドの大スターで、武藤の引退試合に呼ぶなら数十億かかるという話になったとか。日本ではドウェイン・ジョンソンのように、プロレスラーから俳優となって成功した例はあったか?

ザ・ロックはハリウッドのトップスターに

 アメリカ最大のプロレス団体WWEで、最年少記録の26歳でチャンピオンになって以来、絶大な人気を博してきたザ・ロック。その傍ら、2001年に映画『ハムナプトラ2/黄金のピラミッド』で屈強な戦士を演じて俳優としてデビュー。そのスピンオフ作品『スコーピオン・キング』では初主演を飾った。

 以後もプロレスと並行して出演作を重ね、ドウェイン・ジョンソン名義で『ワイルド・スピード』シリーズなどでアクション俳優として評価を高めていてく。軸を俳優に移す中、主演した『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』や『ランペイジ 巨獣大乱闘』などもヒット。2019年から2年連続で、『フォーブス』誌による「世界で最も稼いだ男優」に。ハリウッドの純然たるトップスターとして、レスラー時代以上の名声を確立した。

 アメリカでは他に、ザ・ロックと名勝負を繰り広げたスティーブ・オースチンやデイヴ・バウティスタ、ジョン・シナらもハリウッドに進出。メインキャストも務めている。

ドウェイン・ジョンソン
ドウェイン・ジョンソン写真:ロイター/アフロ

相米慎二監督の映画に主演した武藤敬司

 日本でもプロレスラーがアクションシーンを担ったり体格を買われたりして、単発の脇役で出演することはある。しかし、純粋にイチ俳優として大きい役に起用されたケースは少ない。

 そんな中で、引退する武藤敬司は1987年に公開された相米慎二監督の『光る女』に主演している。当時24歳。若手としてアメリカ武者修行から帰国し、“スペース・ローンウルフ”として売り出されていた頃。まだスキンヘッドでなく、“ジャニーズ系レスラー”とも呼ばれていた。

 『光る女』では、原作小説の“熊のような大男”の役を探していた相米監督らが新日本プロレスを観戦した際に武藤に目を留め、演技経験がないまま抜擢された。北海道の山奥から、安田成美が演じた行方不明の許嫁を探しに東京に来たという役どころ。髭がボウボウで裸足といういでたちの野人ぶりは、存在感たっぷりだった。

 秋吉満ちるが演じたオペラ歌手との濡れ場もあり、秘密クラブでのデスマッチのシーンではさすがのレスラーぶりを見せている。異色作での主役をまっとうした。東京スポーツのインタビューで「多くの人間が関わって、ひとつのものを作り上げるというエネルギーの方向はプロレスと一緒」と語っていた。

 武藤はその後も、小規模映画の『妖獣伝説 ドラゴンブルー』(1996年)や『実録ヒットマン 北海の虎. 望郷』(2003年)にW主演したほか、ちょっとした役ではドラマや映画への出演は少なくないが、ザ・ロックのような本格的な俳優活動には挑まなかった。

武藤敬司
武藤敬司写真:アフロ

歴史的な日本人対決の挑戦者は怪力の役で

 遡れば、国際プロレスのエースから1974年にアントニオ猪木との歴史的な日本人対決を行ったストロング小林が、俳優への転身を図っている。腰痛からセミリタイア状態だった1982年、真田広之が主演した角川映画『伊賀忍法帖』に怪力の金剛坊役で出演。

 以後、この役にちなんでスキンヘッドでストロング金剛と改名し、『超電子バイオマン』(1984年)では敵の大幹部の1人・モンスターを演じた。

 他には大男、力持ちといった役での単発の出演がほとんどだったが、バラエティの『風雲!たけし城』(1986年~)ではたけし軍団らと共に城を守り、一般の参加者を追い回す姿が番組名物となった。

髙田延彦は普通の登場人物で名を連ねて

 1995年に東京ドームに6万7000人を集めた新日本プロレスとUWFインターとの対抗戦のメインイベントで、武藤と対戦したのが髙田延彦。2002年の引退後、芸能活動が増える中で、俳優としてドラマや映画にも出演するように。

 大河ドラマ『功名が辻』(2006年)や『風林火山』(2007年)に、朝ドラ『瞳』(2008年)。『パパとムスメの7日間』(2008年)では舘ひろしが演じた主人公の年下の上司、『オトメン(乙男)』(2009年)では夏帆が演じたヒロインの父親の役だった。

 メインキャストではないものの昔ながらのプロレスラー然とした役柄でなく、普通のイチ登場人物として名を連ねることが多い。6月公開の浅田次郎原作の映画『大名倒産』では、幕府の実力者と名高い旗本・小池越中守を演じている。

 髙田の新日本プロレスでの若手時代に師匠格だった藤原喜明は、Vシネマの出演が多いが、“組長”の愛称そのまま、暴力団の幹部役がほとんどだ。

髙田延彦
髙田延彦写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ

『Dr.コトー診療所』に出演していた船木誠勝

 新日本から第2次UWFに移籍して髙田や藤原らと競ったのち、完全実力主義を打ち出すパンクラスを旗揚げした船木誠勝は、2000年にヒクソン・グレイシーとの総合格闘技戦で敗れて31歳で引退。俳優活動に乗り出した。

 映画『真説タイガーマスク』(2004年)のタイガーマスク役などアクション系を中心に声が掛かったが、大ヒットしたドラマ『Dr.コトー診療所』(2003年)では島の漁師の1人、頭に赤いタオルを巻いた山下努役で出演していた。

 台詞は毎回ひと言、ふた言だったが、終盤の9話に来て、息子が土砂崩れに巻き込まれて、週刊誌記者と共に大ケガを負う。先に記者の手術に取り掛かるコト―(吉岡秀隆)に怒声を浴びせるシーンがあり、2人の手術が成功したあとも不信感を募らせていた。2004年のスペシャル、2006年の2期にも出演している。

 2007年に現役復帰した後は、ヤクザもののVシネなどの出演に留まっているが、公開中の16年ぶりの新作となる劇場版『Dr.コトー診療所』に顔を出している。

 武藤、船木らと同期でIWGPジュニアヘビー級王座に就いたAKIRA(野上彰)は、1998年に網膜剥離でセミリタイアしていた時期に、俳優活動を開始。『仮面ライダークウガ』(2000年)で怪人の人間体を演じたほか、映画『お父さんのバックドロップ』、『いかレスラー』(共に2004年)などに出演している。

電流爆破マッチの大仁田厚は長渕剛の弟分役も

 全日本プロレスで一度引退した後、1989年にインディー団体FMWを旗揚げした大仁田厚は、有刺鉄線電流爆破デスマッチなど“邪道”を売りに、「涙のカリスマ」と呼ばれてマット界に旋風を巻き起こした。

 知名度も高めて俳優業も展開。大河ドラマ『秀吉』(1996年)で豊臣秀吉(竹中直人)の家臣の蜂須賀小六、『ひと夏のプロポーズ』(1996年)で坂井真紀、保坂尚輝、高岡早紀らと並び恋愛群像劇を繰り広げる7人の1人。

 そして、『ボディガード』(1997年)では長渕剛が演じた主人公の弟分で共にボディガード事務所を設立する役など、連続ドラマでなかなか良いポジションも担っていた。

大仁田厚(公式Twitterより)
大仁田厚(公式Twitterより)

 こうして見ると、日本ではやはりプロレスラーがそれなりの役を演じた作品はあっても、名実共に一流の俳優となった例はない。

 ただ、ドラマにゲスト出演した際など、現場で立ち会った関係者から「プロレスラーは演技がうまい」と聞いたことが何度かある。リング上での表現と通じるものがあるのだろうか。

 トップレスラーにはカメラ前でも独自のオーラが漂う。ここに挙げた面々も、もし本人により強い俳優志向があったら、さらなる展開があったかもしれない。

 スタイリッシュなレスラーも増えた昨今、今後リングからスクリーンも沸かす日本のドウェイン・ジョンソンが現れることも、なくはない話のように思う。

芸能ライター/編集者

埼玉県朝霞市出身。オリコンで雑誌『weekly oricon』、『月刊De-view』編集部などを経てフリーライター&編集者に。女優、アイドル、声優のインタビューや評論をエンタメサイトや雑誌で執筆中。監修本に『アイドル冬の時代 今こそ振り返るその光と影』『女性声優アーティストディスクガイド』(シンコーミュージック刊)など。取材・執筆の『井上喜久子17才です「おいおい!」』、『勝平大百科 50キャラで見る僕の声優史』、『90歳現役声優 元気をつくる「声」の話』(イマジカインフォス刊)が発売中。

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