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活動終了するラストアイドル。テレビ番組発の宿命と戦った4年の末に去来するものは?

斉藤貴志芸能ライター/編集者
(左から)西村歩乃果、阿部菜々実、小澤愛実(撮影/松下茜)

テレビのオーディション番組から生まれたラストアイドルが、4年半にわたった活動の幕を5月末で下ろす。テレビ発だけに、メンバー入れ替えバトルに始まり、超難度のダンスや殺陣など、シングルを出すたびに難題の企画に挑み続けてきた。1stにして最後のアルバムとなるベスト盤『ラストアルバム』の発売を前に、グループの中核を担ってきた阿部菜々実、西村歩乃果、小澤愛実が赤裸々に振り返ってくれた。

「もう終わりかな」と覚悟はしてました

――活動終了することは、皆さんにはどう伝えられたんですか?

小澤愛実 メンバーが出ていた舞台の千秋楽が終わってから、直接聞きました。

西村歩乃果 急だったので「まさか」と思ったら、本当にそういう話でした。でも、何となく「もう終わりかな」と勘づいていたメンバーも多かったと思います。

阿部菜々実 (総当たりバトルで選抜メンバーを決めた)ラスアイサバイブのとき、「これが最後のチャンスかもしれない」と謳われていて、悔いを残さないようにやっていました。

――ラスアイサバイブの最後に、菜々実さんは「本気で売れにいきたい」と話してました。

阿部 これで売れなかったら、本当にダメだと思っていましたから。もちろんラストアイドルが終わることは絶対に望んでいませんし、できれば長く続けたかったので、あれは本音でした。でも、やっぱり覚悟はできていた部分があって。活動終了と聞いたときは「この瞬間が来たんだな」と思いました。

小澤 私も薄々終わると感じてましたけど、面と向かって言われると、やっぱり悲しくて泣いちゃいました。ラストアイドル以外の自分が、まったく考えられなかったので。

23歳からいろいろ経験できて大満足です

――歩乃果さんはグループがどうなるかと別に、卒業を考えていたりもしませんでした?

西村 まあ、そうですね。最年長ですから。私は22歳のときにラストアイドルのオーディションを受けて、デビューした1ヵ月後に誕生日だったので、ほぼ23歳から芸能活動を始めたんですね。他のメンバーと比べて、アイドル人生は圧倒的に短いだろうと思っていました。愛実はそのとき、14歳とかでしょう?

小澤 14歳でしたね。

西村 信じられない。だって2人は、まだ私がデビューしたときの年齢にも行ってないんだから(笑)。私はアイドルになって、いろいろな経験をさせてもらって、もう大満足。思い残すことはありません。でも、彼女たちは人生これからというときに、急にグループがなくなるのは酷だなと思います。

――そうかもしれませんね。

西村 今までは秋元康さんプロデュースの大きな船に乗せていただいて、アイドルを頑張ってきて。私は自分から船を降りようと考えたりもしていた身だから、それほどダメージはありませんけど、若い子たちはちょっと心配です。

小澤 ほのぴぃ(西村)がやさしくて、胸にくる(笑)。

自分が別人くらいに変わりました

――『ラスアイ、よろしく!』でもシングルヒストリーの回がありましたが、4年前の自分の映像を観ると、どう感じます?

西村 観たくないです(笑)。恥ずかしくなっちゃう。1期生は昔からアイドルを目指していたり、もともとアイドルだったメンバーが多くて、私だけ全然踊れていなかったんです。キョロキョロして常に迷子みたいで、昔の映像だと本当にひどくて(笑)。

小澤 私もラストアイドルが初めての芸能活動で、最初のバトルは「何だ、こいつ?」みたいな感じでした(笑)。震えていて、今思うと髪形も変で、前髪がぶ厚くて(笑)。でも、他のアイドルさんは絶対やらないような企画に挑戦させていただいて、そのときは辛くても今はやって良かったと思うし、ラストアイドルで過ごした時間は宝物です。昔の映像はいまだに恥ずかしいですけど、もう最後だし、最近は結構観返しています。

――菜々実さんはラストアイドル以前からアイドルをやっていて、また違う感覚ですか?

阿部 最初は謎の自信に満ち溢れていました(笑)。絶対売れると思っていましたし、テレビの企画でオーディションに受かって、希望でいっぱいの未来が待っていると信じていました。当時の自分の映像を観てもキラキラしていて、むしろこれから、厳しいことがいろいろあるんだろうなと。でも、ラストアイドルだったから経験できたことも多くて、自分が別人くらいに変わりました。人から「変わったね」と言われることも増えて、いい方向に行けたのかなと思います。

メンバーを見てコミュニケーション力が付いて

――自分のどんなところが変わったと?

阿部 ずっと仙台でアイドルをしていて、10歳の頃から見てくれているファンの方もいますけど、当時は握手会でも「はい」と「ありがとうございます」しかボキャブラリーがなくて(笑)。なぜ握手会をやるのか意味もわからず、まったくしゃべらないで不愛想でした。今もコミュニケーションは苦手です。でも、身近でいろいろなメンバーを見てきて、そういう力もちょっとは身に付けたつもりです。

西村 ななみん(阿部)はめっちゃテンション高いです。オンライントーク会で隣りになることが多くて、「ありがとーーっ!!」みたいに話していて(笑)。「こんなに元気だった?」って意外でした。

――確かに、昔の菜々実さんはあまりしゃべらないイメージがありました。

西村 最近は大事なコメント録りでも、ななみんに「これやってね」と全投げすることが多いです(笑)。イヤな顔ひとつせず「うん、わかった」とやってくれて、コメントに困ることもなくパッと言ってくれるから、すごく頼もしくて。

小澤 笑ってくれることも増えました。

阿部 昔は笑ってなかった(笑)?

小澤 初めの頃はバトルをしていたし、みんながピリピリした空気で、私も緊張して話し掛けることができませんでした。今は素なのかわかりませんけど、朗らかに笑ってくれるので、それだけで幸せになります(笑)。

阿部菜々実(あべ・ななみ) 2002年5月17日生まれ、山形県出身
阿部菜々実(あべ・ななみ) 2002年5月17日生まれ、山形県出身

「もう無理」と思ったとき、ひたむきな愛実が励みに

――中学生だった愛実さんも変わったのでは?

小澤 私はただアイドルに憧れていたおイモちゃんだったので(笑)、歌もダンスも全然できなくて。今はビシバシ鍛えられて、昔に比べたら自信を持てました。ステージ前も緊張が大きかったのが、4年を経て楽しめるようになりました。

西村 愛実はずっと健気で、いい子です。私は朝が弱くて「眠~い。ダル~い」となっちゃうんですけど、愛実のいない現場や1人の仕事のとき、愛実だったらどうするか考えると、ちゃんとしようと思います。

小澤 何それ~? 初めて聞く。

西村 たとえば、私は現場に入ると、メイクさんとかに「お願いします」というくらいですけど、愛実の第一声は必ず「今日も1日よろしくお願いします」。「今日も1日」と付けただけで、こんな素敵な言葉になるんだと学びました。初心を忘れないことは大事だと思わせてくれますね。

阿部 愛実ちゃんは4年前と変わらず、アイドルを一番ひたむきに頑張っていて、常に努力しています。私も「もう無理」と思ったときは、愛実ちゃんを励みにしてます。こんなにまっすぐ頑張れる人が近くにいるんだから、自分も頑張ろうと、常に思わせてくれる存在です。

小澤 こんな幸せな日はないですね(笑)。私も「もう無理」とか全然思うし、今日も電車の中で眠かったですけど(笑)。

西村 それを表に出さないのがすごい。

小澤愛実(おざわ・あいみ) 2003年4月9日生まれ、神奈川県出身
小澤愛実(おざわ・あいみ) 2003年4月9日生まれ、神奈川県出身

アイドルに本気でないのがバレて火がつきました

――歩乃果さんは最初から大人で、そんなに変わった感じでもないですか?

小澤 私はほのぴぃに甘えちゃいます。大人だけど、ふざけるテンションが似てるというか(笑)、一緒にワーッとなれてリラックスできます。メンバー1人1人をよく見てくれているし、本当にストイック。そこを絶対に表に出さないんです。殺陣のときも裏でめちゃめちゃ練習していて、カッケーと思いました(笑)。

阿部 ほのぴぃはみんなと違う場所でも頑張ってくれて、誰よりもラストアイドルを外の世界に広めてくれました。グループ内でも先頭に立って、曲の中でほのぴぃが抜かれたときの一生懸命な表情を見ると、泣きそうになります(笑)。

西村 エーッ!?

阿部 「頑張っているな」とすごく思うんです。私が言うのもアレですけど、パフォーマンス中の姿にもだんだん自信が表れて、本当に生き生きとしてきて。

――歩乃果さん自身は転機的なものがあったと思いますか?

西村 転機は8枚目のシングル『愛を知る』です。選抜メンバーオーディションで、立ち位置が2列目になってしまって。審査で目玉(のおもちゃ)を取り出したのを「ふざけてる」と言われて、火がつきました。

――あの目玉は、その前に安田愛里さんがたまたま眼帯をしていたこともあって、面白かったです。

小澤 ほのぴぃにしかできないよね。

西村 でも、当時は自分の中でアイドルは2番目だったんです。YouTubeとかTikTokとか個人の活動のほうが大きくて。それがバレていたんだと思います。アイドルに本気でないのが、周りに伝わるようではダメ。その後は殺陣でもボリウッドダンスでも、目立つポジションにこだわって頑張りました。

西村歩乃果(にしむら・ほのか) 1995年1月28日生まれ、神奈川県出身
西村歩乃果(にしむら・ほのか) 1995年1月28日生まれ、神奈川県出身

センターでない曲でプレッシャーに気づきました

――ラストアイドルで様々な企画に挑んだことは、いろいろな意味で大きかったでしょうね。

小澤 団体行動(“歩く芸術”パフォーマンス)のときは「何で歩くんだろう?」と思いましたけど、どの企画でも少しでも爪あとを残そうと前向きでした。ラストアイドルは人数が多いので、応援してくださる方が私をパッと見つけられる立ち位置になれたらいいなと思って。特に殺陣は初めからやる気がすごくあって、絶対ガンガン行ってやろうと気合いが入っていました。

――菜々実さんは毎回、センターを守るプレッシャーもありましたか?

阿部 自分でそんなつもりはなかったんですけど、気づかないうちにプレッシャーを感じていたんだなと思うことは結構ありました。『青春トレイン』の(振付師の)akaneさんのダンスとか、『何人(なんびと)も』の殺陣とか、やっている間はめちゃくちゃ病んで、本当に動けなかったんですよ。

――体がキツかったんですか?

阿部 精神面もどっちも、挑戦もののときはキツかったです。朝もベッドから起きられなくて、親に電話して「いつか終わることだから頑張れ」と言ってもらいながら、必死にやっていました。でも、『君は何キャラット?』やカップリング曲でセンターでなくなったときは純粋に楽しめて、人から「楽しそう」と言われることも増えました。そこで今までプレッシャーを感じていたことに気づきました。

テレビに出ただけでこんなに反響が違うとは

――ラストアイドルはテレビ番組から生まれたアイドルでしたが、テレビの影響力を感じることはありましたか?

小澤 ファンの方に私と出会ってくれたきっかけを聞くと、夜テレビをつけたら、『ラストアイドル』がやっていて、何気なく観ていたら愛実が出てハマった……という方が多いんです。最初はたまたま観てくださった方がたくさんいたのは、テレビの力を感じます。

西村 自分がラストアイドルのオーディションを受けようと思ったのも、地上波で番組を観たからです。当時は土曜の深夜(24:05~)だっけ? まだみんな寝てない時間に放送されていたのは、すごく大きかったと思います。バトルに出て、DMとかもすごく来ました。

――「かわいすぎるヘアメイク」として登場したときですね。

西村 私のバトルはダイジェストでたった3分の放送で、しかも負けたのに、ネットニュースで取り上げられて、西野七瀬さんに似てるとスレが立ったり。だったら2ndユニットに入って、アクションを起こすことで、もっと反響があるんじゃないかと思いました。

――菜々実さんもバトルで暫定センターを奪って、反響はありましたか?

阿部 放送中からエゴサしていて、いい意見ばかりでなくて傷つく言葉も多かったんですけど、あれだけ反応してもらえたのが嬉しかったです。ずっと仙台でアイドルをやってきて、何をしても何の反応もなかったので。テレビに出ただけで、こんなに違うというのは、最初ビックリしました。

――一方で、テレビのコンテンツとして過酷な企画に挑むことに、疑問を感じたりはしませんでした?

小澤 団体行動はみんな「なぜ?」と思っていました。私は王道アイドルが好きだったんです。テレビで企画をやらせていただくのはありがたいし、恵まれすぎた環境に感謝の気持ちはありましたけど、やっぱり初めは戸惑いがあって。今あんな合宿をやれと言われても、絶対できません(笑)。あのときは「食らいついていくしかない」という気持ちでした。

阿部 本当にありがたいことだし、番組が終わってしまったらラストアイドルは続かないのもわかっていて。いろいろ挑戦してきた中で「もっと違うことができる」と思ったりもしました。でも、テレビから生まれたアイドルの宿命だと考えて、ずっとやってきました。

不完全燃焼も含めて良い経験でした

――あれこれあって、ラストアイドルのプロジェクトは成功だったと思いますか?

西村 結果的に成功ではないかな。だって成功していたら、活動終了になっていませんから。私がヘアメイクをしていたアーティストさんはライブ会場がどんどん大きくなっていくし、ファンの人の熱量も途絶えない。離れる人がいても、また違う人が好きになる。そういう連鎖が自分たちには少なかったのが、すごく悔しくて。私が裏方として傍で見ていた人たちのように、ラストアイドルも上手くいくと思っていたら、現実を突きつけられて「こういう感じなの?」となりました。

――でも、この時代のアイドルとしては、かなりいいセン行っていたのでは?

小澤 ラストアイドルで叶えたかった夢はたくさんありました。日本武道館にも立ってみたかった。それが最近はSNSでの反応も減って、ファンの方のアカウントで小澤愛実は好きでいてくれても、「ラストアイドルは応援し疲れた」みたいな声も見たことがありました。カップリング曲でメンバーのリップシンクだけのMVを出したいとか、もっと自分のやりたいことを言っておけば良かったかもしれない。そんなタラレバはいろいろあります。

――叶った夢もあったんですよね?

小澤 もちろん。『ミュージックステーション』に出させていただいたり、ラストアイドルにいなかったらできなかったことだらけです。今も毎日幸せで、感謝でいっぱい。だけど、やっぱり活動終了を報告して、ファンの皆さんを悲しませているのは事実なので。本当に申し訳なくて、「謝らないで」と言われても謝ってしまう感じです。

阿部 ラストアイドルに入ったことは、1ミリも後悔していません。自分的にはアイドルフェスのメインステージに立つことも夢のまた夢でした。そういうことは達成できましたけど、日本武道館に立ちたかったし、いろいろな歌番組やもっと大きなイベントにも出たかった。夢がたくさんあった分、やっぱり不完全燃焼だったと思います。叶ったことも多いので複雑なところですけど、全部ひっくるめて、いい経験でした。

仕事終わりにごはんに行けなくなるのが悲しくて

――『ラストアルバム』の新曲『僕たちは空を見る』などが、最後のレコーディングやMV撮影になったんですよね?

小澤 最近“最後の○○”が多くなって、ラストに近づいている実感が湧いてきました。MVを撮るとき、円陣を組んで「こうしてみんなの顔を見られるのは、あと何回だろう?」と思ったら、悲しくなってきちゃいました。

――ウルッときたり?

小澤 そうですね。でも、撮影は楽しくて、気持ちが沈まずにできました。エモい演出もたくさんあって、待ち時間はメンバーの顔をずっと見ていて。みんな本当にきれいで素敵で、この仲間たちと出会えて私は幸せ者だと、つくづく感じました。

西村 akane先生が『僕たちは空を見る』の振りを付けてくださった動画が送られてきたとき、観て泣きそうになりました。要所要所に今までの曲の振りが入っていて、たぶんすごく考えてくださったんだろうなと。振り入れの前々日にakane先生から連絡も来てました。「私、絶対泣いちゃう」と言われて、「こっちも泣いちゃうから泣かないでください」と返したんですけど、案の定、振り入れの日にはakane先生が泣いて、私もつられて泣きました(笑)。活動が終わるって、こういうことかと。メンバーとも普通に会えなくなったり、仕事終わりに気軽にごはんに行けなくなるのが、一番悲しいです。

阿部 MVのダンスシーンの撮影中も、みんなが気づいたかわかりませんけど、akane先生がめっちゃ泣いてました。

小澤 そうなの?

阿部 私も遠かったんですけど、アシスタントの方になだめられたり、顔を隠してもらったりしてました。それを見ちゃって、これが最後なんだなと思いました。今回、ダンスシーンもあまり回さずサクサク進んで、歌詞がギリギリに届いたからリップシーンも焦りが強くて、私自身はあまり最後の実感がないまま終わってしまいました。でも、完成したMVを観たら、みんなすごくきれいに映っていて。ダンスの表現も表情の作り方も成長していて、感慨深かったです。

正解の選択肢を探すのが人生なんだなと

――『僕たちは空を見る』では、菜々実さんは冒頭から台詞を入れていたりもしますが、今の気持ちとシンクロする曲ですか?

阿部 全体的に未来に向かうのを応援してくれる歌詞で、私は諦めはついて吹っ切れているので、頑張ろうという気持ちで歌えます。<諦めないよ いつの日かきっと>とか自分とリンクする部分もありました。

西村 私は<ただの噂なのかはわからない>という台詞があって、とにかく言いにくいんです(笑)。生で歌うときに噛まないか、不安のほうが大きくて焦ってます。でも、私はラストアイドルが終わっても、別のことで頑張っていくしかないから、背中を押されました。<選択肢 どっちが大事か?>という歌詞があって、アイドルを続けるのか他のことをするのか、何が正解かわからないけど、それを探すのが人生ということかなと。人生は一度きり。同じことに捉われずに広い景色も見て、自分のベストを出せる環境に進もうと思いました。

小澤 私は年齢的にもラストアイドルに青春のすべてを賭けてきたので、活動終了と聞いて、この先どうするか、何も見えなかったんです。この曲をいただいて、やっと前向きになれました。小澤愛実の人生はここで終わりでないから、第2章として気持ちを新たに歩き出すしかない。この曲に助けられて、変われた部分はたくさんあります。

売れたいという気持ちはなくなりました

――愛実さんはまだアイドルを続けたい気持ちがあるわけですか?

小澤 そうですね。ずっとアイドルをしていきたいので、まだ何も決まっていませんけど、続けられる環境があればいいなと思っています。

――歩乃果さんは以前、「バンドをやるのが夢」と話していました。

西村 自分で曲を作ったりするのは難しいとわかりました。いとこがみんな仲良くて、ビジュアルも結構いいので、「集まって音楽活動をしよう」みたいな話はしていますけど、趣味程度にしておきます。まだ何をするかは決まってなくて、とりあえず声を掛けていただいた仕事から始めていこうかなと。

――菜々実さんはボカロPとしての才能も垣間見せていました。

阿部 自分で歌う環境がなかったとき、とりあえずボカロを使ったんですけど、曲を作ったりプロデュースすることは、昔から考えていました。こんなに早くアイドルが終わるとは想像してなくて、いつかやろうとしていたことを今やれたら、いいかもしれません。もう有名になりたいとか、売れたいという気持ちはなくなったので、自分のペースで心地いい環境でやっていきたいです。

怖いことを散々やったので何でも乗り越えられます

――ラストアイドルで身に付けたことは、今後の人生でも活かせそうですか?

小澤 新しい環境は怖いですけど、ラストアイドルで怖いことを散々やってきたので(笑)。何が来ても、何とか乗り越えられる自信はあります。本当に忍耐強くなりました。殺陣とかが直接役に立つかはわかりませんけど(笑)、どこかでまたできたらいいですね。

西村 「殺陣ができます」という女の子はなかなかいないから、どこかで使いたいです。ダンスや歌は今後も活かせると思うし、将来もし自分の子どもが生まれたら、ダンスは絶対習わせます。私は歌は好きでしたけど、アイドルをやってみて、ダンスは本当に大事だと気づきました。

阿部 大きいステージを経験させてもらって場慣れして、度胸は付いたと思います。表現をするとき、基礎として人間的な厚みがあることが大事だと気づけたのも、ラストアイドルからでした。身に付いたことはすごく多くて、人間力をこれからも活かしていきたいです。

撮影/松下茜

ラストアイドル

2017年8月よりスタートしたテレビ番組『ラストアイドル』から、メンバー入れ替えバトルで勝ち残ったメンバーにより、同年12月に秋元康プロデュースのシングル『バンドワゴン』でメジャーデビュー。敗退したメンバーで4組のセカンドユニットも誕生。2018年9月には2期生が決定。その後、殺陣やボリウッドダンスなど様々な企画に挑んで、シングルのセンターや選抜メンバーを決めてきた。これまでに11枚のシングルをリリース。1stアルバム『ラストアルバム』を4月27日に発売。5月末で活動終了。

Virgin Music提供
Virgin Music提供

『ラストアルバム』

4月27日発売

WEB盤
WEB盤

初回限定盤Type A(CD+BD) 7700円(税込)

初回限定盤Type B(2CD+DVD) 7700円(税込)

初回限定盤Type C(CD+2DVD) 7700円(税込)

ラスアイ盤(CD) 3300円(税込)

WEB盤(CD) 2200円(税込)

芸能ライター/編集者

埼玉県朝霞市出身。オリコンで雑誌『weekly oricon』、『月刊De-view』編集部などを経てフリーライター&編集者に。女優、アイドル、声優のインタビューや評論をエンタメサイトや雑誌で執筆中。監修本に『アイドル冬の時代 今こそ振り返るその光と影』『女性声優アーティストディスクガイド』(シンコーミュージック刊)など。取材・執筆の『井上喜久子17才です「おいおい!」』、『勝平大百科 50キャラで見る僕の声優史』、『90歳現役声優 元気をつくる「声」の話』(イマジカインフォス刊)が発売中。

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