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「クィア役は当事者の俳優が演じた方がいい?」問題を改めて考えさせる、山田太一原作の映画化『異人たち』

斉藤博昭映画ジャーナリスト
『異人たち』のアンドリュー・スコット

ここ数年、さまざまな論議を呼んでいる「当事者が役を演じるべきか、否か」問題。中でもLGBTQ+、いわゆるクィアの役について、この問題は複雑が論議を呼ぶことも多い。こうした話題がニュースに出ると、特に日本では「自分とは違うどんなキャラクターでも演じるのが、俳優の仕事ではないか」という意見が多く見られる。一方でハリウッドやヨーロッパでは「異性愛者やシスジェンダー(生まれ持った性を自認する人)の俳優がクィアの役を演じることで、クィア当事者の俳優たちの仕事を減らしてしまう」という声も目立つ。

さらに複雑なのは、俳優がクィアであることを明言すべきか、つまりカミングアウトすべきかという問題も重なること。特に日本では人気俳優が自身のセクシュアリティを異性愛以外だと公にすることは、極めて稀。この点についても、さまざまな論議がある。

俳優のセクシュアリティを勝手に決めつけてる?

ただ日本での状況にも少し変化はみられる。2023年公開の『エゴイスト』でゲイの主人公を名演した鈴木亮平は、同作のあるインタビューで「自身とは異なるゲイの役を演じてどうだっか」と聞かれ、「それは逆に僕が“ゲイではない”と決めつけた質問ですよね」という趣旨の答えを返していた。たしかに鈴木は女性と結婚し、子供もいる。しかしだからと言って彼が「100%ゲイではない」ということではない。バイセクシュアルの可能性だってある。それほどまでにセクシュアリティは複雑であり、ゲイ役を演じた俳優に対し、完全にヘテロセクシュアル(異性愛者)だと決めつける質問はおかしいのではないか……と鈴木亮平は疑問を呈したのだ。じつに深い考察である。

このようにクィアの役を演じた俳優に対しては、当人のセクシュアリティやジェンダーの在り方が問われるし、かつてと違って、演技についてはステレオタイプに陥らないように細心の注意が払われる。最近も映画『ザ・プロム』では、ジェームズ・コーデンが“いかにも”なゲイの演技を披露して批判にさらされたし、スカーレット・ヨハンソンのようにトランスジェンダー役を「受けるのは無神経」と降板するケースも増えた。ドラマ「glee/グリー」でのゲイのブレイン役で人気を得たダレン・クリスは「LGBTQ+の俳優の機会を奪いたくない」と今後、クィアの役を演じないと宣言した。

こうした状況で、すべてにおいて理想的なのは、クィアであることを自認した俳優が、自身と同じ生き方の役で名演技をみせること。そしてそれが、多くの観客に届くこと。この理想型を体現したのが『異人たち』のアンドリュー・スコットだ。

2023年に亡くなった名脚本家、山田太一の小説「異人たちとの夏」を、イギリスで映画化した『異人たち』。1988年の大林宣彦監督による映画では風間杜夫が演じた主人公を、今回はゲイのキャラクターに変更しつつ、物語の流れは基本的に原作に沿っている。

今年の英国アカデミー賞でキリアン・マーフィー(左)と2ショットのアンドリュー・スコット
今年の英国アカデミー賞でキリアン・マーフィー(左)と2ショットのアンドリュー・スコット写真:REX/アフロ

主人公のアダムを演じたアンドリュー・スコットは、アイルランド出身、オープンリー・ゲイの俳優。『007 スペクター』や『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』などのハリウッド大作で重要な役を務め、ドラマシリーズ「SHERLOCK(シャーロック)」での宿敵のモリアーティが当たり役となった。舞台も含め、第一線で活躍しているスコットは、2013年、ロシアのプーチン政権による反同性愛法への抗議も込めて、ゲイであることをカムアウトした。その後も俳優業は順調、いやむしろ人気が加速したと言っていい。

『異人たち』で重要なのは、監督のアンドリュー・ヘイもゲイであること。原作に惚れ込んだ彼は、自分が映画化する意味を考えて、主人公をゲイに設定して脚本を書き上げた。「クィアの子供が、基本的に異性愛者の両親の下で育つ場合の家族関係と愛情、そしてその子供に恋人ができた時、それぞれの愛はどう関連するか突き止めたい。そんな長年の興味を作品に託した」とヘイは会見で語っていた。

当事者だからこそ引き出されたものは…

そしてゲイ当事者であるスコットを起用したことのメリットとして、ヘイは次のような説明をした。

「初めてカミングアウトする際や、ゲイクラブへ行く時の緊張感。多くのゲイが経験したことを、カタルシスと解放感をもって表現すること。そこから一歩前に進み、自分たちは大丈夫、まわりに愛されていると喜んだフリをすること。それをアンドリュー(・スコット)は身をもって演じてくれた。これはアンドリューの経験でもあり、私の経験でもあり、そして私のパートナーの経験でもある」

亡くなったはずの両親と再会したアダムが、彼らの前でどんな思いを打ち明けるのか。『異人たち』でのアンドリュー・スコットの演技は、間違いなく万人の心を揺さぶるものである。本作の場合、作り手も演じる側もクィアということで、物語を語るうえでの自信、安心感が伴うことになった。当事者が演じるかどうかの議論の中で、最高のサンプルを示したと言っていい。また「クィア」と「ゲイ」という言葉の使い方について、劇中でアダムとハリーが持論を語り合うシーンなど、当事者ならではの脚本、および演技がうまく機能している。

評価すべきは、この『異人たち』は、サーチライト・ピクチャーズが製作に関わった作品で、メジャースタジオのディズニーが配給している点である。グローバルな観客をターゲットにした作品で、こうしたアプローチは大きな指針になることだろう。

一方でアダムの恋の相手となるハリー役(大林版では女性の名取裕子が演じた役どころ)のポール・メスカルは、ゲイを“公にした”俳優というわけではない。

今年1月のミラノ・ファッション・ウィークに登場したエリオット・ペイジ。彼の今後のキャリアに注目が集まる。
今年1月のミラノ・ファッション・ウィークに登場したエリオット・ペイジ。彼の今後のキャリアに注目が集まる。写真:REX/アフロ

アンドリュー・スコットのようにオープンリー・ゲイの俳優で、たとえばマット・ボマーは近作『マエストロ:その音楽と愛と』ではレナード・バーンスタインの恋人というゲイ役を演じたし、ベン・ウィショーも『追憶と、踊りながら』などゲイの役をいくつか経験してきた。またトランスジェンダーであると公言し、エレン・ペイジから名前も変えたエリオット・ペイジは、その後の出演作は限定的になったものの、男性の俳優としてキャリアを伸ばす強い意思が感じられる。

クィアの役を当事者が演じるべきという話題が出ると、「ではゲイの俳優は、ゲイの役しか演じられなくなるのでは?」などという反論も頻出する。しかしアンドリュー・スコットは『異人たち』の後に、ドラマシリーズ「リプリー」で主演を務め、高い評価を受けているし、ベン・ウィショーなども“非クィア”の役がメインである。そこには多数派=シスジェンダー、ヘテロセクシュアルと、少数派=クィアの構図も重なる。先のダレン・クロスの発言「LGBTQ+の俳優の機会を奪いたくない」を考慮すべきなど、さまざまな論調が重なり、一筋縄ではいかない問題でもある。

こうした論議が交わされること自体、日本ではまだ少し時間がかかりそうだが、鈴木亮平のような意識の俳優が増えることで状況は変わっていくかもしれない。そして『異人たち』のアンドリュー・スコットの演技によって、われわれ観客の“意識”にも新たな光が投げかけられるのは間違いないだろう。

タワーマンションに暮らすアダムは、別の住人ハリーから突然の訪問を受け、彼のことが気になっていく…。『異人たち』より
タワーマンションに暮らすアダムは、別の住人ハリーから突然の訪問を受け、彼のことが気になっていく…。『異人たち』より

『異人たち』4月19日(金)より公開

(c) 2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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