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故ジャニー喜多川氏のハラスメント問題も一部重なり、タイムリーな日本公開となる衝撃作『TAR/ター』

斉藤博昭映画ジャーナリスト

まったくの偶然だが、公開される映画が、いま話題に上っているニュースと重なってしまうことが、たまに起こる。

今年のアカデミー賞で作品賞など6部門にノミネートされた『TAR/ター』。このように多部門を賑わせる作品は通常、アカデミー賞授賞式の前後に日本で公開されることが多い。「アカデミー賞有力」「アカデミー賞受賞」などという宣伝効果が高くなるからだ。

しかし、この『TAR/ター』はアカデミー賞授賞式(3/12)から2ヶ月経って、ようやくの公開となる。もちろん劇場のブッキングや、他作品との競合、宣伝に必要な期間など、さまざまな要因で決まったことなのだろうが、期せずして現在の社会の話題とダブらせたくなる部分が表出した。

故ジャニー喜多川氏のセクハラ問題は、BBCのドキュメンタリーが3/7にイギリスで放映され、その時点では日本でそこまで大きな論議を呼ばなかったものの、4月に入って元ジャニーズJr.のカウアン・オカモト氏の記者会見、それらのニュースを大々的に流さないメディアの体質、さらに元ジャニーズのマイコーりょう氏のYouTubeでの証言などで、静かな波紋を広げている。現在はやや沈静化している印象だが、心にモヤモヤした思いを残したままの人もいる。

5/12公開の『TAR/ター』の主人公は、世界最高峰のオーケストラ、ベルリン・フィルで初めて女性として首席指揮者の地位に就いたリディア・ター。物語はフィクションであり、もちろんジャニー喜多川氏とは何の関係もない。

『TAR/ター』では、リディア・ターの栄光や天才ぶりが描かれる。作曲家としてアカデミー賞、グラミー賞、エミー賞、トニー賞すべてを受賞(EGOTと呼ばれ、世界に18人しかいない)。難関といわれるマーラーの交響曲のライブ録音を控え、自伝の出版も待機中と、まさに世界的なトップアーティストとしての彼女の活躍に圧倒されるのだが、栄光とは逆の面もあぶり出されていく。

首席指揮者というトップの地位では、オーケストラのメンバーの“人事権”も存分に行使できる。お気に入りの新人を重要なパートに抜擢することも可能だ。しかもその抜擢には明らかな“下心”が感じられたりもする。

新人チェリスト、オルガに寵愛を示すリディア・ター。その行動は、あまりにあからさまだが周囲は文句を言えない。
新人チェリスト、オルガに寵愛を示すリディア・ター。その行動は、あまりにあからさまだが周囲は文句を言えない。

さらにリディアか過去に指導した若手指揮者のショッキングな事件が発覚し、それが大きなスキャンダルへと発展しそうになる。リディアとその若手指揮者の、屈折しつつも“濃密な関係”が浮かび上がってきて、このあたりはかなりスリリング、かつセンセーショナルだ。

リディアは同性のパートナーとの生活があり、養女もいる。つまり前述の「お気に入りの新人」「若手指揮者」は、すべて女性。

その他にも、気に入らない相手への巧みなパワハラなど、リディアの闇の部分がクローズアップされ、『TAR/ター』のひとつの側面として、すべてを操る地位の者によるハラスメント問題が衝撃を与えることになるのだ。

ハリウッドの大プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインをはじめ、トランプ元大統領の問題、そして特に日本の観客の中には、『TAR/ター』を観ながら、故ジャニー喜多川氏のセクハラ騒動が、否が応でも頭に過ぎる人もいることだろう。

映画と社会の事件を重ねることが正しい鑑賞法だというわけではない。それでも重ね合わせることで、映画も、そして社会のニュースの受け取り方も、別次元へシフトし、深い部分での理解に寄与することだってある。それも映画のひとつの魅力、役割ではないか。

凄絶を極めるリディア・ターの運命は、どんな着地点をみせるのか。じつはそこにも、日本の観客への意外なアピールが潜んでいるので、楽しみにしてほしい。

『TAR/ター』

5月12日(金) TOHO シネマズ日比谷ほか全国ロードショー

(c) 2022 FOCUS FEATURES LLC.

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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